トウバツ
私は全力で仕掛けを放り投げた。
サイクロプシスの潜んでいる場所は、何となく分かる
この魔獣の潜伏場所の判別方法、これは母が魔獣研究の初期に手掛けたものだった。
当時、この辺境ではあまりにも、サイクロプシスの被害が多かった。
平原の泥の中に潜むサイクロプシスは、一見してどこに隠れているかもわからない。
だが、よく平原の金色の原を観察すれば、その巨体が歩いた痕跡を見つけられる。
それと、掘り返された土の跡。
しかしここで早まってはならない。母は研究を進め、サイクロプシスは土の中に潜った後、わざと後ろに下がることを突き止めた。
サイクロプシスは一度地面に潜った跡、川辺の泥の中を後ろ歩きに掘り進め、自分の痕跡から離れて潜むのだ。
おそらく、この行動は他の魔獣からの追跡を撒くためだろうと考えられる。同じような行動は他の動物にも見られ、バックトラックとも呼ばれていた。
つまり、サイクロプシスは足跡と掻き分けた泥の痕跡の先にいるのではなく、そこから数十歩下がった先に潜んでいる。
自らを追ってきた魔獣を逆に狩るため、あるいは痕跡を見分け、恐る恐る近づいてきた獲物を狩るために。
この発見により、潜んだサイクロプシスに突如襲われ命を落とす者は減った。
ただし、それが母の功績となることはなかった。
母はなんと、その研究結果の全てをティードロウ男爵に譲渡したのだ。
そして、ティードロウ男爵の口から、その生態が領民へと説明され、平原を生きる者の知識として定着した。
今思えば、母には分かっていたのだろう。
魔女の言葉には誰も耳を傾けないが、英雄の言葉であれば、人は耳を貸すのだと。
仕掛けが落ちた瞬間、凄まじい勢いで泥が空を舞った。
人など軽く両断してしまうほどの巨大な口が、泥と石を吹き飛ばしながら大地の下から伸びて、私の投げた仕掛けに喰らいついた。
瞬間、紫の煙が巨大な口を覆う。
宙に舞い上がった土と泥が降りしきる中、巨大な口と、伸び切った頭が、ダランと下がり、大地に臥した。
「今です!」
「あいよッ!」
私の声に応じ、プオルティックが鉈剣を構えて駆け出す。
彼女は既に魔族化していた。
その羽根で空気を掴み、半ば滑空するようにして、黄金の大地を蹴って、魔獣へと肉薄する。
「せやあああああああ!」
裂帛の気合と共に振るわれた鉈剣は、サイクロプシスの首を裂いた。
真っ赤な血が噴出する。
彼女の刃は、確かに魔獣の血管を斬り裂いた。
雨のように血が降りしきる中、サイクロプシスはそれでも戦意を失っていなかった。
「プオルティック! 下がってください!」
「ッ! 浅かった!?」
浅かった。死が魔獣に迫るまで、十数秒の時間が残された。
その十数秒があれば、魔獣にとっては相手を道連れにすることは容易い。
サイクロプシスは吹き出る血を物ともせず、大地の下からその巨体を掘り起こし、その大樹のような太さの前足を振るった。
前足の先には、逆立つ甲殻―――…土を掘ることに特化したスコップのような刃爪が並び立っている。
僅かに触れただけで、鉄鎧が斬り裂かれるそれが、プオルティックに迫った。
「こっちも魔族だっての! 舐めんなよ! このクソ亀が!」
プオルティックは手にした鉈剣を刃爪に叩きつける。
「おらぁッ!」
ギュグンッ! と、金属の撓む音が平原に響き渡った。空気が破裂したような衝撃が大地に広がる黄金の草穂を押し潰した。
鮮血の雨を浴びながら、血濡れの魔族は魔獣の刃爪を受け流した。なんという力だろうか。ただの人には、とても真似できない。
だが、手にしていた鉈剣は、刃爪の一撃で見るも無惨な姿へと代わり、彼女の腕は変な方向に曲がっていた。
魔獣の渾身撃をどうにか防いだプオルティックは、翼を広げ、大きく飛び退く。
後は逃げ延びれば勝てるという判断だろう。
それは正しい。
だが―――!
「しぶとい!」
プオルティックを追う魔獣は、足掻くことを諦めていなかった。血を吹き出し、命が急速に失われる中であっても、最後の一撃を放たんとしていた。
最大で二倍もの長さに伸びるその首で、飛び退くプオルティックへ追撃を放とうとしていたのだ。
私は決断する。
彼女と入れ替わるように、魔獣の元へと進み出た。
「リオーッ!?」
愛する人の声だけが、耳に届いた。
私の手の中には買ったばかりの槍がある。
降りしきる血が、豪雨のように身体を濡らしていくが、気にならない。
私は獣血の魔女。
ゼンと出逢ったその時から、この身は既に獣の血で濡れている。
魔獣が首を伸ばそうとするならば、それはつまり急所を晒すということだ。
そして相手は、今、プオルティックしか見ていない。
私はその槍を、魔獣の首に突き立てた。
プオルティックの作った最初の傷に、えぐりこむように突き立てた。
すぶりと沈む槍刃が、魔獣の骨に当たった時、私は全ての力を込めて槍を振った。
いつかあの”雪華”が真正面から殴り込んでくるその日に備え、その刃を磨きに磨いた槍は、プオルティックの鉈剣では僅かに届かなかった魔獣の神経を断つ。
飛び退くプオルティックに迫っていた魔獣の首は、突如として勢いを失い、泥濘んだ大地に轟音と共に沈んだ。
ついにその死が、この魔獣に届いたのだ。
ただ噴水のように吹き出す血雨の中、私は脱臼した肩を庇いながら、勝利に吠えた。
正しかった。
母は正しかった。
私も正しかった。
机上の空論などではなかった。
倒せる。
この魔獣を、倒せる。
人の力で倒せる。
「リオッ! バカッ!」
血塗れで立ち竦む私を、いつの間にか駆け寄ってきていたゼンが優しく抱き締めた。タイミング的に、私がプオルティックと入れ替わって前衛に出た瞬間に、あの距離を駆けてきたのだろう。汗だくだし、息も絶え絶えだ。
それでも、彼は叫んだ。
「君が死んだら、ボクはどうしたらいい!? 危ないことするな! 一緒の墓に入るんだろう!? 一緒に蒼星に行くんだろ!?」
「………。ゼン、安心してください。絶対勝てると踏んだから、私は前に出たんです。ゼンなら知ってるでしょう? 私の槍捌きを」
ゼンと出逢ったあの日、彼と二人で、白狼を討った。
今はドレスになっている、あの白き魔獣を討った。
「だから、私は決して死にはしませ―――」
「それでもボクはッ! ボクは、君に危険な事をして欲しくない!」
「―――――…」
「ボクの心を裏切る気がないというのなら、危ない橋を渡るのは、どうか、もう止めてくれ…。君が離れて行ってしまうと思ったら、気が気じゃないんだ―――…」
大粒の涙が、私を抱き締めるゼンの両目から零れ落ちている。
空を映す瞳から、雫が流れ落ちている。
心まで獣血に染まった私を、洗い流していく。
「ごめんなさい、ゼン」
「……うん、うん……」
「ごめんね…」
「うん…」
私の肩に額を当てて、ゼンは泣いている。
血塗れの私は、そんな彼を動く片手で不器用に抱きしめた。
視線の端で、オブドルフとプオルティックが私達を見つめてる。
でも、そんなの関係ないと、私はゼンを抱き締め続けた。
いつの間にか、血の雨は止んでいた。
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