第6話

 するとまた今度は、ゆったりとしたパーカーにジャージのズボンをはいた女性が、ふらふらとやってきた。がりがりにやせて、一種発作的に起こしているような笑みを浮かべていた。あなたを見ると、笑みはひどくなり、それから、すべてが抜け落ちたように真顔になって、あなたを見下ろした。


 病院の待合室に、女性は座っていた。指をぎしぎしとこまねいて、爪をちぎりながら、待っていた。のびたパーカーの袖からのぞく腕には、無数の赤い筋が見えた。待合室は曇天の雲のような、密度で、ぼんやりとした喧噪があった。流れるリラックス効果のあるクラシックだけが、のびやかに流れていた。

 待合室の椅子には、彼女と同じように一人か、また二人が並んで座っている。二人でも、はかったようにどちらかが、下を向いてなめくじのようにうなだれているか、からだを不安定に揺すっている。もう一方は隣の人の背をさすったり、しゃんと背筋をのばしていたり、明るくおしゃべりをしている。

 こういう時、彼女はたいていの、「同類」は感じることが出来た。暗くしていても、明るくしていても、電磁波のようなものがあって、空気で察知できた。

 彼女は、ぼんやりと座って、自分の番を待っていた。通い始めて、三年になる。

 通えば、すぐによくなると思っていた。けれど、終わりというものは、通うほどに見えなくなってきていた。

 それでも、何かめざましいことが起きないか、願ってしまうときがある。そういう時は、すべてが彼女にとって、よくなかった。

 いやなことばかり思い出す。それは、間違いではない。楽しいことが思い出せないのだから。だから、努めて、いやな記憶を追い払うようにしているが、うまく行かない。心の底が唸りを上げるような、そんな苦悶の時の中、彼女は記憶と現在に、因果を求め始めていた。


「部活をふたつもかけもったせい、にきびができたせい。そもそも、いろんなことを、慢心して、いい人間ではなかったせい」


 彼女は、胸の奥をのこぎりで切られるような心地になりながら、自分の手落ちを絞り出す。自分の至らない点をあげれば、心の膿が出て行くといわんばかりに、自分のやわな心に無遠慮に指を突き立てていく。

 そんな時、いつもふと浮かぶ光景がある。絶対の原因とは思えないのに、ずっと浮かんで、彼女を傷つけるのだ。


「男の子が、一人きりで地面に穴を掘っていた。確か、青のシャベルを使って、しばらく掘っては、また別の場所にしゃがんだまま移動して、そうして浅い穴をたくさん掘っていた。あの子はいったい何をしていたんだろう。確か、ずっと何か思い詰めたようにむっつりとしていた。夕焼けがさみしくて、私はそれに気を確かに取られた。なのに声をかけなかった」


 その光景から、彼女の小学生の頃の記憶は行き止まりになる。そもそも何も考えていなかったあの頃は、彼女にとって、恥ずかしくて思い出したくもないのだ。だから、その時からすべてが始まっている、もしくは生まれてからの自分の悪の点というものが、結実した、最初のなにかなのではないかと思う。

 ささやかなことで、気にもとめないことのはずだ。けれど、ふっとその場に立ち戻ったように、あの出来事が浮かぶのだ。

 どうしてなのかは、わからない。けれど、彼女は、いずれ行き当たる様な気がしていて、だからずっと、考え続けてしまう。そんな時は、いつも、顔からごっそりと表情が抜け落ちていく。思考がひとつに向かうように、顔も引っ張られてしまう。だから、重力にまかせるままの、怠い顔で、あなたを見下ろすのだ。


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