あなたに会いたい 〜ただひとりの人〜

早沙希貴志

プロローグ



——昔々、とある国に心優しい王女がいました。


 絵本『オフィーリア』より抜粋。


『昔々、とある国に白く美しい髪と黄金の瞳を持った心優しい王女がいました。

 王女はその優しさと美しさから、多くの人たちに大切にされてきました。


 それだけではなく、王女は国一番の魔法使いでもあったのです。

 子供の頃からたくさんの魔法を使えた王女は、その力で病気や飢えで苦しむ人々を救ってきました。


 しかし、王女が16歳の時、王と王妃が亡くなってしまうという、悲しい事故が起こり、国中が悲しみに包まれました。

 王女も悲しみ、毎日涙を流しました。ですが、王が死ねば、国は新しい王を決めなければなりません。


 王女には兄と姉がいましたが、事故の日に行方不明になってしまい、国には王女と王女の伯父しか残っていません。

 次の王になったのは、王女の伯父でした。

 まだ若い王女は、女王になることはできなかったのです。

 しかし、新しい王にはとある問題がありました。それは、彼が神と悪魔の両方の姿を持った、“半端者”だということです。


 半端者の王は人々から嫌われ、恐れられました。

 それに怒った半端者の王は、悪魔と契約し、国に混乱を巻き起こしました。皆に恐れられた半端者の王は、恐怖によって皆を支配しようとしたのです。

 自分の怒りのために悪魔を利用した王は、のちに悪魔たちの王、“魔王”と呼ばれるようになりました。

 そんな魔王は、心優しい王女を無理矢理自分の妻にして、さらなる富と力を手に入れようとしました。 

 飢えと病に苦しむ人のために使っていた彼女の力は、魔王の欲のために利用されることとなったのです。


 数年後、魔王はとうとう国民の怒りを買いました。

 ある日、行方不明だった王子が反乱軍をつれて城に攻めてきたのです。


 これまで散々王に虐げられてきた城の衛兵たちは逃げ出し、追い詰められた魔王は自分の妻を人質にしてどうにか逃れようとしました。

 しかし、悪は必ず裁かれるもの。とうとう逃げきれないと観念して、魔王は自ら命を絶ちました。


 魔王と無理矢理結婚させられ、これまで散々利用されてきた王女の心は、冷たい氷のように凍りついてしまっていました。

 次の王となった王女の兄は、妹を心配して言葉をかけましたが、完全に凍りついてしまった王女の心を溶かすことはできません。


 笑顔が消え、優しさも消えてしまった王女は、次第に人々から“氷の王女”と呼ばれるようになったのです』



 ふぅ、と一息ため息をこぼすと、少女は絵本をパタン、と閉じた。

 この、レヴィン王国の首都テオスで、10年ほど前から流れ始めた子供向けの絵本。タイトルは、『オフィーリア』。

 この物語は、今もこの国に実在している氷の王女、オフィーリア・バラクの実話を元にして作られた作品だ。タイトルは、彼女の名前から取って付けられた。


 冒頭で、かなり昔のことであるかのような始まり方をしているが、実際はそこまで昔の話ではなく、今から20年ほど前の出来事の話だ。

 今年で16歳になる少女はもちろん生まれてない時の話なので、昔と言われれば昔だが、『昔々………』と、まるで数百年前であるかのような大袈裟な書き方をされるほどではない。


 反乱を起こして王になった王女の兄は今も王位に就いているし、今では結婚もして妻と子が1人いる。氷の王女となったオフィーリアは、今では偉大な魔法使いとして名を残す三大賢者の1人だ。


「……どれもこれも、似たような内容ばかりね」

 呆れるような少女の声が、部屋全体に響き渡る。この書庫は元々よく音が反響するので、独り言もよく響くのだ。


 国王が1日を過ごすロワ宮の書庫には、国の様々な歴史が記された書物や、娯楽書など幅広いジャンルの本が取り揃えられている。王城の中で最も大きな書庫だ。

 その部屋の中央の長ソファーに腰掛けていた少女は、目の前のローテーブルに半ば乱暴に絵本を置く。そのテーブルには、辞書並みに分厚い歴史書が3冊と、絵本のような厚さの本が『オフィーリア』を含め3冊積み上げられていた。


