#切り取り世界。写真に魂を。
氷結ざりがに
それでいて、無色透明。
母親は教育熱心な人間だった。父はいない。それでいて小学校の美術教師でもあったから、私は小さなころから母親に絵を教えられて育った。そんな母の影響で幼稚園では一人で黙々と絵を描いているような子供だった。
母が家で教えてくれるのは水彩画。鮮やかな色の作り方や、筆の持ち方、デッサンの仕方など、絵に関することはなんでも教えてくれる。幼児園年長ぐらいの年齢になると、遠近法を始めとした構図なんかも理解できようになった。次第にオリジナルの植物や動物なんかも描くようにもなった。まだ自分の名前すら書けないのに。
小学校に入学してからは、さらに絵を描くようになった。それに比例して、母の教育に対する熱量も増えていった。母はより実践的な絵の知識について教えてくれるようになった。そして、実際に絵を描くことよりも、座学のような時間が多くなっていった。母の大学時代の教科書だろうか?分厚い美術書を見せられたこともあった。そのころから、母の熱心な教育はエスカレートするようになる。今思えば、母が私を拘束するようになったのは、ちょうどその頃だったと思う。水彩画以外の絵を描くことを禁止されたり、コンクールで賞を取るように要求されたり。また、二日に一枚は描いた絵を母に見せなければならないようになった。これが最も辛かったと記憶している。
――そうして、私は絵が大嫌いになった。
絵を描くことが嫌いになったからと言って、絵描きをやめることは許されなかった。そもそも母にそんなことを告げるなんて当時の私には考えられなかった。そこにあったのは、絶対的な支配と母への恐怖。無論学校に私の居場所があるわけもなく、母を否定することは、唯一の居場所を失うことと同義であった。そうして私は高校に入学するまで欠かさず絵を描き、不安定な母の機嫌を取っていた。絵を描くことは、自分に課せられた義務。そんな重い枷に自由を阻害され、思うように筆が進まぬ日もあった。アパートの窓からは楽しそうに歩く同世代の女子が見える。自分は絵に集中するんだ、と邪念を切り捨ててはみるものの、やはり意識は絵から遠のいていく。そんな日もよくあった。
こんな私に転機が訪れたのはつい最近のこと。高校に入学した私は、ひょんなことから写真に入部する。というもの、この学校は帰宅部が許されてない。したがって、生徒はなにかしらの部活に加入する必要があるのだが、残念なことに美術部は希望する人数が多く、すぐさま定員オーバーになってしまった。恐らく、運動部に行きたくない生徒が美術部に殺到したのだろう。困った私は担任の先生からの強い勧めを受け、成り行きで写真部に入部した。初日、一眼レフに触れるのは初めてのことだったので、部長のレクチャーを受けながらカメラの使い方を学んだ。部長からは
「まーまず好きなように撮ってみることが一番だよ」
と言われ、適当に写真を撮ってみることに。カメラを構え、ソファーに座るザリガニのぬいぐるみにレンズを向ける。とりあえずオートフォーカスに設定。フラッシュはオフ。というか複雑な設定は全く分からないので「AIにおまかせ」的なモードにしておく。緊張してきた。震える指先でシャッターを軽く押し下げると「ピピッ」という機械音が鳴り、ピントが調節される。そのまま押し下げた状態でさらに強くシャッターボタンを押す。
「カシャッ」
という一眼レフ特有の重みのあるシャッター音が脳に響く。スマホやデジカメとはやっぱり違う。そしてわずか1/1000秒という一瞬の間に、カメラのセンサーに光が差し込み、記録され、データという形で空間が保存される。その時にはもう、指の震えは「緊張」から「自信」に変化していた。差し込む光は自分に味方してくれているのだろう、と。そして、恐る恐る撮れた写真を覗いてみると、そこには淡い太陽光に照らされたザリガニのぬいぐるみきちんと映り込んでいる。少々露出が多かったのだろうか?写真全体が白飛びしているように感じたが、それもそれも味があって良い。自分でも満足だった。なによりこれは私の手によって生み出された、あるいは「切り取られた」、かけがえのない世界の欠片なのだから。
「お~いいじゃんいいじゃん!」
さっそく部長が褒めてくれる。それがお世辞かどうかなんて関係ない。それよりも、自分が肯定されたのだと感じたことがなにより嬉しかった。長いこと触れていなかった感覚。触れることが許されなかった感覚。シャッターボタンを押した瞬間の、緊張が自身に変わるあの瞬間。あの謎の自信はいったいなんなんだろう。
――でも、深く考えるのはやめよう。
とりあず今は――
初めて世界を切り取った瞬間。それは純粋な感動であり、それでいて無色透明。
#切り取り世界。写真に魂を。 氷結ざりがに @cold_zarigani
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