ビギナーズ・ラック・スティール
1.木漏れ日差す林道
ゆっくりと目を開けると、そこにもう猫像の姿は無かった。
代わりに目に入ったのは懸命に涙を堪えながら私を見下ろす少女――フィン。
目が合うと、彼女は体格差があるにも関わらず少し痛みを感じてしまうくらい……ぎゅっと私を抱き締めた。
「よかった……! おにい、ちゃん……」
随分と心配させてしまったようだ。私は軽くフィンの頭を撫でる。
「すまない。もう……大丈夫だ」
ラグの世界――それが何かは私にはまだ分からない。ただ、まるで時そのものが止められていたかのように、状況は全く変わっていなかった。
僅かな体力から肩で息をするスイちゃんとミカンさん。動きを止められ悔しそうな表情を見せる男。
「――っ! なんだァ、今のは……」
スタンが解けた男はすぐにこちらに襲い掛かって来ず、しきりに周囲を見渡していた。私たちに他に仲間がいると警戒したのだろう。
私はフィンをそっと引き離すと、毒が解けたボロボロの身体で立ち上がった。
「チキン」
「今の……それより、だ、大丈夫なんですかっ!?」
「ああ。ありがとう、みんな」
男は他に誰も居ない事に気付いたのだろう。私を見ると口の中で苦虫を潰したような顔をする。
「まだ立てンのかよ。……メンドクセェ、いい加減お前メンドクセェよ!!」
男が鎌を振り上げる。「だ、だめです! もう体力が……」遅れて聞こえる仲間たちの声。
しかし私は盾を構えない。今やるべきことはまず、なるべく男と距離を詰める事だ。
だからそのまま直進し……ふむ。目の前まで来てしまった。どうやら相当舐められているらしい……。
「そんなに死にたきゃ殺してやるよッ!!」
それから当たり前のように黒い刃が迫る。
ふむ。このままでは、恐らく盾を構えようが問答無用で死んでしまうだろう。だから。
……ヴォイドで言われたこと。スイちゃんが信じてくれたもの。私がこの男に勝てる唯一のこと。
それは
「……あ?」
気の抜けた間抜けな声。
私の頭上を黒い刃が通り過ぎる。大きな風が舞って、前髪を少しだけ揺らした。……それだけだ。
「ふむ」
私は盛大に攻撃を空振り呆気に取られている男の情けない顔を見上げ、にやり、と。
自分でもハッキリと嫌な顔をしているのが分かるくらい――余裕の笑みを見せつけて、言った。
「なるほど。どうやら、お前は私に勝てないらしい」
……男の顔がみるみる真っ赤に染まる。なにか怒号が聞こえて、同時に私は
「はァ!?」
まさかまた避けられるとは思わなかったのだろう。勢い余って鎌を地面に突き刺してしまい、後隙の出来た男。
私はその顔面を渾身の力を込めて――ぶん殴った。
「がっ……!?」
普通なら何ともないだろう男の身体、しかし気が動転したまま鎌を力んで引き抜こうとしていたのだろう。その勢いも合わさって結構盛大に飛んだ。
だが、所詮ただの拳だ。大したダメージにはならない。しかし、これは既に重要な役割を果たした。
「て、てめェ……! 何を、しやがった!?」
「何って、見て分からないのか? 殴ったんだ。私の仲間と……今まで騙して来た冒険者の想いを込めて」
「ふっ、ざけンなコラァッ!!」
次は左へ。するとすぐ右を風の刃が通過して、男はまた驚愕の表情を浮かべる。
それは他の皆も一緒のようだった。
「……ふむり」
「チキンさん、いったい……どうやって!?」
なぜこんなことが出来るのか?