 少女の名前は、セレナ・レヴィン。毛先を少し巻いた肩まで長い純白の髪に、父親そっくりの垂れ目は月明かりのような黄色い瞳をしている。

 華美な服装を好まない彼女が身に纏っているのは、薄桃色のロングスリーブに襟シャツのラAラインドレス。腰のラインを締めているベルトの他には装飾品の一切ない、シンプルなデザイン。だが、その素材は上質なシルク生地で、貴族や王族が身に着けるような類のものだ。


 それもそのはず、セレナの父はこの国の王、クラトス・レヴィンだった。


 白い髪に黄色い瞳。これは、この国では古くから神の末裔であると信じられている“神族しんぞく”と呼ばれる種族の特徴だ。

 ちなみに絵本にも登場した“神”は、神族を表しているが、“悪魔”は、実際のそれではなく、悪魔の末裔とされている“魔族まぞく”と呼ばれる種族を指している。

 魔族は、テオスから馬車で丸1日はかかる距離にあるディアヴォロスに住んでおり、彼らのテオスへの立ち入りは王により禁じられいていた。


 神族と魔族は、気が遠くなるほど昔から冷戦と熱戦を繰り返していて、今も対立している。理由は時代によって異なるので、対立の始まりとなった歴史を知っている者はいない。昔から「魔族は悪魔のような生き物だ」という考えがテオスの人間の中にあるが、対立の始まりとなった歴史は、どの歴史書にも記録が残っていなかった。とはいえ、当時扱われていた書類の署名に、その名前が刻まれてはいるのだが。


 セレナはグーッと背伸びをしてから、再び深呼吸に似たため息を漏らす。


 王の一人娘である彼女は、4年後には彼女の従兄弟にあたる男性と政略結婚をして、次の王になる未来が決められている。幼少の頃から様々な知識と教養を身につけることが求められてきたセレナは、『オフィーリア』の絵本はもちろん様々な歴史書にも目を通してきた。

 本当に小さい頃は、疑いもなく信じてきた『悪魔と契約した魔王を倒した正義の国王』のお話。が、様々な歴史書を読むようになるにつれて、セレナはその物語に疑問を持つようになっていた。


 国一番の魔法使いだったオフィーリア。そんな強い王女が、いくら『心優しい』からとはいえ、望まない結婚を強いられて黙っているなんて不自然だ。

 結婚生活に何があったのかは知らないが、魔王の死後“心優しい王女”が“氷の王女”になった。だが、一体何が彼女の心を凍らせたのか。明確な理由はどの歴史書にも記述がない。

 一説には、魔王に自由を奪われていたとか。魔王の死後、魔王が契約していた悪魔を倒したため、その悪魔の呪いを受けたとか。信憑性が定かではないものばかりだ。


 それに、行方不明になっていたというオフィーリアの兄クラトスと、姉。その失踪の理由も不明確だ。

 クラトス王子と、彼の双子の妹が行方不明になったという記録は残されている。だが、その双子の妹……オフィーリアにとっては姉にあたる……の名前だけが、不自然に消されているし、失踪の理由も誘拐だの、それぞれ同時にとある異性と駆け落ちしただの、双子の妹の方は既に死んでいるだの、これまた信憑性に欠けるものばかり。


