第1章 黒い影②
話を終えたオフィーリアが灰色髪の従者に目配せをすると、従者は首肯し、右手の人差し指をピン、と立てて空を切るように動かす。すると、どこからともなく水晶玉が飛んできて、子供たちやセレナの手の中に1つずつ渡された。
セレナの元にも渡されたそれは、子供の小さな手にもすっぽりと収まるほどの小さなもので、よく見るとその中で小さな青い炎がチラチラと揺れている。
「それは、魔力を込めることで中の炎の色が変わる魔法器具だ」
魔法器具とは、文字通り魔力を動力にして動く機械や道具のことだ。
魔法は、国に存在する一部の魔力持ちだけが扱うことのできる技だ。
テオスには、色の変わる水晶玉以外にも様々な魔法器具が存在している。そのどれもが使用者の魔力を動力とするので、使うことができるのは魔力持ちのみ、それも、水晶玉のように訓練時に使用する物は違うが、日常で使用する魔法器具を扱えるのは第2覚醒を終えた魔力持ちだけだった。
現在、魔力を必要としない魔法器具を研究している賢者がいるが、そもそも魔力で動くから“魔力器具”と呼ばれるわけなので、魔力のいらない魔法器具など作れるわけがない。
実際にそんな夢の道具を開発できた賢者がいるとは聞いたことがないが、オフィーリアが特別なだけで元々賢者は人前に姿を見せないのが普通なので、研究がどうなっているのかは正確には分からないのだった。
オフィーリアは言葉を続ける。
「そこに自分の魔力を流し込み、好きな色に変えてみろ。運が良ければ、その炎が魔力の“声”を聞かせてくれるかもしれん。その時は、その声を聞き漏らすな。……始めろ」
オフィーリアの合図で、子供たちは各々水晶玉に魔力を込め始める。
様々な色の魔力の流れが、子供たちの周りを取り囲んでゆらゆら揺れているのが、セレナの目には見えた。
セレナは、自分の魔力の流れは見えないが、他人の魔力は見えるのだ。
魔力の流れは、まるでその人を守る風のようで、感情によって動きが変わる。気持ちが穏やかな時は静かにいゆらゆらと揺れ、悲しんでいる時には重々しく流れ、怒りに満ちている時は突風のように吹き荒れる。
魔力の流れを見るだけで、相手がどんな感情なのかが分かるのだ。
数名の子供たちはすぐに水晶が色を変えて光り出し、それを見た子供が歓喜の声を上げていた。
オフィーリアは子供たちの様子を見渡していたが、少し離れたところで、明らかに肩に力を込め、片頬を膨らませてプルプルと震え、引き出しに苦戦している様子の貴族の少年を見つけた。彼女は少年の元に足早に歩み寄ると、声をかける。
「力むんじゃない。細く長く息をするように、ゆっくりと引き出すんだ」
「あ……はいっ…」
突然話しかけられた少年は緊張の面持ちで咄嗟に答えたが、すぐに彼女の助言通りに魔力を引き出し、そして水晶の色を変えることに成功した。
「……よし、よくやった」
賞賛するように彼女がそう言うと、少年の顔から緊張が解け、嬉しそうに綻ぶ。
セレナはそんな様子を、水晶玉を手にぼうっと眺めていた。
セレナの水晶は、ほんの少しも色が変わっていない。セレナはこの手の訓練をかれこれ6年受けてきたが、未だ自力で魔力を引き出せたことがなかった。
同じ魔力持ちでも、魔力をうまく扱える者とそうでない者がいる。セレナは後者だ。
16歳になろうというのに第2覚醒の兆候すらなく、自力では魔力を引き出すことができない。ただの遅咲きなのかもしれないが、オフィーリアの話では、稀に一生覚醒しないこともあるらしい。
だが、それならそれでも問題はない。覚醒しなかったということは単に素質がなかったということであるし、本来ならば女王になる予定の彼女に魔力はあまり必要ない。しかしセレナは、オフィーリアの魔法使いとしての実力に、尊敬と憧れを抱いていた。
生まれたその時から既に強い魔力の兆候が見られ、第1覚醒を迎えてすぐに魔力を遊び感覚で扱えるようになっていたオフィーリア。
10歳には第2覚醒を迎え、その翌年には大人でも難しい魔法書に書かれているような魔法を、本も読まず詠唱も使わずに実現させたという伝説がある。
オフィーリア・バラクは……当時のオフィーリア・レヴィンは、一言で言えば天才少女だった。
