第1章 黒い影①

「魔法とは、己を映す鏡である」


 広い大広間に、女性の冷たい声が響き渡る。

 大広間には、セレナとその後ろで控えるカレンを含め数名の子供のたちが集まっていて、先ほどまで落ち着きなくソワソワと辺りを見渡していたり、近くの者と談笑していたりと少々騒がしかったが、その冷たい声で一気に静まり返った。


 一同の視線が、一気に声のした方へ向けられる。

 白銀の、腰まで長い長髪。黄色よりも金色に近いその瞳は、神族の始祖であった神と同じ特徴であるとされていることから、彼女ような目を持つ神族は“先祖返り”と呼ばれている。


 髪色と同じ白生地に、金の刺繍があしらわれたエンパイアドレス。5月だというのに冬物の、裏地が赤色で引きずるほどに丈の長い黒のマントを羽織って、中央階段の上に立っている。

 一方のセレナの方は、外出用に用意していた紺色のミモレ丈のドレスに、腰には白いベルトをしていた。


 赤も黒も、本来は魔族の色として忌み嫌われている色だ。それを、まるでなんでもないかのような涼しい顔で着こなしているその女性こそ、レヴィン王国の三大賢者の1人にして、“氷の王女”。オフィーリア・バラクだ。


 今年で41歳になるはずのオフィーリアの顔には皺ひとつなく、20代かと疑うほどに美しく若々しい姿をしていた。

 それは恐らく、魔力持ち特有の体質によるものだろう。


 魔力持ちは、元々魔力容量が多ければ多いほどに老けにくく、怪我の治りも早くなり、病にもかかりにくくなる。三大賢者の1人であるオフィーリアの魔力容量が多いのは、誰もが知っている事実だ。故に、彼女がいつまでも若々しい姿であり続けていることにも、納得がいく。


 銀髪に似た灰色髪の従者に手を引かれながら、オフィーリアはゆったりとした足取りで階段を降りる。

 その優美な姿に、セレナは思わず見惚れてしまった。


 ……私の憧れ。


 その黄金の瞳は、まさしく氷の王女と呼ばれるに相応しく、冷たくて鋭い。彼女のその目に少しでも睨まれれば、恐れのあまり凍りついてしまうような輝きを放っていた。


 ——“魔法とは、己を映す鏡”。


 月に2度、魔力持ちの子供たちのために無償で開かれている『魔力教室』の始まりに、彼女が必ず口にする言葉だ。


 オフィーリア・バラクは、賢者となった20年前に王室を離れ、“バラク”という姓を名乗って公爵家の当主となった。

 王城から離れた民家の端に“トレゾール邸”を構え、たった1人の従者を連れて移り住んだのだ。


 いくら半端者の王に利用されていたとはいえ、国にとっての大罪人である魔王の元妻を王室の監視の外に出すなど、と、当然誰もが反感を抱いた。

 そこでクラトスは、王室が彼女を監視下に置いていることの証明として、オフィーリアと従者の契約を交わし、国の全ての警備を彼女に任せた。


 王都テオスは、街全体を巨大な壁で囲んでおり、街への出入りにはトレゾール邸が目の前にある大門を通る他ない。

 だがそこには、オフィーリアが魔法で動かしている警備用の傀儡人形と、厳しい身体検査の義務がある。その上、それらをクリアして大門を抜けることができたとしても、すぐ目の前にはオフィーリアの住まう屋敷があり、また街の至る所でオフィーリアや他の賢者たちが動かしている傀儡人形が徘徊している。偽装は不可能、少しでも邪な心を持って踏み込んだら最後、オフィーリアを含む賢者たちに見破られ、捕らえられる。


 それらの全ての責任をオフィーリアに一任することで、クラトスは彼女を手中に納めていた。


 さらにクラトスは、彼女にある程度の自由行動を許す代わりに、次代の魔法使いを訓練するという役割と、戦いの場においては彼女が最前線に立つように、という義務も与えたのだ。

