カンセイ

 ゼンと結婚して早くも一ヶ月が過ぎた。最近の私の悩みは、研究の時間が半分ほどしか取れなくなってしまったことだ。

 朝、クラコリズム共のけたたましい鳴き声で起こされ、餌と水を与え、厩舎から外へと放牧する。

 その後、自分の朝食を摂り、食後に温めた薬草茶を飲んでいると、丁度ゼンがやってくるので、ゼンと共にクラコリズム達の厩舎の掃除を行う。

 その後、クラコリズム達の健康状態をチェック。ゼンと育成方針の打ち合わせを軽く行い、そこで問題がなければ、私は研究所へ戻れる。


「はぁー…」


 研究所の椅子に深く沈み込み、ポキポキと首を鳴らす。

 朝起きてここまで重労働をしていると、もう太陽が頂点に差し掛かっている。

 昼食はゼンが用意してくれるので、出来上がって呼ばれるまでは研究ができる。

 できるのだが―――…


「正直、疲れる…」


 これまで全く重労働の類と縁のなかった私が、急に牧場主の妻となれば、こうなることは多少は予測できていたはずなのだけれど、それにしたって大変だった。

 昼食後に少しだけゼンと一緒にお昼寝するのだが、それまではこの疲労を沼に浸かって泥だらけになったブーツのように引きずっていかなければならない。


「さて、今日は―――…」


 今日は獣避けの最終チェックだ。

 昨日、幾つか量産製法で獣避けを製造した。

 これを屋敷の兵士たち何人かにサンプルとして提供し、その効果が発揮されるかどうかを確かめる。

 もっとも、兵士たちへの獣避けの提供とその効果の確認は私ではなく、オブドルフが行うのだが――――…

 ん? ということは、オブドルフが来るのか…?

