獣血の魔女嫁

ささがせ

ナレソメ

 エレンダル王国辺境。

 幾万の魔獣が犇めく忌むべき地。

 それは、この場所の立地に影響している。

 南には、魔獣の祖地とされる始原林、大源森。

 北には、人がいまだ未踏の絶凍土、魔山脈。

 この二つの地に挟まれた翼猫の額程度の平原が、エレンダル辺境領と呼ばれる場所だった。

 魔獣の餌になりたいのならうってつけの場所―――…王都ではそう言われていると、ゼンから聞いたことがある。

 確かにそうかも知れない。

 魔獣だらけのこんな場所に住もうだなんて、正気じゃない。

 母も口を酸っぱくしてそう言っていた。

 けど、母はこの地を骨を埋める場所だと決めてここへやってきたし、ここへ来たことで母の研究は実を結んだ。

 私だって、母と共にここへ来ることがなければ、私はゼンと出逢うこともなかった。

 だから、きっと私もここに骨を埋める。

 魔獣ばかりのこの大地に、我が名を刻んだ墓碑を建てよう。

 そして、愛する人と共に眠るのだ。

 できれば、できれば―――多くの子らに看取られて。


 私は、獣血被りの娘―――…獣血の魔女、リオネッタ。

 ―――あ、いや、今はもう違うのだった。

 私の名前は、リオネッタ・ランドフォーク。




 で、


 こっちが、私の夫。

 ティーゼン・ランドフォーク。


「み、皆、頼むから落ち着いてよ…! たしかに突然結婚を決めたのはボクが悪かったよ! けどさ、顔を合わせる度に結婚しろ結婚しろってうるさかったじゃん! 言われた通り結婚したわけだし、もっと祝福してくれてもいいじゃん!」

「問題はそこじゃねーよ!」

「今回ばかりはオブドルフの言う通りですぞ、ティーゼン様! このような卑しい娘を娶るなど! ティードロウ様も蒼星で悲しまれます!」

「そうだー! そうだー!」


 夫の他には、夫の配下のハゲと、ヒゲと、チビがいる。

 ハゲがカイゼルドーンとかいう大層な名前の巨漢ジジイ。

 ヒゲがオブドルフとかいうヒゲ男。

 チビがプオルティックとかいうチビ女だ。いや、チビというかガキだ。

 この三人は、ゼンの父上であるティードロウ・ランドフォークに仕えていたという重鎮。王都に残ればそれなりに裕福な暮らしができるだろうに、それを投げ捨ててこんな辺境までついてきた変人どもだ。

 だからこそ忘れ形見のゼンに強い想いを抱いているのか、世話係としてピーチクパーチクと煩わしい。

 

「そもそもさー! 将来あたしを娶ってくれるって約束だったじゃーん!」

「へぁっ!? プ、プオル、あ、あれはあくまで子供の頃の口約束で…!」

「口約束だって契約が成立するよー!」

「ははは、プオルティック、そのようなルートは最初から選択肢として存在しておりませんぞ」

「淫魔はちょっと静かにしててくれる?」

「おっけー、お前らまとめて蒼星に送ってやんよ! 最後に立ってたやつがゼンを独り占めでいいよねッ!?」


 ひょっとして、その”お前ら”の中に私も入ってるんだろうか?

 暴れ出したチビ女がヒゲとハゲに躍り掛り、議会は紛糾を越えて乱闘になりつつあった。


「り、リオ、あの、プオルのことは本当に子供の頃の話で、その…!」

「大丈夫、分かってる」


 乱闘から抜け出してフォローにやってきた愛しき人に、私は微笑んでキスした。



 ゼンとの馴れ初めは、5年前に遡る。


 母とはぐれてしまった私が魔獣に襲われていたところ、まだ13歳だったゼンが助けに入ってくれたのだ。

 とはいえ、13歳のゼンは弱すぎて、あっさり魔獣にやられそうになったので、私と一緒に力を合わせて魔獣を倒したのだけれど。

 呼吸を荒くして草の上にひっくり返ったゼンの双眸が、深い蒼空を映していたのを憶えている。

 汗の珠を顔中に作って、傷だらけになりながら、私のために剣を振るう少年の必死な顔を憶えている。

 その時浴びた、獣の血の味を憶えてる。

 返り血で血塗れになった私は、力尽きて倒れた少年の傍らに腰を降ろした。


「ありがとう」

「はぁ…はぁ……うん、こっちこそ…ありがとう…はぁ…」


 そうして、二人で金色に染まる平原を見つめた。

 蒼穹と黄金。

 そして、獣の血の赤。

 獣の急所を抉った短刀は、私の手の中で白熱したように熱かった。

 この時、私は初めて、この世界が美しいと思った。

 道を一歩でも踏み外せば、己を喰らおうと付け狙う魔獣ばかりの仄暗い世界が、どうしてこんなに美しく映るのか。

 私は、それはきっと、彼が居てくれたからだと思った。

 その日から、私は不治の熱病に罹ってる。

 私の世界に色をくれた彼のことを、愛してる。

 


「はぁー!!!? そこの獣臭い娘ェ―ッ! お前! お前お前お前ェッ! アタシのゼンに何してるのよぉー!?」

「わーお…マジか…」

「我々のいる場で!? な、なんと不埒なっ!?」


 煩い声が聞こえてきたので、仕方なく私はゼンの口から舌を抜いた。


「…私、何かしてしまいましたか?」

「ブッ殺すッ!!!!」

「今のうちにこの女狐を払いましょうぞ!」

「いや、待て待て待て! 流石にこの場で死傷沙汰は不味いから! な!?」


 あはは、チビとハゲが本気で怒ってる。

 ちょっと面白かったが、流石にこれ以上からかうと我が身も危ないので、私は母仕込みの作法で一礼することで、この戯劇を仕舞いとしよう。

 よく鞣した獣皮のドレスの裾を持ち、片足を引いて、軽く膝を折る。


「御名高き三騎士を前に、名乗りもせず失礼致しました。私は獣血被り、あるいは、獣血の魔女、リオネッタと申します」

「………」

「………」

「………」

、リオネッタ・ランドフォークと申します。以後、お見知りおきを」

「てめぇー!!!!」

「ワシは認めませんぞぉー!」

「剣を出すな! 剣を! おい! ゼン! 二人を宥めてくれ!」

「え……? あ、あ! うん!」

 

 不意打ちキスで魂が抜けていたゼンが我に返り、チビとハゲの説得を試みる中、火種となった私は静かにこの場を立ち去ることにした。

 私がこの場に居座ったら、いつまで経っても怒りの火は消えないだろうから。

 しかし、これだけは言っておかなくては。

 私は思い立ち、足を止める。


「最後に一つだけ」


 私の声に、ゼンと三騎士が揃って振り返った。


「私が、必ずやこの貧しき領地を救います。忌まわしき魔獣共を糧にして」


 豊かとなったこの地で多くの子を成し、命を終える。

 そして、愛しき人と共に、彼方夜空の果てにあるという蒼き星へと旅立つ。

 先に待つ母に、我が最愛の夫を見せよう。


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