 もちろんこれらによる一定の給与は与えられる。魔力教室に関しては、教室に通う者たちからは金をとっていないが、教室運営のための資金を国からもらうという形をとっていた。様々な仕事を一手に担う彼女は、普通の貴族が稼ぐ金額より少し多いほどには稼いでいた。


 こうして国は、彼女を拘束しない代わりに様々な仕事を与えることで、彼女に目に見えない首輪をはめていたのだ。


 ちなみにこの教室の名前が『魔法教室』ではなく『魔力教室』なのは、ここでは魔法の訓練は一切行わないからだ。

 彼女曰く、魔法にはそれぞれ流儀があり、教える人間によって、もしくはその人間の得手不得手によって大きく変わってくる。どの流儀が自分に合うかは人によるので、1人の人間がそれらを全て教え切るのは不可能なのだという。

 ただし、魔力のコントロールのみならば、1人でも教えきれるのだという。これにもいくつかやり方はあるのだが、魔法ほど数多の流儀があるわけではない。


 オフィーリアは階段を降り切ると、辺りを見渡した。

 集まった子供たちは、6歳から10歳前後の少年少女7名と、セレナの計8名。元々1回の訓練で受け入れている人数は10名と限定されているので、少人数ではあるが、身分は平民から貴族と幅広い。


 オフィーリアは身分の差で人を判断しない。平民でも貴族でも、素質がある者は褒めるし、助言が必要な者には多少厳しくても助言をするのだ。

 だが、初めてこの場に来た子供たちは、見慣れない服を着た見慣れない子供たちと同じ空間にいるので、戸惑って辺りをソワソワと見渡してしまうのだ。

 セレナも、初めて平民の、少し汚れていたり擦り切れていたりしている服を見た時、ひどく驚いた。彼女にとって服は、1日に何度も着替えたり、少しでも擦り切れたり汚れたりすれば処分して新しいものを買うのが当たり前だったから。


 だが、そんな彼女も今は、服装とはまた違う理由で注目される対象となっている。


 比較的若い年齢層の中で、今年16歳の彼女は明らかに浮いていた。時折子供の視線が自分に向けられるのを感じて、セレナはいたたまれなくなるのだ。

 だが、それも仕方ない。セレナは魔力のコントロールが苦手だった。


 オフィーリアは子供たちの顔を1人ひとり見るように見回してから、再び口を開く。

「…私がお前たちに教えるのは、魔力の扱い方だけだ。それは魔法を扱う際にももちろん役立つが、何より、お前たちがこれから経験する第2覚醒にも大いに役立つ技術だ」

 セレナはこの手の話を、もう10回以上聞いてきた。


 魔力持ちは、2度の魔力覚醒を迎えることになる。

 第1覚醒は、一般的に自我が確立する3歳頃からで、この時は特に問題なく覚醒を迎えることができる。この頃はまだ、魔法と呼べる魔法は使えず、できることは自分の魔力を引き出したり、自分や他人の魔力の流れを見ることだけだ。


 しかし、この頃からある程度魔力をコントロールする術を身につけておかなければ、次の覚醒を乗り切ることができないのだ。


 早くて10歳、遅くても15歳には訪れる第2覚醒には、激しい苦しみと痛みが伴い、数日は高熱でうなされることになる。

 自分の身の内にある魔力の“声”を聞き、自分の魔力を自分なりの方法で制御する。それができなければ命に関わることになり、逆に乗り越えれば、本格的に魔法を扱うことができるようになるのだ。


 テオスにいくつかある4年制の魔法学校は、第2覚醒を終えた魔力持ちが、年齢に関係なく在学している。ここに集まっている子供はまだ魔力覚醒を終えていない子供たちだが、それでも少なくとも、セレナのように16歳になってまでここに通っている者はいないだろう。


 だが、すでに10数回この教室に通っているセレナには、まだ第2覚醒が訪れていなかった。


 決して、魔力量が少ないというわけではない。それはオフィーリアに直接魔力測定してもらったので、分かっている。にも関わらず、覚醒が起こらない。そのため彼女は、リミッターを付けていない。必要がないからだ。

