第8話 令嬢、吸われる

 ここはバレス辺境伯領北部にある『魔の森』周辺。

 わたくしが魔術の練習を始めてから1週間が経とうとしていました。

 既にドレスの修復も終わり、体力トレーニングも並行して進めつつ、万全の状態です。


「【鎌鼬かまいたち】!」


 掌から放たれた巨大な風の刃が巨木へと突き刺さります。

 刃が消えた後の大木にはしっかりと大きな傷跡が刻まれており、わたくしの魔術も見れるレベルに仕上がっているようでした。


「うん、かなり上達してきたね。対人相手ならともかく、魔物相手なら魔術師としてかなり上位の実力と言っていいんじゃないかな」


 周囲を警戒していたヒナミナ様が声を掛けてくれます。

 市街地から離れたこの魔の森は魔術の練習にはもってこいの場所なのですが、いかんせん入り口付近であっても魔物が襲いかかってくる事が多いのがネックになります。

 彼女はわたくしが魔術の練習に集中できるよう、そういった障害を全て排除してくれていました。

 本当にお世話になってばかりです。


「ありがとうございます。あとはわたくしもヒナミナ様のように遠くの位置に魔術を発動したり、正確に狙い撃ったりできるようになればいいのですが」


 ヒナミナ様は遠くの場所に、の時間もなく、複雑な魔術を展開できる凄まじい技量を持っています。

 わたくしも何度かヒナミナ様のように攻撃する対象(この場合は大木)の近くから魔術を発動しようと試した事はあるのですが、比較的簡単な風の球体を放つ魔術、【風玉かざたま】ですら発動までに10秒近くかかってしまう有様でした。

 実戦では敵も動く為、とても使い物にはなりません。


「ボクがやってるのは大道芸みたい物だから。殆どの魔術師は自分の身体の近くから魔術を放つものだし、実際それだけでも問題が出る場面はほぼないからね」


 そう言いながらヒナミナ様は掌に水球をひとつ発生させるとそれを蝶のような形に変えました。

 水の蝶はパタパタと羽ばたきながらとわたくしの目の前を自在に飛び回ります。

 わたくしが魔力を球体か、斬撃に変えて真っ直ぐ飛ばすのが限界なのに対して、彼女は比べるべくもない凄まじい精度の操作能力でした。


「レンちゃんに必要な技術は2つ。まず魔術の発動にかかる時間を短縮する事、次にできる限り隙間なく連発できるようになる事。これさえ出来れば大抵の相手は封殺できるようになるからね。とにかくその魔力量を活かして物量で押していこう」


「はい。……ただ一つ、気にかかる事がありまして」


「うん。何でも言って?」


「まだわたくしは実戦を経験していないので推測にはなるのですが、戦闘の際、わたくしの存在がヒナミナ様の足かせになる場面が多くあるように思うのです。わたくしには貴女のように敵に捉えられないような速さで動く事も、邪魔にならないよう隠れる事も出来ませんから」


 ここ数日過ごして理解しましたが、ヒナミナ様の戦闘能力はまさに万能と言っても過言ではありません。

 魔術の技術にばかり目が行きがちですが、剣術の腕も恐ろしいほどに凄まじいの一言です。

 なにせ常に脱力状態を維持した身体から繰り出される斬撃は初動らしい初動が見えないのですから。


 戦いにおいていつでも瞬時に最高速の一撃を放てる事のアドバンテージの高さは言うまでもありません。

 おそらく剣術、魔術、どちらか片方しか使えなかったとしても彼女はBランク一流の域に達していた事でしょう。


 ですがわたくしとペアを組んだ場合、弱点のない彼女にわたくしという弱点が増える事になります。

 例えば前方に大量の敵がいる場合ならわたくしが魔術を連発する事でヒナミナ様の助けになる事はできます。


 ですが、もし四方から囲まれてたら?

 複数の相手がわたくしを集中して狙ったなら?

 その時点でヒナミナ様はわたくしを守る戦いに切り換える必要に迫られるのです。


「うーん。前にボクと君が組めば最強のパーティだって言った事は覚えてるかな?あれは遠距離特化の君と近遠両方対応できるボクが組めばバランスがいいって意味で言った訳じゃないよ」


「えっと、それではどういう意味だったのでしょうか?」


「ほんとにそのまま。ボクと君の力を合わせれば誰も到達する事のできない領域に至ることができる。相手が仮に君のお兄さん、ガネット様であっても0.5秒もあればころ……倒せるんじゃないかな。武芸達者なガイアだったらもう数秒は持ち堪えるかもしれないけど」


