サクセン

 と、宣言したものの、具体的にどうやってこの貧しい辺境領を救うのか、その具体的な作戦については、実は特に案はないのだった。


 私は町―――…というか、村、村だな、あれは。

 エレンダル辺境領唯一の人里である”村”の外れに構えた自宅に戻ると、私は最初に堅苦しい獣皮のドレスを脱ぎ捨てた。

 白狼のふわふわの毛皮は暖かくて好きなのだけれど、恐ろしく重い。

 脱ぎ捨てたドレスをその場に残し、凝った肩をほぐしながら、私は作り置いてあった薬草茶を木製のカップに注ぎ、はぁー、と息を吐きながら椅子に沈んだ。

 ここは自宅、というか、研究所だ。

 母が構えた研究所。

 今は私が、この場所の主。

 部屋の中には様々な魔獣の標本があった。

 特殊な薬剤に漬けて腐敗を遅らせ、臓器や皮革の構造を観察しやすいように瓶の中に押し込んだもの。

 あるいは、骨だけ削ぎだして組み直したもの。

 皮革の強度を測るために鞣した革材。

 臓器の一部から抽出した成分を薬品にし、それを与えて生育状態を調べている植物達。

 そして、これまで調査実験の結果を書き溜めた紙の束が所狭しと山を作っていた。


「………結婚かぁ」


 結婚、というか、婚約してしまった。

 あの三騎士の前で、言ってやってしまった。

 これでもう、ゼンは私のもの。


「えへ…えへへへ……」


 頬が緩んでしまう。

 夢にまで見た日々が、目の前にある。

 って、いかんいかん!

 絵本ならこれで大団円なのだろうけれど、私にはこの先の物語がある。

 とりあえず、エレンダル辺境領の現状ついて纏めよう。


 エレンダル辺境領は豊富な水源と肥沃な平原を持ち、一見して狭いながらも良質な領土に見えるが、大源森と魔山脈に挟まれた最低の立地の為に魔獣が流入しやすく、毎月3体から5体の魔獣がやってくる。

 その度に、畑はぐちゃぐちゃに荒らされ、家畜は食い殺され、人々は恐怖に震え、時には深刻な人的被害も発生する。

 魔獣を恐れて行商人もやってこないし、何か特別な特産品があるわけでもない。

 領民は自分たちの食べる分だけの食料を確保して食いつなぎ、ボロボロの衣服を纏い、毎日毎日いつやって来るかもわからない魔獣に怯えながら、畑の世話をして暮らしている。

 ゼンによれば、先代領主ティードロウ男爵が、魔族との大戦で得た功績により国王から領土を賜った際、ここへやってくるために王都に構えた屋敷や、その丁度品、集めた武具を全て売り払って得たという資金が残っているらしいが―――…これをアテにする気はない。


 これが、現在のエレンダル辺境領の現状。

 端的に言って、終わってると判断して差し支えない。

 あらゆる全ての問題の根源は魔獣だ。

 魔獣さえいなくなれば、土地は肥沃なのだから、農耕や牧畜などで巻き返して行けるだろう。

 しかし、その魔獣をどうすることもできない。

 魔獣とは、様々な姿形を持ち、人知を越えた力を持つ巨大生物だ。

 ある魔獣は、刃を徹さぬ岩のような甲殻と、人を容易く灰に変える炎を持つ。

 ある魔獣は、鉄さえ切り裂く鋭利な爪と、暗闇でも人を見抜く魔の瞳を持つ。

 魔獣を前に、人など塵芥である。

 それがこの世界の常識で、私も認める真実だ。


 だが――――…


 彼らもまた、”生物”だ。

 人と同じく骨で身体を支え、臓器が動いて生きている。

 脳という臓器が考えを巡らせており、手足の筋肉が疲れれば動けなくなる。

 腹が減れば肉や草、岩を食らい、空に星が輝けば多くが眠りにつく。

 我々と変わらない。

 ただ少しだけ、強い力を持っているだけ。

 ならば、奴らを殺せぬ道理はない。

 かつて、私とゼンが、たった二人で魔獣を倒したように。

 私は壁に掛かった魔獣の首に視線を向けた。5年前から変わらぬ獰猛な顔。5年も付き合っているのだから、過去の因縁は水に流して、もう少し愛想をよくしてくれたって良いと思うのだけれど。

 

「やっぱり、魔獣を殺していくしかないか」


 魔獣を殺し、その肉を、その骨を、その革を糧としよう。

 その鋭利な爪は名工が鍛えた剣に匹敵し、その巨大な骨は家や壁になり、その革は軽くて丈夫な最高の狩衣になるはずだ。

 魔獣が十分な資源になると分かれば、人は恐れを飲み込んで、魔獣を狩る。

 魔獣が減れば、人は畑を広げられる。牧畜を飼える。

 魔獣の素材が商人や好事家の目に止まれば、これを特産にできるかもしれない。

 そうすれば、この地は豊かになっていく。


「よし、やるか」


 私には、母と共に培った魔獣への知識がある。

 ただ魔獣を闇雲に恐れている多くの人は知らないだろう。

 さる魔獣は水に弱く、雨の日には飛び立てぬことを。

 さる魔獣は炎に弱く、火が付けば自身の脂で燃え尽きてしまうことを。

 さる魔獣は急所を貫くだけで、全身の血を吹き出して死ぬことを。

 「如何様な知であろうと、知は人を導く」と、母は言っていた。

 私も、それを信じる。


 とはいえ―――…


 私は薬草茶を飲み干した。

 

 「知識があっても、戦う力はないから」


 だから、まず最初に、手軽いところからやっていこう。

 私は部屋の片隅でピーチクパーチク鳴き喚く、魔獣の雛達に微笑んだ。

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