「1+1」の探求

@ashika9999

「1+1」の探求

人生と考えると、漠然とした答えのない「空想」に感じる。

数学では「1+1=2」と子供のころ大きな声で言った記憶がある。

掛け算でも「いんいちがいち」と、空気を震わせた音が、私の耳に残っている。

数学ははっきりと、答えがあるように思う。

では、こんな問題はどうだろう?トマトが左の箱に1つ、トマトが右の箱に2つあります。合計はいくつでしょうか?

だれもが、3つと答えるだろう。

けど、もしこうしたらどうだろう?

一株のトマトに50個のトマトがなっています。そこから左の箱に1つ入れました。もう一株トマトが65個ありました。そこから右の箱に2つ入れました。

合計はいくつでしょうか?

115個になってしまう。

3つの箱の中のトマトを種取りしました。

翌年、50株のトマトができました。一株平均50個のトマトができます。合計、2500個のトマトになってしまう。

2500個の・・・・・と無限の問が始まる。

「1+1=2」なのだろうか?「1+1=∞(無限の可能性)」になってしまった。

しかし、トマトを栽培しなければ「1+1=0」にもなる。

数学という、答えがことと思っていたものも漠然とした答えのないものであるようだ。

しかし、限りなく我々は「1+1=2」にすることはできる。

境界や条件を入れることで、限りなく証明できるのだ。

それならば、人生も境界や条件を入れることで限りなく証明ができる。

答えを出せるだろう。

「お茶を飲みたい」と思えば、お茶を飲むように選択し答えを出せる。

文章が書きたいと思えば、文章を書き限りなく答えをかける。

そう、我々は選択により自分の答えを出せるのだ。

しかし、境界や条件は、集合的な全体にも属している。

同じ気温、同じ気候、同じ場所などのように同じ条件はありえないのだ。

そのため、迷子の人生になり漠然とした答えの空想がはじまる。答えを探すことを諦め思考停止するのだ。

ある程度の年齢になれば、尿意がきたらトイレへ行けるようになるだろう。

それは、自分で選択し答えを出せるからだ。

空想を追求してみよう。統合と分裂の∞の循環をする。

そうすれば、集合的な条件の元あなたによるあなたの答えを見つけることができる。

他人や集合的な条件は、与えられた環境や条件でありそこから答えを見つけることができるのだ。

許容できたとき、一人の人間と一人の人間から新たな一人が生まれ統合し、またあるときは一人死に分裂する。

どちらが生死であるのか、境界もなくなる。条件もなくなる。

それ以外は「0」なのだ。

「0」を探すため分裂し統合する。

迷い続ける人生は、そのプロセスの「1」なのだ。有なのだ。

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