第2章 出会い②


 疑問には思ったが、彼が魔法使いならば、確かに覚醒前の自分よりは強い。ここは大人しく、彼の質問に答えるべきだろう。


 セレナは素直に、「知らない」というように首を横に振った。

「…言わないのか、知らないのか?どちらにせよ、教えなければお前の首を切り落とす」


 男はそう吐き捨てると同時に、短剣を握る手に再び力を込める。セレナは慌てて、必死にこの状況から逃れる方法を考えた。


 相手は恐らく、訓練を積んだ男で、こちらは筋トレすらしたことのない素人の女。腕力では間違いなく敵わないのは考えなくても分かる。王族には、護身用に短剣を持つことが男女問わず求められているが、セレナはそれを持っていなかった。たとえ魔族でも、他人を傷つけるような真似をしたくなかったからだ。尤も、セレナは腕力が本当にないので、どんなに良く研いだ短剣でも、彼女が握ればその威力はペーパーナイフ並みだ。


 自分にあるのは、探究心と、覚醒前の魔力だけ……。


 と、その時。彼女の脳裏にオフィーリアの声が蘇った。

 いつだったか、彼女が唯一直接教えてくれた、『覚醒前でも使える護身術』。


 オフィーリアの言葉が、頭の中によぎる。

「覚醒前の魔力持ちにできることは、魔力の流れを視認することと、魔力の放出だけだ。だが、覚醒前にも扱える護身術がある。万が一1人でいる時に身の危険を感じたら、この技を使いなさい」


 そう言って、何度も根気強く教えてくれたオフィーリアの声。その声はまるで、セレナを今のセレナを勇気づけるようだった。


 今まで自力で魔力を扱えたことはなく、今日もジェイの手助けがあって初めて魔力を引き出せた身だが、一か八か、やるしかない。

 セレナは朧げな記憶を必死に思い起こしながら目を伏せ、自身の魔力に集中する。


 ヘソの下、丹田たんでんと呼ばれる場所に力を込めて、魔力が自分の体の中心に集まっていく様子を強くイメージする。

 極限まで力を集めて、周りの音が一瞬聞こえなくなったその時、まるで大きな声を上げるかのように、一気に吐き出す。


 ここだとばかりにセレナが目を見開くと、周辺に彼女の体を守るような魔力の竜巻が起こった。

「——っ!?」


 男は驚きのあまり声を上げる暇もなく、魔力の竜巻に巻き込まれて吹き飛ばされる。男の体は真後ろに飛び、机の上に勢いよく背中を打ち付けて、気を失った。


 木製の机が、ひび割れるような音を立てる。男の拘束から逃れたセレナは、一気に体の力が抜けたかのように、胸を押さえてその場に座り込んだ。

 まるで何キロもの距離を、全速力で走った後のような疲労感。体に力が入らず、息は上がり、心臓がバクバクと音を立てていた。


 ……だが、うまくいった。

 初めて、自分の力で魔力を引き出すことができた。

 魔力訓練を受けた後だから、引き出しやすかっただけかもしれないが。


 セレナは必死に息を吐き、呼吸を整える。

 顔だけ振り返ると、男はまだ机の上で伸びていた。


 ここの扉は厚くて、外の音は中にいる人間には聞こえないし、中の音が外に漏れることもない。なのできっと、今の物音は他の誰にも聞かれてはいないだろう。

 セレナは立ち上がり、恐る恐る男に近づいた。


 黒い短髪、白い肌、レザー製の黒いジャケットに、白いシャツと黒のズボン。耳には赤い魔封石のピアス。ぐったりと目を閉じていて瞳の色は分からないが、黒髪である時点で間違いなく彼は神族ではない。

 なのにどうして、中間門の厳しい警備を抜けることができたのか。


 オフィーリアが操る傀儡人形は、オフィーリアと意識が同調していて、彼らの感覚は全てオフィーリアに伝わる。あれらが少しでも魔力を感知すれば、同じくオフィーリアにも伝わり、侵入者はすぐにでも捕縛されるはずなのだ。

 さらに、あれらは人の形をしているが、あくまで人形で、人間のように心を持っていない。オフィーリアの魔力を受けて動いているので、普通の魔法使いよりも強い。なので不審者を見逃すようなこともなければ、疲れることもないので気を抜くことが一切ない。


 それなのに、この男は城内に入ってこられた……何故。

 それに、彼が言っていた“禁術の書”とは、一体……。


 気になることは多々あったが、このまま彼の目覚めを待っていたら、また襲われるかもしれない。先ほどのあの術が使えたのはただのまぐれで、次はないかもしれない。そう思い、セレナは男の体を引きずって机から降ろし、椅子に座らせる。

