第3話

 僕は当時、公園にいることが多かった。大学進学で上京してきてからこっち、ずっと僕の希望や苦しみを吸ってきたワンルームの部屋に一人でいると、色んなことが頭に浮かんで、おかしくなりそうだったのだ。とはいえ鳩にやるえさもなく、ただぼんやりうなだれていた。

 ある日僕は、向かいのベンチに座っている女の子に目がいった。それは本当に偶然だった。その子は近隣の高校の制服を着ていて、しきりに目をおさえていた。

 その仕草で、泣いているのだとわかった。脇に置いた学生鞄から、ときおりティッシュを取り出しては、じっと目と鼻をおさえていた。真っ赤に染まった耳元には何個もピアスがついていた。僕はその日、声をかけるでもなく、ただじっと彼女を見ていた。

 次の日も、また次の日も、彼女はそこにいた。僕はうなだれ、彼女はうつむき時に泣いていた。

 声をかけたことは、互いに一度もなかった。ただ、奇妙な連帯感だけが、そこにあった。何となく、互いに相手が自分に話しかけるのを待っているような――不思議な空気の緊張と、互いがいることの安心を持っているような、そんな錯覚がはたらいていた。

 彼女と初めて目があった時、彼女は困った顔をしてほほえんだ。僕も笑った。そうして、


「大丈夫?」


 僕の口から、言葉が零れ出た。久しぶりの人間の、人間への言葉。それが全てで、僕らの始まりだった。

 それから時間をおかず、僕らは二人で暮らしだした。どうしてそうまでになったのか、今では全く不思議な流れだったが、奇妙な連帯感から、僕らは互いを他人として見ていなかった。それに尽きたし、それでよかったのだろう。

 彼女は、家にお金の余裕がなくて、大学に行けないと言った。家を出て行って、働かなければならないが、それをするには、彼女は精神を病んでいておぼつかず、何より社会というものに怯えていた。


「私なんかを誰も必要としてくれない。死んだって泣かない。だから死にたい」


 そう言って泣く彼女が、打ち捨てられた僕自身と重なった。僕は、知らず彼女に親身に接していた。そして、どんどん彼女に惹かれていった。

 夜ごと不安に泣く彼女を抱きしめ、あやしてやった。衝動のままに傷つけた腕を、大事に手当してやった。何か僕がいやなことをしたり、精神の均衡を崩したりして暴れたら、一晩中必死でなだめ、狂騒を鎮めてやった。

 それは、僕が誰かにしてほしかったことだった。

 彼女の不安は、僕自身の不安だった。彼女に「大丈夫」と言うことで、僕自身が救われたかった。けれど同時に、僕は彼女を支えたいと思い、だから僕が頑張らなければと思うようになった。そのことが、何より、僕を心地よくした。

 僕は彼女を愛することで、もう一度頑張ることができる自分に戻りたかったのだ。


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