……猫像の少女が言ったように、私の戦い方は確かに間違っていたのだ。
だって、こんな奴の攻撃をまともに受け止めていたら……レベルや装備の差で圧倒されている相手の攻撃を真正面から受けて、勝てるわけないじゃないか。
だから――
「み、見切れるハズがないッ! 俺はレベル70のアサシンなンだぞッ!?」
そう、見切れるわけがない。私たちの差は、運だ。
【ビギナーズラック】……その力は確かに幸運をもたらす。常人では無し得ない圧倒的なレベルまで。
「クソッ!! ――
怒り狂った男が闇雲に鎌を振るう。
腕。足。首。腰。膝。肘……その度に適当に身体を動かす私は、傍から見ればへたくそな踊りを披露しているように見えるだろう。もちろん、それに合わせようとする男の動きも合わせて。
演奏は空を切り続ける鎌の音。そこに男の虚しい絶叫とも似たコーラス……さしずめ、小さな森の醜い舞踏会といったところだろうか。
「嘘だッ! こんなの、嘘だァッ!!」
よほど悔しく、理解できないからか男の目は血走っている。
……そろそろ、じゃないか?
思い立った私は思い切り跳躍する。もちろん、男の鎌も遅れてその後を追ってくる。
そうやって少しずつ位置をずらして、なるべく皆との距離を取るよう私は後ずさった。その間、一度として男の鎌は私を引き裂く事なく消耗する。
やがて私の後ろには大きな一本の樹が並んだ。後ろに退けなくなってようやく、その足を止める。
「……お前だけは、絶対にコロスッ!!」
そうすればもちろん男の殺意全開の攻撃が飛んでくる。それを……簡単にしゃんがんで避ける。頭上を横薙ぎにして黒い刃が飛ぶ。
もちろんそんなの男も織り込み済みだ。いい加減学習したのだろう、すぐさま返しの刃を振り下ろす――はずだった。
「…………は?」
しかし、彼の手に黒光りする暗殺者の凶器は――幾度も純粋な冒険者やNPCを屠って来た恐ろしいその姿は、無い。
大木に攻撃を吸われ無残に刃が散ったただの棒きれは、すとん、と私の構えた盾に弾かれた。
「あ、え?」
「【シールドバッシュ】」
からからと音を立てて転がった棒切れ。それを信じられないものを見る目で追う男の横顔を、そのまま盾で殴りつける。
「ぶ」
そうして私は立ち位置を入れ替えるように移動し、男を見下ろした。
彼は呆然としたまま言う。
「……なんで? だって俺、修理を」
スタンから回復しても男は動かない。動けないのだ。武器で散々人を脅して来た盗賊団の長は、それを失ってただの人となる。
【武器損傷】。
武器の耐久値が低いほど壊れる
だが、こればかりは私の運がいくら良かろうと難しい話である。しかし、その逆……相手の運が悪ければどうだろう?
「
不思議な猫像。彼女に触れられた時、まるで直接知識を流し込まれたかのように与えられたスキルの効果を理解した。
『直接触れた相手から運気を極限まで吸収する』――
焦っただろうな。私に殴られ……急に何もかもうまくいかなくなってしまったのだから。
これはただ、『運が良い者』と『運が底を尽きた者』との戦い。途中から……行く末は決まっていたのだ。
「君たち! 大丈夫かいっ!?」
「さあ、早くこっちへ!」
「みんなボロボロじゃない! この、盗賊団め!」
「今日こそコイツらを逃がしはしないぞ!」
……背後からそんな喧騒が聞こえてくる。
男から距離を取り引き付ける時間が出来たので、無事に助けを求めることが出来たのだ。さすが皆。信じて良かったと思う。
やがて救援に来た高レベルの冒険者たちが男を取り囲み、彼は弱々しく項垂れる。
怒号と歓声とが入り混じった騒がしい人の集団の先には、守りたかった仲間たちがいた。
私は彼女たちに手を振り、少しだけ振り返る。
「……」
他者を傷付ける覚悟。それは生半可な物では、無かった。
でも……今はただ、ようやく助けになることが出来た仲間たちと、また一緒に旅がしたい。
だから、もう振り返る事は無かった。
四人で足を揃えて、ただ存分に互いの無事を喜びあうだけでいい。また食事の席を共に囲んで、財布を空にするくらいが丁度いい。
私たちは――――勝ったのだ。
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