ヒョウカ

 脱臼した腕も良くなってきた頃、オブドルフが研究所を訪ねてきた。


「奥方、獣避けの件だが―――…って、うお!?」


 やはり驚くか。

 ソファの上でゼンに羽交い締めにされている私は、全く研究に手を付けられないでいた。サイクロプシスを倒した日から、四六時中この調子だ。

 今頃、サイクロプシスの死骸は野犬の類に貪り食われているのではないだろうか…? せっかく貴重なサンプルを入手する機会だったのに…。


「え、えっと、なんだ、その、取り込み中だったか?」

「オブ、これは気にしないで。こうしてないと、リオってば腕が痛いのに無理して働こうとするから」

「もう痛くないです。大丈夫」

「その言葉、もう100回は聞いたよ」

「今度はほんとに大丈夫」


 そもそも、リハビリをして調子を取り戻さなくては完治しない。


「………やっぱりダメ」

「ううん…」


 ゼンを怒らせるとこうなるのか…。

 今度から、本当に気をつけなくては…。


「やっぱり取り込み中みたいだな…。獣避けを使ってみての報告書をまとめたんで持ってきたんだが、ここに置いとくんで、ゼンの機嫌が治ったら見てくれ」

「いえ、この場で読み上げて下さい」

「俺、マジでこの場に居なきゃダメ…?」

「獣避けは辺境領を改革する事業の一つですから。とはいえ、領主たるゼンにもこの報告の重要度はご理解いただけるはずです。ゼン、報告書を読みたいので少し席を外してもよろしいでしょうか?」

「………」


 ゼンをチラっと見ると口を膨らませていた。


「そういうのはズルい」

「私は小賢しく強引な女ですよ。何せ魔女ですから」

「リーオー?」


 ゼンが半眼になる。

 私が魔女を自称すると、ゼンは良い顔をしない。


「ふーん! やっぱり、もう少しこうしてる!」

「とのことですので、読み上げをお願いします」

「イチャつくカップルの前で報告書読み上げとか、これ何の罰ゲームなんだよ…」


 オブドルフ、居辛いのは分かるがこれも仕事だ。

 ともあれ、かの高名な三騎士に報告書を読み上げさせる。

 彼の報告を聞くに、獣避けは想定通りの効果を発揮したらしい。

 サンプルとして供与した獣避けを兵士たちは絶賛。

 平原の警備の際に、自身へ使って不意の魔獣との遭遇を避けるだけでなく、重要拠点に散布し、魔獣を退けるといった応用方法でも成果を上げたようだ。

 水に弱いという欠点はあるものの、それを補って余りある効能に、兵士達の間から、この獣避けを標準装備にして欲しいという意見が殺到し、その効能の噂を聞きつけたのか、村人の一部や、この辺境領にやってくる奇特な行商からも熱烈な要望を受けている、とのこと。


「評価としては、総じて大絶賛だ」

「素晴らしいです」

「量産の手筈は揃ってるのか? 兵士たちは抑え込めるが、領民や行商からの要望が結構激しくてなぁ…売ってくれ売ってくれと騒ぎになってる。まだ試作段階だってのに、どっから情報を仕入れて来るんだか」

「正規量産の手筈はまだ進んでいません。しかし取り急ぎ、余った材料で作れるだけ用意しましょう。残りの需要に対しては、クラコリズムの飼育数を増やして対応するしかありませんね…」


 だが、問題がある。


「実験牧場の拡張―――…いえ、現状でも飼育数を増やすことはできますが、ゼンと私だけでは手数が限界です。牧場経営に専念すれば、まだどうにかできそうですが、私には研究がありますので」

「ま、そうだよなぁ」

「リオ、やっぱり人を雇おうよ」


 ゼンの言う通りだ。

 そろそろ、牧場を専属で管理してくれるスタッフを雇い入れるしかない。

 とはいえ、先立つものが必要になるので、現在の材料で作れるだけ作った獣避けを売り払い、その資金で人を雇うことになるわけだが。


「こっちも懐事情が厳しいんで、あまり高値で買ってやれなくて悪いな、奥方」

「勘違いをしないでください。獣避けは、この地では生活必需品になります。可能な限り売値は抑えます。領民全てに安定供給させるのです」


 この辺境を、魔獣を恐れる必要のない場所にするために。


「報告は以上だ。んじゃ、俺は退散するぜ?」

「待って下さい。サイクロプシスの死骸はどうなりましたか?」

「おっと、そうだ、忘れてた」


 腕さえ動けば―――いや、ゼンが許してくれさえすれば、死骸の回収を自身で行ったのだが、それがままならない為、その回収をオブドルフに依頼していたのだ。


「力自慢を集めて何とか切り分けてるよ」

「腐食が進んできていると思いますが、陰嚢は無事でしたか?」

「いや、そこ既に他の魔獣に食われてた」

「チッ」


 おのれ…魔獣め…。

 これでは私の計画が…。


「リオはどうしてあの亀の陰嚢に拘ってるの?」

「ゼン、この話に深く立ち入るとお前の身が危ない。悪い事は言わないから今は黙っとけ」

「えぇ…!?」


 そうだ。まだこの計画をゼンに知られるわけにはいかない…。


「切り分けた鱗やら甲殻やら刃爪の半分は、マジでこっちで活用しちまっていいのか?」

「解体の工賃代わりです。兵士たちの武具の強化にお使い下さい」

「この素材でプオルティックが鉈剣を作り直したがってたが―――」

「構いません」

「いつかそいつで寝首を掻かれるとも限らねぇぞ?」


 それは有り得ないだろうと、私は思う。

 ゼンとの結婚という話以外で、プオルティックと対決することはもう無いだろう。

 あるとすれば、それは私がゼンを裏切った時。

 ゼンよりも先にこの命を失った時。

 ゼンを絶望させてしまった時。

 私はそっと、私を抱き締めるゼンの顔に自身の頬を寄せた。彼の柔らかい髪に触れ、彼の熱を感じる。


「フッ……有り得ませんね」

「絶対プオルティックの前でその態度すんなよ…」


 烈火の如く怒りだすプオルティックの顔が容易く想像できる。


「そんじゃ、今度こそ俺ぁ帰るわ。獣避けの追加製作だけ頼んだ」

「心得ました。明後日までに用意しておきます」

「くっついてるゼンをどうにかしてから期日を決めたほうが楽だと思うぞ」

「腕も治りましたし、今夜は一緒に寝るので大丈夫です」

「………あ、そう」


 何かを察したオブドルフは、ゼンに向かって拳を握るポーズを見せ、無言のエールを送ってから帰路についた。


「ゼン、これから忙しくなりそうですよ」

「うん、そうだね」


 ゼンは私から離れた。

 離れても、彼は私のすぐ隣にいる。 


「良いスタートを切れたって感じ、かな」

「まだまだクラコリズムの畜産については不安点もありますが、概ねは」

「ここから、辺境の暮らしをどんどん良くしていこう」

「はい」


 私は、彼の手に自分の掌を重ねる。

 指が絡み合った。

 そして、極々自然に、二人の唇が重なった。


 


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