第2話

 さて、夜である。砂虫ムカビをかじり、木の根を吸い、ひとまずの腹を満たしたエルガは、すやすやと寝息を立てている。

 座ったまま、槍を抱えているところは、まさしく武人であった。

 ジアンはそっと立ち上がると、エルガの頭上から四方を指さした。白い光の粒が八つ現れる。ジアンが腕を引くと、点と点がつながり、直方体となり、エルガを包んだ。

 これで、主になにか危機迫れば、わかるであろう。

 むろん、みすみす危険な目に合わせる気はないし、エルガは腕の立つ武人だ。遅れをとることはあるまい。ただ自分がいやなのであった。

 

 ジアンはあたりを散策する。

 来た方角には、しるしをつけてある。自分の力の痕跡をたどり、そこへ辿り着く。

 その時、自らの跡の光以外に、光っているものを見つけた。

 ――火だ。

 暗闇の中、火が揺らめいている。

 ――人がいる。その人間が、焚火を炊いているようだった。

 影を確認し、ジアンは息をつめた。

 一歩、一歩、近づいてゆく。警戒しながら、――警戒させないように。

 

「旅の人ですか?」

 

 近づききる前に、老女は、ジアンに尋ねた。誰におもねるでもない、空に向かって放られたような声だった。

 

「座っていきなさい」

「すまぬが、長居は出来ぬ」

「構いませぬ、聞いてくれるだけで……」

 

 老女は、枝で、焚火をかき分けた。ぱちぱちと爆ぜる音が、あたりに響く。いっそう静かだった。

 

(これが奸術であれば、油断はできぬ)

 

 ジアンは、エルガのもとの結界式を探った。誰にも干渉されていない。

 それならば、ここで話を聞くことが、鍵になるであろう――そう考え、腰を老女の対面に落ち着けた。

 

「ここは、どこですか」

「ここは、ハバルです」

「ハバル……?」

「すでに滅んだ国の名です」

 

 ジアンの引っかかりに気付き、老女は答えた。そうして、また焚火をかき回す。赤い炎が、夜の闇をちろちろと舐めた。

 

「ハバルは、千年続く夢の国と呼ばれました」

「……何故、滅んだのです?」

 

 この話を聞かねばならない。何故か、ジアンの本能がそう告げていた。

 老女は顔を上げた。碧の目に、火と、ジアンの影が映る。

 

「王家が滅んだからです」

「病、戦にて国みだれ、怒れる民は王族を滅ぼしましたが……」

「彼らは、国治めることかなわず、自ら滅んでいきました」

「ふむ」

「何故、それほどに王族が怒りを買ったか、わかりますか」

 

 老女は、ジアンに尋ねた。

 

「戦禍、病の程度が大きかったからですか」

「いいえ」

「では、王族が愚かであったのですか?」

「……いいえ」

 

 ジアンはちりっと肌に熱が襲ってきたのを感じた。老女は怒っている。

 

「何故です?」

 

 ジアンはさっと尋ね返した。こういう手合いは長引かせないに限る。

 

「王女が理を曲げる存在であったからです」

「理……」

 

 どういうことか、ジアンは老女を見つめた。

 火は燃え、老女の皺だらけの顔を照らし、影を深く刻ませていた。

 老女は焚火を見ていた。そして、空を見上げた。どこか遠いところを見ているようだった。

 

「あなたは若いですね」

「は?」

「まだ、永く生きられる……」

 

 老女は、す、と枯れ枝のような指を、ジアンの胸元に向けた。

 そうして、何か描く様に、空をなぞった。

 

「……オリフィス」

 

 ジアンはその形状を推測し、述べた。老女は、静かに見つめた。碧の目は、作り物の様に、美しかった。

 

「われらは、砂時計と呼びました」

「ハバルの民は皆、砂時計を――寿命を見ることが出来たのです」

 

 にわかに信じがたい話であった。砂時計を、ジアンは知っている。時を示す砂の置物だ。

 

「外のものには、理解しがたい話やもしれませんね」

「ですが、ハバルの民は、自らの、他者の寿命を見ることが当たり前でした」

 

 老女は、遠く、夢を見ている様な目をしていた。

 

「自らの天命を知り、他者の寿命を知り、であるからこそ、愛しみ慈しんで生きられる……」

「ハバルのものはみな、そう信じていました」

「だから、王女が許せなかったのです」

 

 理……ジアンは、口唇の内で、言葉を反芻した。

 

「王女には、砂時計が見えなかったのですか?」

「見えました」

 

 老女は悲しい顔で、首を振った。妙に、実感のこもった言葉だった。

 

「王女の砂時計は、砂を落とさなかったのです」

 

 その時の老女の目を、何とたとえよう――石のように無機質で、火のように燃えていた。

 ただならぬ怒り――ジアンにはそう感じた。

 老女は、言葉を続ける。

 

「王女は、幼い頃より病弱でした――

 

「このままでは、二十の時を越えられますまい」

 

 医師の言葉に、王は嘆いた。王妃の忘れ形見。

 娘の砂は、二十どころか、まだ十に満たぬのに、尽きようとしていた。

 

「神よ、私をお救いください」

 

 王は願った。神は答えず……応えたのは、魔女であった。

 魔女は、病にあえぐ王女の胸に、手を差し入れ……砂時計を横に倒しました。

 

「これで、砂が落ちることはない。王女は永く生きられよう」

 

 王女は死の床から、よみがえった。王はこの上なく喜んだ。

 しかし、異変はすぐに訪れた。

 王女が年を取らないのだ。

 五年たてど、十年たてど、王女は十の姿のままだった。

 

「これでは、跡目ができぬ……!」

 

 王は嘆いた。魔女に手だてを問う。魔女笑いていわく……

 

「時に逆らうとはそういうことだ」

 

 と。王は悩んだ末に、魔女に頼んだ。

 

「王女の砂時計をもとに戻してくれ」

 

 しかし、魔女は言った。

 

「それはできぬ。できるものがあるとすれば――天か、天よりも王女を愛したものであろう」

 王は泣き伏した。

 そんなものが現れるわけはない。誰もかれも、王女を進めることは出来ない――と。

 

「何とおろかなことを、神よお許しください」

 

 王女は、それを聞いていたのです。扉の影から……

 老女は目をかたく見開いたまま、話し続けた。

 ひとすじも涙はこぼれない。しかしジアンには、泣いているように見えた。

 

「王女の心に穴をあけるには、十分の言葉でした。年をとらないを気味悪がるものは、王宮内にひしめいていました。まさか、それが実の父まで……父の為に、王女は死の床よりよみがえったのに……」


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