ジッケン

 しかしながら、が結婚をお認めになり、味方になったというのは心強い。しかも、そのお義兄様が王国でも名高き剣士”旋風を継ぎし者”であるならば、なおのこと。


 そんなわけで私達はある実験のために村から離れ、平原にやってきていた。


「奥方、その獣避けってマジで効くんです?」

「それを試すためにここへ来ています」

「おい、ゼン。マジで大丈夫か…? 俺は不安だぞ」

「こういう時は5割くらい大丈夫だから、大丈夫だよ」

「うん、5割しか大丈夫じゃないのか…」


 オブドルフは遠い目をした。


「比較的対処しやすい魔獣で試しますので、ご安心下さい」

「うん…。でも魔獣ってどれも普通に強敵なんだけどね…」


 旋風を持ってしても魔獣は一筋縄ではいかない相手のようだ。


「それ故に、もし獣避けを開発できれば村の守りを強固にできるはず。畑を拡張し、もしかすれば牧畜のリスクも減らせるかも知れません」

「行商人なんかにタダで配れば、来てくれるかもしれんしなぁ」

「普通に商品としても売れそうだよね。ここ以外にも魔獣は住んでるわけだし」


 エレンダル王国辺境に特別魔獣が多いだけで、他の地方にも魔獣は存在する。

 そう数は多くないが、それでも年間100名近い被害者を出す。

 獣避けでそれを減らせるとすれば、辺境以外にも需要はあるだろうか。

 

「しかし、それらは全て実験が成功したならの話です。始めましょう。ランドフォーク家の為に」

「覚悟を決めるか…」


 私は、オブドルフに完成したばかりの獣避けを香水のように吹き付けた。

 オブドルフはクンクンと自分の匂いを嗅ぎ始める。


「……なんか、枯れ草の匂いがする」

「そう不快な匂いでもないと思いますが?」

「これで本当に獣避けになるのかなぁ?」


 匂いを嗅いでみたものの、あまり効果のありそうな香りでなかった為か、オブドルフの感情が疑念に変わりつつあるようだ。

 怖気づく前に魔獣の前を横切ろう。

 比較的対処しやすい魔獣については、既に検討をつけてあった。

 最近、平原の一角にやってきた魔獣がターゲットだ。

 巨大な翼を持った4足歩行の豚…のような生き物。

 豚と違うのは、豚よりも口の幅が大きく、鼻が上向きについていることだろうか。加えて、豚よりも全体的に骨格ががっちりとしており、その黒い表皮は剣も通らないほど非常に硬い。


「ヒュポルドルスか…」


 オブドルフは魔獣の名をつぶやく。


「確かに、奴は縄張りに踏み込まなきゃ襲ってこない。比較的な魔獣だな」


 だが、うっかり縄張りに踏み込んだが最後、侵入者を執拗に追いかけ、その頭を噛み砕くまで止まることはない。

 表皮が非常に硬いことと、翼で飛び回る高い機動力から、討伐が非常に困難な魔獣でもある。


「獣避けによってヒュポルドルスが退くかどうかを検証します」

「なるほどな。奴はあそこで寝てるが、縄張りの範囲は分かってるのか?」

「出来立ての糞塚がここから南に1000歩ほど歩いた所にありました。おそらくあの個体は繁殖期を迎えており、縄張りへの執着が薄く、縄張り外での活動を主としているのでしょう」

「あいつも婚活中ってわけか」


 見かけによらず、オブドルフも魔獣の生態に詳しいらしい。

 ヒュポルドルスは単独で縄張りに固執するという性質上、異性に出逢うことがない。どうやって繁殖しているかというと、繁殖期になると縄張りを移すのである。

 縄張りを移し、旅に出るのだ。

 そして、旅の途中で出逢った異性と子を成す。

 子を成した個体は新天地で縄張りに籠もり、メスはそこで子を産み育てる。


「よっしゃ、独身のよしみだ。少し挨拶してくるか」


 オブドルフは剣をいつでも抜けるようその柄に手をかけながらも、至って普段通りに平原を歩いていく。鼻歌さえ歌いながら。

 寝ていたヒュポルドルスも、下手くそな鼻歌が聞こえてくると目を覚まし、ヌゥっとその太い首を伸ばした。


「ッす! 最近どうだ? 調子いいか?」


 オブドルフは10m程の距離で立ち止まり、手を上げて挨拶した。

 しばし、独身同士の無言の視線交わし合いが続く。

 先に動いたのは魔獣の方だった。

 のっそりと身体を起こすと、鼻をヒクヒクさせながら、足早に離れていく。そして、十分に加速したところで翼を広げ、巨体が空中に飛び上がった。

 そのまま、雲の向こうへと消えていく。


「最近の若いやつは、愛想がないな」


 冗談交じりにいうものの、オブドルフの額には汗が浮いていた。


「ヒュポルトルスにあれだけ近づいて、無傷で帰ってこれたのは快挙ですね」

「マジで俺も驚いてる。あいつ頻繁に鼻を動かしていたな。明らかに俺の匂いを嗅ぎ取ってた。奥方の作った獣避け、こりゃかなり期待できるぞ」

「しかし、もう少しサンプルが必要です。次は草食性の魔獣で試してみましょう」


 1回の実験でその効果が発揮できたと判断するのは早計だ。

 もう何度か実験を繰り返してデータが十分揃えば、この獣避けを商品化することもできるだろう。

 これだけで辺境領の生活を豊かにすることはできないが、悪くない一歩だと思えた。

 私は満足し、移動するために広げた薬品を片付け始めた。

 少し離れたところで、ゼンとオブドルフが話している声が聞こえる。

 平原は思ったより声が通りやすく、内緒話は、もっと声を落としたほうがいい。


「ゼン、お前の奥方は凄いな」

「急にどうしたの…?」

「いやぁ、獣避けなんてもんを作っちまうなんて、すげぇよ。間違いなくこれで魔獣に襲われる奴は減る。俺はそう思う」

「そ、そっか」

「お前の女を見る目は確かだった。適当な貴族の娘と一緒になってくれればなんて、驕った考えだったよ。悪かった。奥方にも謝っておいてくれ」

「それ、リオに直接言ってあげた方が喜ぶと思うよ」

「ははは、いや、それがなかなか難しいんだ。男って奴はな…」


 だからその歳になっても相手が見つからないんだ、なんて思ったけれど、それは私の胸に秘めておこう。

 男というやつは、なかなか難しいようだから。

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