 セレナよりも背の高い男の体は、想像よりもずっと軽かった。


 セレナの腰のベルトはただの装飾品なので、外してしまっても何ら問題はない。セレナはそれを拘束具にしようと考え、男の腕を背もたれの後ろに回させて手首を拘束した。

 男が覚醒を済ませた魔法使いならば簡単に解けてしまいそうだが、ないよりはマシだ。


 セレナは男の前に腰掛けると、机に頬杖をつき、半ばぼうっと男の顔を見つめる。

 整った顔立ち、白い肌。

 初対面なはずの顔を見ながら、セレナの心には不思議な感覚が入り混じっていた。


 ……どこか、懐かしい。


 身に覚えのないはずの容姿、名前も知らない初対面の相手。なのに、雰囲気がどこか懐かしいような、どこかで会ったことのあるような気がしていた。

 それは、まるで……。


「……そんなわけ、ないか」

 セレナは小さく呟くと立ち上がり、先ほど落としてしまった本を拾いに行った。

 その間も、男の様子が気になるようにチラチラと見ていたのだった。




 男は、夢を見ていた。


 夢の中の自分は、いつも焦燥感に駆られていた。

 認めてもらいたい、認めさせなければ。認めさせるんだ、絶対に。

 そんな感情ばかりが入り混じっている。


 いつも自分と戦っていた。自分の中の魔力と、自分の中に生きる獣と。

 “半端者”の自分を、心配するような人間は誰もいない。認めてくれる人間など、ただのひとりもいなかったのだ。


 そんな中で唯一、彼の味方をしてくれた人がいる。

 優しい女性の声が、耳元にこだます。


 ——ニコラ、お前はお前のままでありなさい。それがお前の力になるのだから。


 その人は、俺に唯一の“役割”を与えてくれて、育ててくれた大切な人だ。その人のためなら、何でもしようと決めた。けれど……。


 その人が時折見せる、何かを隠して苦しんでいるような、悲しんでいるかのような表情は、俺にとっても辛いものだ。

 何があったのかは知らないが、その人の顔を曇らせた出来事が、その人の心を傷つけた人物が、何よりも許せなかったのだ。




「——っ」

 男は目を覚ました。


 いつの間に寝てしまったのか。見上げると、そこには先ほどまで男が拘束していたはずの女が、何事もなかったかのように椅子に座り、本を読んでいる。


 ふと、男は思い出した。

 そうだ。俺はこの女から“抵抗”を受けて、飛ばされて、気を失ったのだ。


 男は慌てて立ち上がろうとしたが、うまく体が動かない。振り向くと、手首をベルトで拘束されていた。

 立ちあがろうとした弾みで男が座らされていた椅子が、ガタッと音を立てる。その音で、女は初めて気づいたようにふっ、と顔を上げ、男の方を振り返った。


「……あ、起きた?」

 セレナは男に声をかけながら、開いていた歴史書を閉じて端に置き、グーッと背伸びをする。

 緊張感の欠片もないセレナの様子に、男は戸惑いを隠せないと言った様子だった。


 動揺のあまり震えている男の瞳は、明るくて優しい、朝焼けを切り取ったような赤。その姿から、彼が文献通りの悪魔の末裔だとは、セレナには思えなかった。

「まだ動かない方がいいよ。かなり思いっきり背中打ってたから」


 相手が侵入者だということを忘れているかのような様子で、セレナは男に声をかける。男の瞳が、ますます混乱しているように震えていた。

 ひとしき動揺してから、男は怪訝な表情を浮かべて女を睨む。が、女の顔に恐れの色は見えなかった。

 男はフーッと深く息を吐くと、努めて冷静に尋ねる。


「…どうして俺を衛兵に引き渡さない」

「うん、そうした方がいいんだろうけど、ちょっと聞きたいことがあったから。あなたを引き渡したら、聞けなくなるでしょ?」

 セレナはそう答えると、椅子の向き男と向き合うように変え、座り直す。


 彼女は口を開き、尋ねた。

「あなた、純粋の魔族?」


 唐突な質問に男は目を丸くさせたが、平静を装って口を開く。

「…尋問のつもりか?」

 先ほどまで彼女を脅迫していた時とは違う、男性にしては少し高い声。


 セレナは否定するように首を横に振った。

「そんなつもりはないよ。純粋の魔族に会うの初めてだから、確認してみたかっただけ。純粋ってことは、ディアヴォロスの街から来たのよね?」

「……答える義務はない」


 男はぶっきらぼうに答えながら、セレナから目を逸らす。男の冷たい返答に、セレナは少しむっとして拗ねるような声色で言い返した。

「何よその言い方。こっちはいきなり襲われて、刃物突きつけられたのよ。聞く権利くらいあるでしょ」

「そんなもの知るか。お前が素直に“禁術の書”の在処について話していれば、殺すつもりも……傷つけるつもりも、なかったんだ」

 そう答える男の目線が、セレナの首筋に向けられる。何やら、彼女を襲ったことを深く後悔しているような表情だったが、男はそれを悟られないように必死に隠しているようだった。


 曇りのない、真っ直ぐな瞳。彼はきっと、嘘はついていない。

 朝焼けのような真っ赤な瞳がセレナの姿を映す。決して揺らぐことはない。きっとこの人は、元々ひどく純粋な人なのだろう。


 セレナはそう思ったが、気を取り直して口を開く。

 知らなければならないことがあるのだ。そのためには、決して引くわけにはいかない。


「まず、先に言っとくけど。私は“禁術の書”なんて知らないし、ましてやどこにあるかなんて分からないわ」

「嘘をつくな。お前は俺と同じだろう」

 男は完全に確信しているかのように、そうはっきりと言い放つ。セレナもはっきりと否定したつもりだったのだが、男はセレナの言葉を信用しなかったようだ。


 セレナは言いにくそうにこめかみを掻くと、仕方ない、というようにため息をこぼし、ポツリポツリと返答した。

「…確かに同じ魔力持ちではあるけど。私はまだ第2覚醒が来てないから、あなたとは違うの。だから魔法書のことは分からないのよ」

 セレナの答えに、男は心底驚いたように目を丸くして、黙り込んでしまった。


 セレナはそんな男の様子を見て、不機嫌そうにむっと顔を顰める。本当はこんなこと、他人に話したくなかったのに。


 今は、自分が“禁術の書”を知らないということを信じてもらいたくて、証明のために仕方なく話しただけだ。

 なのに、そこまで驚くことはないじゃないか。

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