その才能は、今も健在だ。テオスの街全体に自身の傀儡人形の警備を置きながら、自分の屋敷ないにも身の回りの世話用に数体の傀儡人形を置き、その上で子供たちに魔力のコントロールを指南している。
それ故に、彼女は三大賢者の1人に並べられることとなったのである。
セレナは、自分も彼女のと同じ魔力持ちとして、彼女のようにとまではいかずとも、彼女みたいな強い魔法使いになりたいと常々思っていた。
今はまだ、第2覚醒すら来ていないが、彼女と血のつながった姪なのだから、きっと、いつか……。
「……王女殿下」
途端に声をかけられて、セレナは思わず飛び上がりそうになりながら我に返る。
顔を上げると、そこには先ほどまでオフィーリアの傍に控えていたはずの灰色髪の従者が立っていた。
切長で鋭い目つきの、20代後半かと思われるような、若い男性。灰色の長髪を後ろで一つに束ね、瞳の色はスミレの花を思わせるような紫色。鋭く強い瞳なのにどこか優しげで、主のオフィーリアとは違いその顔には笑みが浮かんでいた。
セレナは驚いたような顔をしたが、後ろでカレンが頭を下げているのに気づいて、慌てて小さく頭を下げ、口を開く。
「お久しぶりです、ジェイ様」
「私めは殿下に頭を下げられるような身分でも、敬称で呼ばれるような立場でもありません。どうかジェイとお呼びください、王女殿下。失礼ながら、先ほどから魔力の流れに変化が見られませんが、いかがなさいましたか?」
その鋭い目つきからは想像もつかないほど無邪気な笑顔を見せながら、ジェイはそう尋ねてくる。
セレナがジェイと呼んだこの男は、賢者オフィーリアの唯一の従者で、賢者の間では“
賢者の従者だが、一応彼も賢者だ。賢者は自分の従者を他の賢者の中から2人まで選ぶことができ、双方の了承があれば主従の契約が結ばれる。だが、望んで他の賢者に仕える者は少ないため、従者を連れた賢者はそこまで多くなかった。
賢者にはそれぞれ異名があり、賢者の間では基本その名前か、名前に連想される呼び名で呼び合っている。賢者は名前を縛る力が普通の魔力持ちよりも強いので、誤って了承のない相手を従者にしないようにするための対策だった。
かくいうオフィーリアにも、氷の王女以外に異名が存在する。
“
まさに天災級の力を持つ彼女は、同じ賢者にも厄災として恐れられていた。
セレナは少し緊張しているのを誤魔化すようにして、ヘラッと笑う。
雰囲気と相反して常に笑顔を見せるこの男のことが、セレナはほんの少しだけ苦手だった。
「大丈夫です。少し、ぼうっとしていました」
「……そうですか。何かあればお申し付け下さい。私にできることであれば、お力になりますよ」
優しい口調と、優しげな笑み。
まるで、仮面のような。
主人であるオフィーリアとその従者であるジェイは、セレナの知る限りでは全くの正反対だった。
常に冷たい表情で他人を睨みつけるオフィーリアと、弱き者に手を伸ばし、常に微笑みを絶やさないジェイ。まるで、以前のオフィーリアの心優しさを、ジェイが全て持っていってしまったかのようだ。
だが、こんな優男も、戦場ではオフィーリアと並ぶ実力者だ。主人であるオフィーリアが前線に立てば、その隣にはいつも彼がいる。
オフィーリアが賢者となったその日に従者となったジェイ。彼女に20年仕えてきた彼は、彼女と同じく本来の年齢よりもずっと若い姿をしていた。本当の年齢はオフィーリアとそこまで変わらないらしいが、皺ひとつなく、誰かさんとは大違いだ。
彼女の一番近くにいて、彼女と共に暮らし、彼女の身を守る存在。彼は、オフィーリア・バラクを、誰よりもよく知る人物だった。
セレナはオフィーリアの方を見ながら、感嘆のため息と共に口を開く。
「……叔母様は本当にすごい方ですよね。この国の警備を担いながら、教室まで開いて」
「ええ。主人様マスターの実力は、正に神に匹敵するほどのものでしょう。私など、足元にも及びません」
セレナの視線の先を追うようにしてオフィーリアを見ると、ジェイは心からの尊敬に満ちた声で答えた。
「ジェイも叔母様と同じくらいの実力者じゃないですか。羨ましい限りです。……叔母様が王室を出なければ、直接魔法を教えていただけたかもしれないのに……」
