第5話

「結婚したい」


 それは、彼女と暮らし始めて四年目の春、そして今から六年前の春の日のことだった。確かに、そう言った。



「おかえり」


 ドアを開けると、明かりの中で、妻が僕を出迎えた。化粧をしていない顔は少しむくんでいて、ショートボブの髪は乱れていた。紺色のエプロンが濡れている。今日は休みだと言っていたが、それでも慌ただしかったようだ。僕が見つめると疲れた顔で苦笑して、髪をざっくりとかき上げた。


「結婚式、どうだった?」

「うん。うまくいったよ」

「ご飯は」

「うん、食べてきた。咲良さくらは?」

「寝てるよ。パパが帰るまで起きてるって言ってたけど、さっき寝た」

「そうか。ありがとう」


 引き出物を渡す。妻は受け取るとすぐに紙袋を広げて、中身を見た。


「バウムクーヘン」


 そして嬉しそうな声を上げた。僕は、送り主でもないのに少し苦笑して答える。


「定番だけど」

「いいじゃん、久しぶり。ね、今から食べようよ」

「いいの」


 僕は時計を見る。もうそれなりの時間だった。妻は最近節制していたはずだし、二人で抜け駆けなんて、妻にしては珍しかった。


「うん、今日ばたばたしてて、あんまり食べてないから」


 待ってて動いて、おなか空いたよ。

 そう返されると、何も言えなくなる。曖昧に笑い返すと、妻は少し不思議そうな顔をした。


「どうしたの」

「ううん。何でもないよ。着替えてくる」


 僕が否定すると、妻はしばらくじっと僕を見ていたが、にっこりと笑ってくれた。僕は、クローゼットへと向かおうとして、そっと娘の寝室を覗いた。


「手を洗ってよ」


 妻に小さな声でとがめられたが、生返事をして、じっと四歳になる娘を見ていた。

 結婚して、もう五年目になる。あの時、職の面倒を見てくれた人の娘である妻と、僕は結婚して夫婦になった。妻は明るく、何にでも精力的な人間で、仕事でも家事でも、僕を助け支えてくれていた。

 妻に尻を叩かれながら仕事に励み、子供をなして、安定して幸福な日常を送っている。

 眠っている娘の顔は、妻に似ている。僕はそう思うが、妻曰く、娘は僕に似ているらしい。


「親しい人を見いだすのかも。そもそもどっちもまざってるしね」


 妻は楽しそうに笑って言った。娘の顔を見るたび、今の自分の立ち位置を思うたび、これでよかったのだと思う。

 それでもたとえば――こんな結婚式の日なんかには、僕は彼女のことを思い出した。


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