シンサク

 脱臼した腕を嵌め直した後、包帯で固定される。

 ゼンの応急処置の手際は、ティードロウ男爵とカイゼルドーンから厳しい教えを受けただけ在って素早く、正確だった。

 とはいえ、瞬時に脱臼の痛みが治まるわけではない。


「絶対激しく動かしちゃダメだよ」

「はい…」


 腫れた両目のゼンが言う。


「エレインから痛み止めの薬を貰ってくるからね。プオルと喧嘩しないで待っててね」

「はい……」


 まともにゼンの顔を見れない。

 ゼンの想いを裏切りかけていたという負い目もあるし、何より私に対してゼンが怒ることなんて、今まで一度もなかった。

 だから正直、どう接したらいいのかよくわからず、今はとにかく、ゼンの機嫌が直るまで大人しくしておこうと、そう思った。

 屋敷に戻る為に家を出たゼンの背中を見送ると、部屋の反対側で、プオルティックがオブドルフの治療を受けているのが見えた。


「痛たぁ!? このバカ! バカバカバカ! バカオブ! もっと優しくしなさいよ! こっちは腕が折れてんのよ!」

「魔獣と正面から打ち合うバカの自業自得だろ」

「はぁ!? ならアンタならスマートにやれたっての!?」

「俺なら最初の一撃で神経を断ててた。伊達に”旋風”を継いでねぇぞ」

「………腕が治ったら覚えときなさいよ、チビ助!」


 プオルティックは魔獣の攻撃を弾いた影響で右腕が粉砕骨折しており、重傷だ。

 あ、いや、人間にとっては重傷だが、魔族にとってはそれほどではない。人間と違って、あの程度の負傷ならば1週間ほどで完治する。


「これまで何度も言ってる通り、俺はお前の事を仲間だとは思っているが、正直好きじゃない。それを踏まえて言わせてもらうが―――…腕が落ちたな、淫魔」

「…………」


 傍から見ている私でさえはっきり分かるほど、プオルティックはしょげていた。

 オブドルフの言葉に、一切返す言葉がないらしい。

 彼女の力が全盛期だったのなら、最初の一撃で勝負が決まっていたのだろうか。


「腕が治ったら鍛え直せよ。ゼンを守るのに必要だ」

「分かってるわよ…」

「それから、ゼン以上に無茶苦茶な奴だということが分かった奥方を守るのにもな」

「いや、ほんと、それな…」


 二人が揃って私を見た。


「なんですか?」

「なんでもないぜ」

「なんでもないわよ」


 揃って二人が言った。

 この二人、実は気が合うんじゃないだろうかと、私は邪推した。


「ま、今回はあたしの負けだわ」


 プオルティックは肩を落として言う。


「でも勘違いしないでね、アンタにゼンを預けるのは、まだまだ心配。今日は勝ちを譲るけど、まだアンタとゼンの結婚を認めるわけにはいかないわ!」

「左様ですか」

「まぁ、うん。いきなり魔獣に突っ込んでいく奥方じゃなぁ…」


 あれ!? オブドルフ、貴方は私の味方ではなかったの…!?


「ゼンとくっつく気なら、奥方もランドフォーク家の人間だ。貴族様だぞ? ああいう荒事は、俺たちに任せてもらえないとな」

「はて、ティードロウ様も常在戦場気質の御仁だったはずですが?」

「あいつは超強いもん」

「親父は超強いからな」


 やっぱりこいつら気が合うだろ。


「でも、アンタの覚悟は認めるわ。魔獣を糧にするって計画、あたしも協力する。ついでに鈍った身体の鍛え直しも出来そうだしね」

「親父が死んでからずっと酒浸りだったからこういう事になるんだぞ」

「オ、オブ助! そういうことをバラすんじゃないわよ!」


 オブドルフは私に向けて肩を竦めて見せた。


「とーにーかーく! 停戦よ、停戦! はぁっ…ったく、もう…」


 不満垂々だが、これからは顔を見せる度に命の取り合いをしなくて済みそうだった。

 サイクロプシスの神経を両断した私の槍も、今回の戦いで激しく刃毀れしてしまった。槍を新調するまで無用な争い事を避けられるのは素直に助かる。


「ところで」


 オブドルフが思い出したように言った。


「あの亀の死骸はどうするんですか、奥方」

「当然、新しい研究に利用します」


 サイクロプシスの死骸など、早々手に入るものではない。自然死した死骸を母と一緒に発見したこともあるが、あの時も研究が大いに捗った。

 今回は極めて痛みの少ない新鮮な死骸だ。今までのサンプル以上に多くの発見があることだろう。


「ちなみに、今度はどんな新作なんです?」

「精力剤です」

「…え?」

「…は?」

「精力剤です」

「………」 

「………」

「……? 聞こえませんでしたか? 精力剤です」


 おかしい、絶賛のリアクションがない。


「オブ助、やっぱ私、こいつをゼンの側に置いてちゃダメだと思うんだけど、アンタどう思う?」

「う、うーん…そうだなぁ……俺もちょっとそう思えてきた…」


 どうして!?


「待って下さい。ちゃんと順序立てて説明させてください。そもそもサイクロプシスのメスの産卵周期は10年の1度と非常に長く、オスは交尾可能になったメスを探すために長い旅をします。その間、オスのサイクロプロシスは精子を体内に長期貯蔵でき、さらに短時間で精子を作り出せるように特殊な構造の陰嚢を有しており―――」

「んじゃ、俺はこのあたりで失礼させてもらうぜ」

「オブ!? アンタ! 一人で逃げる気!?」

「仕事に戻るだけですー」

「あたしも連れてきなさいよー!」

「奥方、それじゃこいつ置いていきますんで、話のお供にどぞ」

「お二人共お待ち下さい! まだ説明の途中です!」

「ゼンー! 早く戻ってきてー!」

「ゼンの側に置いとけないけど、ゼンしか相手できないっていうな…。困った奥方だぜ…」



 そういえば、サイクロプシスの話をしていて思い出した。

 一つ、説明しそびれていたことがある。

 それは、人が魔族に勝利した要因のこと。

 その要因とは―――…


 実に、簡単なことだ。

 魔族の中から、大量の離反者が出たのだ。

 彼らは皆、人と共に生きたいと、人の中に愛する者がいると、人の中に守りたい者がいると、そう言って次々と愛を知る魔族ひと達は、魔大戦を指揮する魔王に反旗を翻した。

 ティードロウ率いる”嵐の旅団”は、離反した全ての人々と合流し、史上初の人魔連合を作り上げる。

 これが、勝利の決定打となったのである。


 さる乙女の半生を綴った吟遊詩人の歌は、その全てが真実ではなかったようだが、少なくとも、この歴史は真実だ。

 何故なら私の眼の前に、人と魔族が悪態をつきながらも共に生きる光景があるのだから。

 愛が深すぎるその種族は、やはりとても手強い相手だけれども―――


 私は、ゼンへの愛の深さで負ける気は無い。


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