コウゲキ

「っし! やりましょう!」


 昨日、夫婦水入らずでゆっくり休息を摂ったことで、心身共に充実した私は、気力充分の状態で書斎の椅子に腰掛けた。

 ここ数日進めていたクラコリズムの素材活用や飼育、繁殖といった技術研究は、ゼンの牧場の状況とも合わせて進めていかなくてはならないので、都度都度検討していく形になる。

 量産生産した獣避けの件も一旦片付き、実地テストの結果待ちだ。

 いよいよ、次なるステージへ駒を進めるときが来たと言える。

 ここからが第二章だ。

 今回新たに研究テーマとなる魔獣、それは―――…



「たのもおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉッ!!!!」


 突如、家が揺れるほどの巨大な声量が響いてきた。

 天井から落ちてきたホコリが、鼻の上に落ち、思わずくしゃみをしてしまう。

 せっかく昨夜ゼンと一緒に高めた気力が削がれたのを感じる。

 それに、あの声…。

 私には聞き覚えがあった。


「………」


 私はこんな日もあろうかと買っておいた槍を壁から外し、玄関に向かう。


「どちら様でしょうか?」


 分かり切っていることだったが、せめて形式は守ろうと、私は声をかけながら玄関を開けた。

 すると、私の頭めがけて鋭い刃が振り下ろされた。

 これは予想の範疇だったので、私はそれを槍で受け流し、丁寧に地面へエスコートすると、大地を穿った鉈剣を踏んだ。


「これはこれは、いきなり熱烈なご挨拶ですね」

「なるほど、魔女ってのも名ばかりじゃないわけね」


 小さな影に向けて、私は渾身を込めた突きを放つ。手加減も容赦もしない。

 襲撃者はあっさりと振るった鉈剣を捨てて、飛び退いて躱した。

 私は、襲撃者を追って外に飛び出す。

 相手は余裕を見せていられる相手ではない。相手が退いたのなら、そこを更に攻める。


「なに!? 一体何事!? 今の大きな声は何!? 魔獣!?」


 その声に、私は思わず追撃の足を止めた。


「ゼン、来たのね」

「そりゃ来るよ―――ってうわ!? プオル!?」


 覆面の襲撃者を見た瞬間、我が最愛の夫ゼンはその正体をあっさりと看破した。


「何してるの!?」

「ゼンは黙ってて! これはあたしと、この魔女との問題だから!」

「リオの問題はボクの問題でもあるよ! 二人共、とりあえず武器を収めて!」

「ゼン、私もそうしたいところなのですが、ゼンとの幸せな家庭を守る為に戦わざる得ない状態です。せめてお相手に武装を解除していただけませんでしょうか?」

「ふっざけんな獣女、アンタが先に槍を捨てなよ。盗人はね、悪事がバレたらしおらしくしておくもんだよ?」

「はて、何のことやら」

「ははっ、蒼星はイイとこらしいよ。行ったこと無いけど、送ってあげよっか?」

こそ、たまにはお休みを取られて行ってみては?」

「ブッ殺す!!!」


 プオルティックは覆面を脱ぎ捨てる。

 そして、その額から先の折れた角を伸ばし、その背中から赤い翼を生やした。

 手の爪は鋭利に伸び、まるで彼女は四足獣のように構える。

 突如魔獣が如き姿に変異したプオルティック。

 驚くことはない。私には分かっていた。

 先代領主ティードロウ男爵が、まだ男爵と呼ばれるよりも遥か以前。その傍らにて活躍した女傑、プオルティック。

 彼女がどれだけ歳を重ねようと、いつまでも変わらぬ少女の姿でいることに、疑問を抱かぬものなどいない。

 全ての答えは、吟遊詩人達が歌う魔大戦の英雄ティードロウの伝説の中にある。


 彼がまだ”旋風”と呼ばれ、大陸中を股にかけて戦乱を渡り歩いていた頃、一匹の魔族が彼に一騎打ちを挑んだという。

 ティードロウとその魔族の女との戦いは熾烈を極め、三日三晩続き、山を削り、川の向きを変え、両者の武器さえも砕け、ついには殴り合いになった。

 だが、ティードロウは最後の最後まで諦めず、僅かな隙を突いてその魔族の角を圧し折り、勝利を掴んだ。

 瞬間、英雄の勝利を祝う精霊たちの祝福により、空からは雪華が降り注いだという。

 その後、魔族の女はティードロウの強さに惚れ込み、魔族を裏切って彼の配下に加わった。

 以降、彼女はティードロウの伝説の中に幾度となく登場する。

 やがて彼女も英雄の一人として認められ、異名を以て呼ばれるようになるのだが、その異名は彼女が誰かにそう呼ばれて名付けられたわけではない。彼女が自ら名乗りだしたのだ。


 ”雪華”のプオルティックと。

 己が負けたあの日を、己の名とする女。


「やめてよ!」


 偽りの人の姿を捨て、魔族としての姿へ変異したプオルティックが私に飛び掛からんとしたとき、ゼンが彼女の前に立ちはだかり、その小さな体躯を抱き締めた。


「プオル、お願い! やめて!」

「ッ、ッッッウウウウウウウウウウ!!!!!」


 その歌には続きがある。

 プオルティックは冒険の終わりに、ティ―ドロウへの恋心に気づいたのだという。

 だが、人と魔族では子を成せない。成した例もあるようだが、成立する可能性は極めて低いらしい。

 加えて、大戦終結後、ティードロウにはその功績により男爵の位が与えられることになってしまった。

 平民が貴族となる場合、多くは権威付けのために他貴族の妻を娶ることになる。

 それを知った時、プオルティックは自ら身を引いた。

 その出会いは敵として、彼の前に立ち塞がり、その強さに惚れ込んで同族を裏切り、幾多の戦いを共に勝ち抜いてきた戦友が、ついにその戦績を認められ、誉高き貴族になれる。だが、その為には自分の存在は邪魔になる。

 全てを捨てて彼を愛した魔族の戦乙女は、その愛の深さ故に、最後の最後でその恋を諦めた。

 年頃の少女が、密かに吟遊詩人にリクエストするという、熱き悲恋の歌―――あの『恋に溶ける雪華』が真実であるのならば、そういう事になっている。

 

「ウゥ! ウウウウウウウウゥゥ…!!! ティーゼン…! 私の愛しい子! もう、どこにも、行かないでぇ…! アタシを置いて行かないでぇぇ!」

「プオル…」


 いつしか、プオルティックの姿は人のそれに戻っていた。

 鋭利な爪は溶けて、小さな指がゼンの背を抱いている。

 折れた角は頭蓋の奥へと戻り、ゼンの顔に額を擦りつけている。

 翼もどこかへ消え、破れた服だけが残っていた。


「………」


 その様子を見て、戦意喪失と判断した私は、槍を地面に刺して手放す。


「とりあえず、お茶でも飲みながらお話しましょうか」


 二人を残して、私は一番のとっておきの薬草茶を準備するため、キッチンに向かった。

 かつてない強敵と相対する為には、私にもそれなりの準備が必要なのだ。

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