 どの歴史書も、まるでよくある御伽噺のような内容ばかりだ。魔王と呼ばれた男の名前すら、どの書物にも残されていない。

 ……何故。それらの名前が残っていると、何か不都合があるのだろうか。


 セレナは確信していた。この歴史には、何か大きな秘密があると。

 それを知るために、城中の歴史書を読み漁り、1年ほど前から調べを続けてきていた。今日も、その目的でこの場に足を運んでいたのだ。


 その時、書庫の扉がゆっくりと開かれた。

 ロワ宮の書庫の扉は分厚く重いため、外からノックしても中の人間には聞こえない。なので、ノックなしで扉が開くのはいつものことだった。


 扉を開けた人物は、未だそちらに気づいていないセレナを見つけると、中に入らないまま口を開く。

「こちらにいらしたのですね、セレナ様」


 年配の女性の、低くおっとりとした声。半ばぼうっとしていたセレナは、ビクッと肩を震わせて扉の方を見た。


 緑色の瞳。白髪混じりの赤毛を頭の後ろでぴっしりとまとめ、耳には白く丸い石のピアスが付いている。服装からして侍女だが、本来侍女は結婚指輪でない限り装飾品を付けることは禁じられている。だが彼女のそれは、装飾目的で付けているものではない。体の中の余分な魔力を吸収し、外に放出されるのを防ぐ効果を持つ、魔封石で作られたピアスで、いわゆるリミッターの役割を果たしている魔法器具だ。


 60間近になるその女性の名は、カレン・ボアルネ。この城で40年働きつづけてきたベテランで、侍女の中では唯一の“魔力持ち”だ。

 そんな彼女は、プランセス宮の侍女長でありながら、セレナの世話役も担っている。

 ちなみにセレナも魔力持ちだが、カレンのようにリミッターを付けていない。同じ魔力持ちでも、リミッターが必要な者とそうでない者とがいるのだ。


 カレンの左頬には、刻み込まれた皺のおかげであまり目立たないが、若い頃の事故で負った火傷の跡がある。その火傷のせいで嫁ぎ先が見つけられなかった彼女を、当時の王太子妃が拾って自分の子の乳母に任命したらしい。

 カレンは、自分を拾ってくれた王室に感謝し、その王太子妃が死んだ今でも、生涯独身を貫く覚悟で王室に仕えていた。


 カレンの姿を見て、セレナは安堵の笑みを浮かべる。

 セレナにとって、カレンは実の母か祖母のような存在だった。


 実の母である王妃サラは、夫であるクラトスと愛のない政略結婚により生まれた娘に愛情を抱けずにいた。魔力持ちを恐れているからというのが理由のひとつではあるだろうが、それよりも、自分を全く愛してくれない夫とセレナが顔も性格もよく似ているから、というのが最も有力な理由だ。

 祖父母は両家とも鬼籍に入っているので、セレナには祖父母と呼べる者がいない。なので、生まれた頃から自分を育ててくれたカレンが、セレナにとって母親代わりであり、祖母代わりだった。


「なぁに?カレン」

「お取り込み中失礼いたします。そろそろお時間です」


 表情はいつも通り優しく微笑んでいるが、少し嗜めるような声で言われて、セレナは部屋の壁がけ時計に目をやった。

 時計の針は、もう時期14時だ。次の予定が15時なので、急いで外出用の服に着替えなければ間に合わない。ドレスは脱ぐだけでも一苦労なのだ。

 セレナは慌てて立ち上がった。


「いけない、忘れてたわ。カレン、片付けを手伝って」

 セレナの言葉に、カレンはにっこりと笑って首肯する。右手の人差し指をピン、と立てて、まるでオーケストラの指揮者のように指を動かした。

 すると、その指につられるようにして本が浮き上がり、元あった本棚へと自分で収まっていく。


 ……魔法だ。


 セレナの心の中に、モヤモヤとした影が降りてくる。彼女はその正体に、気づかないふりをした。

 全ての本を片付け終わると、カレンは優しい笑みを浮かべる。


「……さぁ、セレナ様。お支度を致しましょう」

「……うん、ありがとう」

 セレナは頷きながら答えると、カレンと共に書庫を出る。低い音を立てて閉まる扉を背に、セレナは心の中で呟いた。

 ……せめて、あれくらい使えれば。



 誰もいなくなった静かな書庫。その中には、魔力持ちしか読むことができない魔法書が置かれている棚がある。

 その棚の隙間で、息を殺して潜んでいるひとつの影があった。

 黒いマント、黒い服に、黒い髪。そして、赤い瞳。


 それは、魔族の特徴だった……。

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