コウカイ

 その魔獣の名を、サイクロプシスという。

 外見は、巨大な亀だ。全長5mほどの亀。体重は計測できた記録がない。

 この獰猛な亀は、その堅牢な甲羅に加え、逆鱗状に形成された甲殻を全身に備え、あらゆる武器の攻撃を弾く。その強度たるや、鋼鉄を越える強度を持つとも言われていた。

 それだけで厄介だというのに、連中は肉食だった。

 土の中に潜行し、獲物が通りかかるのを何日も待つ。そして獲物の気配を察知すると、恐るべき速度で地中から首を伸ばし、一息に獲物を食い殺すのだ。たとえそれが魔獣であろうと容赦なく食らいつく。

 もしそうなれば、防ぐ手段も、躱す手段もない。

 人の身体であれば一瞬でミンチになり、サイクロプシスのおやつになる。

 この魔獣は数は少ないものの、平原の河川域に広く分布し、その目撃情報は必ず村中で共有される。そして、その領域には二度と近づかない。

 エレンダル王国においてサイクロプシスの公式討伐実績は存在しないのだ。

 対抗手段がなく、ただ避けることしか出来ない。

 故に、出遭ったが最後であるという、旧世界の伝承に語られる単眼の人食いの名を与えられ、この魔獣は今日こんにちに至る。


「獣女、最後に訊いてあげるけど、マジでやる気…?」

「はい」

「別に怖気づいたっていいのよ? ゼンさえ諦めれば、アンタには別の未来がある。小さな後悔一つで、アンタは別の幸せを見つけられる」

「ありません」


 そんなものはない。


「ゼンの居ない未来に、幸福などありません」

「………あたし、他人の自殺に付き合う気はないわよ」

「それはまるで”勝てない”とでも言いたげな表現ですが、勝算がなければこんな作戦を計画したりしません」

「武器も効かないのにどうやって倒すのよ!?」

「武器は通用します。ただ、工夫が必要なだけです」


 とはいえ、それは机上の理屈であって、実際に試した者はまだ存在しない。

 それは、これから私達が成す。


「作戦を説明します」


 平原に並び立つ私とプオルティックは共に振り返った。

 視線の先には、魔獣の毛皮で包んだ藁の束がある。とりあえず、予備も含めて4つ用意した。

 加えて、そこから300歩ほど離れた場所に、ゼンとオブドルフが立っているのも見えた。この二人に役割はない。彼らは単なる、この偉業を見届ける証人だ。

 ゼンは最後までこの作戦に反対していた。けど、覚悟を見せなければプオルティックは納得しない。そう説得して、何とか彼の許可を得た。


「サイクロプシスの堅牢な甲殻を破る手段は、現段階では存在しません」

「ダメじゃん…」

「しかし、唯一、その甲殻が存在せず、柔らかい肉を曝け出す部分が存在します」

「………」


 プオルティックの目が鋭くなる。


「それは首です」


 サクロプシスは、地中から獲物に対して凄まじいスピードで食らいつくという習性から、高速動作を行う首には甲殻が存在しない。


「首には、高速動作を可能とする靭やかな骨と筋肉、そして、脳に繋がる神経と太い血管が存在します」


 人も、動物も、魔獣も、頭の中の脳という臓器が体に命令を出している。

 脳が破壊されればどんな生物も死ぬ。だが、重要な部位故に、脳は大抵、強力な骨格で防御されている。

 しかし、脳と体を繋ぐ線は、その限りではない。


「神経か血管、そのどちらかを断ち切ることができれば、サイクロプシスを討伐することが可能です」

「なるほど、話の筋は通ってるわ。不可能だという点に目を瞑ればだけど」


 サイクロプシスは獲物に噛み付いた後、飛び出した時と同じ速度で、獲物を咥えたまま甲羅の中に頭を隠す。魔獣も馬鹿ではない。急所を曝け出したままでいるはずが無いのだ。


「それを可能にするのが、この仕掛けです」


 魔獣の皮で巻いた藁の束だ。


「まず、この皮には、魔獣の匂いが濃く残っています。これをサイクロプシスの潜む地面の上に投げれば、奴は間違いなく食らいつくでしょう」

「で? その後は?」

「魔獣の皮と藁が食い破られ、内部に仕込んだ毒素が広がります」


 クラコリズムの毒腺から抽出した獣避け成分―――だけでなく、クラコリズムが本来有する毒素も含めて精錬した小瓶が、この藁の中に仕込まれている。

 野生のクラコリズムから取り除いた毒腺から抽出したものだ。

 これは私が抽出したものではなく、私の母が作ったもの。

 いざという時に使えと、母が残してくれたもの。

 サイクロプシスが仕掛けに喰らいついた瞬間、母の作った薬品瓶が割れ、高濃度の獣避け成分と毒素が蔓延すれば、魔獣の味覚と嗅覚に甚大なダメージを与えられるはずだ。


「毒の影響により対象が隙を見せた瞬間に、首を断ちます。この作戦では一息に魔獣へ近づき、正確無比の斬撃で急所を狙う必要があるため、熟達した戦士の協力が不可欠です」

「その役目が、私ってわけか…」

「失敗すれば激高したサイクロプシスの逆襲に遭うでしょう。貴女はもちろん、罠を投げ込んだ私も」

「あたしに命を預けるってわけ? アンタを亡き者にするために、あたしがわざと仕損じる可能性もあるのよ?」

、そうでしょうね」

「………」

「この作戦は、サイクロプシスを討伐すると同時に、私と貴女の双方が生存することが成功の条件です」

「最ッ低な度胸試しだわ」

「ティードロウ様と殴り合うよりかはマシかと思います」

「……あはっ」


 プオルティックは鼻で笑う。


「アンタもあの歌を信じてるの?」

「違うのですか?」

「違う。全然違う」


 プオルティックは歯を剥き出して―――苦笑した。


「教えたげる。あの時、あたしはね」


 彼女は真実を語る。

 初めて相対した時、彼女は―――…


「あいつに一目惚れして、見惚れてる間に角を折られただけなのよ」


 …―――その瞬間からずっと、彼を愛してる。




 

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