 しまった。

 私はゼンの元へと急ぐ。

 昼食を一人分多く作ってくれと、伝えなくては。

 そう思いキッチンへ辿り着くと、既に客人は到着していた。


「お前が料理してるなんてなぁ」

「オブもやってみたら? 面白いよ」

「俺ェ? 俺はいいよ。細かい仕事は向いてねぇんだ」

「モテるよ」

「よし、ちょっくら”旋風”の実力でも弟分に見せてやるか」


 この男、単純すぎる…。

 ともあれ、こうして義兄弟が仲良くキッチンに並んで作業し始めた。


「おっしゃ、切るのは任せろ、本業だからな」

「これは野盗でも人さらいでも魔獣でもないよ?」

「動いてるか動いてねぇかの違いでしかねぇだろ?」

「そう? じゃあ、この芋を口に入るサイズに切ってね」

「よし―――」

「皮も剥いてね」

「皮ァ!? そ、そんなの剥かなくてもいいじゃねぇか」

「オブ、皮むきできないの?」

「で、できらぁ!」


 弟分にそう言われ、芋に刃を立てる”旋風”だったが、表皮一枚だけを切り裂く技など、王国でも十指に入る剣士であっても困難な技なのだろう。何度も芋を手から滑らせる。


「くっ、素早い…!」

「オブ、芋は勝手に動かないよ…。ちょっと貸して」


 ゼンがオブの手からナイフと芋を受け取ると、ゼンは器用に皮を剥いていく。

 5年前に私の母から習って以来、ここで食事を作る時に度々やっていたけれど、やる度に上手くなっていった。

 今では、私より上手いかも知れない。


「ゼン、マジで料理できるんだな…」

「えぇ? どうしたのさ」

「いや、格好いいよ、お前。マジ」

「褒めて焦らせるつもり? はい、こんな感じ。オブは一度見たらできるよね?」

「ま、それが俺の得意技だからな」


 オブドルフは先程ゼンが見せたのと寸分違わぬ動きで芋を剥き始める。

 旋風の剣の技を全て盗んで会得したというその逸話の通りに、彼はひと目見ただけで、ゼンの動きを再現していた。


「ところでこれ、何作ってるんだ?」

「シチューだよ」

「肉は?」

「さぁ、何の肉でしょう?」

「お前、まさかあの魔獣の肉じゃないだろうな!? 俺、まだ心の準備ができてねぇんだが!?」

「内緒~」

「おいぃ!」


 ………。

 あれ、なんか、腹が立ってきた。


「楽しそうにお料理されていますね、お二人共」

「うお!?」

「あれ、リオ!?」

「私のことはお気になさらず、仲睦まじくお料理していてください。書斎に居ますので、完成したら呼んで下さいね」


 出来る限り笑顔で言って、私は書斎に戻っていった。

 何故か、扉を閉める手に力が入ってしまい大きな音を立ててしまったが。

 じーんと痛む手を擦りながら、椅子に腰掛ける。

 まぁ、いい。

 ゼンは私のものだから。

 今夜は屋敷に帰さないので。


 ※


 何故かオブドルフとゼンから強い緊張感を感じる昼食を終えて、お昼寝よりも先に獣避けの件を済ませることにした。


「量産品の効果時間は約1時間です。時間が確認できない場合は、余裕を見て3000歩毎に1回として下さい」

「承知した」

「また、水に濡れると匂いが落ちてしまいます。雨天や渡川後には効果が無くなっていることに注意を」

「ふむ、これは改善して欲しいポイントだな。辺境領には川が多い。浅い川なら泳いで渡るからな」

「難しいところですね。水に強い形にするならば香水方式では難しいです。水に濡れることで揮発し、獣避けの匂いを発生させる別製品を作ってみますか」

「そんなこと可能なのか?」

「案はありますが実現は遠い、とコメントさせていただきます」

「期待せず待とう。とりあえず今は、こまめに忘れず使えってことだな」

「はい。その運用でお願いします」

「では10日後に結果を纏めて持ってくる」

「よろしくお願いします」


 最終的な運用打ち合わせは恙無く終わり、私は木箱に並べた獣避けをオブドルフに手渡した。


「数が多いようだが?」

「サービスです」

「おいおい、いいのか? カイゼルドーンからここの運営は堅実だって聞いたぜ?」

「それはゼンの牧場のお話でしょう。当研究所は辺境領の発展と改革に全面的に協力する所存です」

「そうか、助かるよ」

「一人でも多く、魔獣から逃れられる者が増えることを望みます」

「ああ…そうだな」


 魔獣を恐れる必要のない世界。

 人の住める土地。

 それを実現するのが、私の夢であり、亡き母に誓った使命だ。


「それじゃ、俺は屋敷へ戻るけど―――」

「はい」

「さっきは悪かったな」

「何がですか?」

「いや、奥方のゼンを取っちまったみたいで」

「構いません」

「そうか?」

「カイゼルドーン様にもお伝え下さい。今夜は夫は帰らないと」

「………怖ぁ」


 オブドルフを見送り、私は夫の元へと向かった。おそらく、彼は牧場の仕事をしているはずだ。

 牧場の裏手に回ると、予想通りゼンはクラコリズム達の出した糞を処理していた。何やら考え込んでる様子だったが、私は背後から近づいて抱き締めてしまう。


「うわ!? リオ!?」

「ゼン、お昼寝の時間です」

「あれ、オブは?」

「えぇ?」

「さ、早くお昼寝しましょう。私は疲れてしまって、もう限界です」

「うん、わかったよ」

「はい。あ、今日は湯浴みもしてしまいましょう」

「えぇ? どうして…? もう寝ちゃうの?」

「夜は帰さないと伝えましたが、昼から食べないとは言ってないので」

「ん、それどういう意味…?」

「すぐに分かります」


 私は愛しい人の手を取り寝室へ向かう。

 最近忙しいのですから、こういう時にこそ休みが必要。

 今日はもう、午後の研究も、お仕事も全て終わりだ。

 明日の朝まで、夫婦水入らずで過ごすことにしよう。

 

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