セレナは独り言のようにそう言った。
遠回しな言い方で、何故オフィーリアが王室を離れてしまったのかを聞き出そうとしたのだ。
オフィーリアが王室を離れた明確な理由は、記録されていない。“離れた”というその事実か、もしくは彼女のこれまでのことに同情した兄のクラトスが、彼女に爵位を与えて、嫌な思い出が多い王室から離してくれたのだという、本当か嘘か分からないような話は聞いたことがある。
だがセレナは、クラトスは彼女が王室を出ることは許しても、彼が妹に爵位を与えて王室から離したとは思えなかった。
それは、彼らの関係をよく知っているからこその、確信だったのだ。
ジェイの返答を待っていたセレナだったが、なかなか返事がない。
不思議に思ってジェイの顔を見上げたセレナは、彼の顔に思わずひゅっと息を呑んだ。
ジェイの、紫色の瞳が、暗く澱んだ輝きを放っている。その顔からは、笑みも消えていた。彼女の後ろに控えているカレンを見ると、何やら気まずそうに視線を逸らし、青い顔をしている。
魔力持ちは、感情によって瞳の輝きが変わる。
これは、威嚇だ。
これ以上セレナが踏み込んできたら、さてどうするべきかと不穏なことを考えているかのようにも見える。そんな、殺気にも似た圧だった。
「……ジェイ?」
「……失礼しました。そうですね。主人様マスターが王室を捨てなければ、殿下に直接ご助言されることもあったことでしょう」
「……えぇ」
苦笑混じりに答えるセレナ。ジェイの顔には笑みが戻ってきていたが、その瞳の輝きは相変わらず暗い。
「ですが、私はいち従者ですので、それが主人あるじの意向であるならば、従うしかないのです。申し訳ありません」
「い、いいえ……」
ジェイは深々と頭を下げる。その姿に、セレナはむしろこちらの方は申し訳なく思えてきた。
オフィーリアが王室を離れたことについて、ジェイに謝られる道理はない。謝らないでください、と言うようにセレナは胸の前で手を振った。
「王女殿下。僭越せんえつながら、自分が魔力放出の指南を務めさせていただいでもよろしいでしょうか?」
ジェイは頭を上げると、穏やかな顔でニコッと笑いながらそう言った。
先ほどの顔との差を比べて困惑しながら、セレナは努めて冷静に答える。
「えぇ、では、よろしくお願いします」
「御意」
ジェイは短く答えると、セレナの正面から彼女の両手を掴み、水晶玉を握りしめている彼女の手に自分の手を添えるような体勢になった。
「……では、集中して。ゆっくりと自分の中の魔力を引き出していきましょう」
優しく助言する彼の様子に、先ほどの面影はもうない。
ジェイの言葉に耳を傾けながら、セレナの心にある言葉が引っかかった。
……『王室を捨てなければ』。
ジェイは確かにそう言った。
オフィーリア・バラクが王室を捨てたという記述は、これまで読んできたどの書物にも、今まで聞いてきたどんな話にもなかった言葉だ。
あくまでセレナが聞いていたのは、『王室を離れた』という、その一言。人によってはどちらも対して変わらないと思うかもしれないが、『捨てた』ことと『離れた』こととは、大きな違いがある。
しかもそれが、オフィーリアの意向だったとも言っていた。
本当に王室を捨てたのならば、彼女が現王の命令に従う必要はないはずだ。自分の意思だったのなら、尚更だ。例えば彼女には一人息子のクラニオがいるのだが、彼を人質に取られていたとしても、彼女ほどの実力者ならばそんなことは何の問題もなかったはずだ。
そもそも本当に王室を捨てたのならば、公爵になどならずに息子を連れて国を離れてしまえばよかったのだ。彼女は権力に固執するような人間ではないし、何よりそうするだけの力があるのだから。
セレナは混乱した。
だが、確信した。
その言葉は、氷の王女の真実を知る、重大な鍵となると。
その言葉の裏を知れば、きっと氷の王女の真実に辿り着けるはずだと。
セレナはそう思いつつ、訓練に集中を傾けた。
「…………」
セレナの顔を見下ろしているジェイの顔からは、再び笑みが消えていたのだった。
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