 よく見ると、オフィーリアの耳には赤い魔石のピアスがついている。リミッターは、第2覚醒を無事終えた魔力持ちが、その祝いに親や師からもらう贈り物だった。


 オフィーリアは話を進める。

「我々が持つ“魔力”は、いわば己自身だ。己の心次第で、いかような姿にも変えられる。だが、危険も伴う力だ」

 オフィーリアは再び辺りを見渡してから、一呼吸置いて子供たちに問いかけた。

「お前たちの中で、魔法は万能であると1度でも考えたことのあるものは、手を上げろ」


 突然の質問に、一同がザワザワと騒ぎ始める。

 皆、質問の意図が分からず、困惑している様子だった。だが、セレナはこの手の質問も、既に何度も聞いていて、その答えも尋ねた意図も知っていた。特に動じることもなく、子供たちの様子を見守る。


 少し間を置いてから、ほとんど全員が恐る恐るといった様子で手を上げる。

 オフィーリアはそれを見て、「そうか」と呟くと、子供たちに手を下げるように促し、話を再開した。

「…確かに、魔法は万能に近い。奇跡と言っても過言ではないだろう。……だが、何でもできるからこそ、してはいけないこともある」


 できるのに、してはいけない……?


 ここにいるほとんどの子供が、それに疑問を持ち、ザワザワと騒ぎ出した。

 まだ難しいことを全ては理解できない彼らには、オフィーリアの言葉は難解だっただろう。


 話を続けようと、オフィーリアがすっと手を上げると、その様子に気づいた子供たちが少しずつ静かになっていき、やがて声は消えた。

 完全に静かになるのを待てから手を下ろすと、オフィーリアは説明を続ける。


「先ほども言ったが、魔法は己を映す鏡だ。鏡に必要以上に力を込めたら、どうなると思う」

「……壊れる……?」

 オフィーリアの目の前にいた9歳ほどの平民の子供が小さな声でそう答えると、オフィーリアはその子供の方を向いて首肯し、口を開いた。


「その通り。魔法とは繊細なものだ。そのため我々には禁止事項や、守らねばならない決まりが山ほどある」

 そう述べると、オフィーリアは自分の目の前で手を開き、そこから魔法の氷を出現させた。

 彼女が最も得意とする、攻撃型の氷系魔法だ。


 シャンデリアの灯りに照らされて、まるでクリスタルのようにキラキラと光るそれを、手の中で弄ぶようにしてくるくると回している。

 その姿に、子供たちの間から感嘆の声が上がった。

 そんな子供たちの反応を無視して、彼女は言葉を続ける。


「魔法は、術者の望みや願いを映し出す鏡。詠唱や魔法陣はや杖は、術者が自分の望みを分かりやすく、明確にするための手段や道具。魔力は自己だ。自己を制御できなければ、飲み込まれる。だから我々は、自分にできる限界以上を求めてはならない。一歩間違えば、この世さえも飲み込んでしまう。我々の力は、そういうものだ」

 厳しい口調と共に、彼女の手の中で金属音のような高い音を立てて氷が砕け散る。

 脅しにも似たオフィーリアの言葉に、この場にいるほとんどの子供たちの顔が青くなり、怯えるような表情を浮かべた。だが、彼女が口にした話は脅迫でもなんでもなく、まして大袈裟に言っているわけでもない。実在している歴史を元にした、忠告だ。


 実際、自身の魔力に心を飲み込まれて、命を落とした魔力持ちが過去に何人も存在しいている。その時は幸い、国を巻き込むような事態にはならなかったそうだが、それでも、一歩間違えば周りを危険に巻き込まんばかりの暴走ぶりだったらしい。


 巻き込んだ後からでは遅い。失ったものは、取り戻せない。


「魔力を制御するには、まず己を知ることだ。私の教室では、魔力を通して自分自身を見つける、ということを覚えてもらう。……素質があれば、すぐにでも魔力の声を聞き、己を知ることができるだろう」


 “素質があれば”という言葉に含みを感じたが、セレナはそれに気づかないふりをした。

 何やら一瞬こちらを見たような気もしたが、それもきっと気のせいだろう

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る