 力を合わせる、つまり連携技という事でしょうか。

 そうすればガネットお兄様を殺……間違えました、倒せる。


 それにしてもヒナミナ様はSランク最強のお兄様よりAランク英雄のガイア様を評価されているのですね。

 ガイア様のファンであり、お兄様が大嫌いなわたくしとしてはちょっと嬉しくなります。


「土壇場でやったら支障が出るかもしれないし、今試しておこうか。レンちゃん、こっちにおいで」


「はい、分かりまし——きゃっ!?」


 ヒナミナ様のお傍に近づくやいなや唐突に抱きすくめられてしまいました。

 彼女の柔らかい身体の感触と共に心地良い香りがします。


「あ、あのっ!わたくしとしてはもちろん嫌ではないのですが!流石に屋外では――」


「そう、君の言う通り、ここは安全な屋内じゃない。今から試す魔術も実戦ではスピード勝負になる」


「んんっ!?」

 

 そう言ってヒナミナ様はわたくしの顎に手をやり上を向かせるように傾けると、そのままわたくしの唇を奪いました。

 ロマンも何もない、ただただ強引なだけの貪るようなキス。

 本来ならこのはしたない行動に対してわたくしは怒りを覚えても許される筈なのですが、それより先にヒナミナ様に口付けして頂けた事や彼女の方からわたくしを求めてくれた事に嬉しさを感じてしまい、感情がぐちゃぐちゃになりました。


 ……このまま彼女を抱きしめ返してもいいのでしょうか?

 ヒナミナ様から事に及んだ以上、わたくしにもその権利はあると思うのですが、それをしてしまうとわたくしが彼女に無理矢理な行為をされる事を望んでいると捉えられてしまうかもしれません。


 そんな事を考えていると、不意に身体の奥から何かを吸い上げられているような感覚を覚えました。

 吸われていく度に緩やかな倦怠感に襲われ、手足から力が抜けていくようです。

 うとうとして瞼が閉じそうになったその時、不愉快な声が耳に響いてきました。


「ひゅーっ!見せつけてくれるねぇ!」


「……?」


 ヒナミナ様は唇を離し、わたくしを背に隠すようにして声が聞こえた方に向き合います。

 わたくしは眠気を抑えつつ、ヒナミナ様の背後から前方に視線をやると、そこには前にわたくしを慰み物にしようとした冒険者二人、カリスとローグがいました。

 背後には3人の男性を引き連れており、彼らは身なりが整っていない事からカリスやローグの同業者という訳でもないようです。

 いわゆるならず者という方々でしょうか。


「ちっともギルドに顔を出しゃしねぇと思ったら、まさかこんなとこであの時のお嬢ちゃんとして遊んでるたぁ、大層なご身分だぜ。流石はBランク一流冒険者と言ったところかぁ?」


「なんだ、あの時のチンピラか。それでボクに何か用かな?」


「冒険者っつうのは舐められたら終わりだからよ。前は不意打ちで後れを取ったが今回はそう上手くはいかねぇ。あの時のお嬢ちゃんがいるのも丁度いい。お前を軽くボコしたらお嬢ちゃんと一緒に可愛がってやるよ」


 そう言いながらカリス達は腰に下げた武器を手に取ります。

 本来なら魔術を使えるようになったわたくしも応戦すべきなのですが、あいにくまだ力が抜けたままでまともに動けそうにはありません。


「なるほど、つまり君達はボクとレンちゃんを慰み物にしに来たと。まぁ、レンちゃんからもらった魔力を試すにはいい機会かな」


 彼らの敵意に応えるように、音もなくヒナミナ様が刀を抜きました。

 そして――


 ヒナミナ様の姿がその場から搔き消えたかと思ったその直後、凄まじい剣戟の音が幾度も鳴り響き――

 一瞬の間をおいてカリス達の背後に立つ彼女の姿が現れたのです。


「な、なんだ!?あの女、どこに行き――ヒィッ!?」


 カリス達は自分の手にあった武器が根元からヘシ折られているのを見て驚愕に顔を歪めました。

 どうやら彼らはヒナミナ様の動きを視認できなかったようです。


 そうなるのも無理はないでしょう。

 幼い頃からバレス邸の私兵による魔物の討伐及び訓練、年に一度開催される武闘大会出場者達の激戦、そういった質の高い戦いを見続けて、お父様から「お前は魔術の才は皆無だが、目の良さだけは一級品だな」と褒められたわたくしですら、辛うじて認識できたと表現するのが精一杯なのですから。


 ……なんだか言ってて悲しくなってきましたね。

 話を戻します。


 ヒナミナ様は足元から水の魔術を噴出する事による急加速からの高速移動、刀を振るう際もそれに合わせて水の魔術を噴出する事で更に速さを増した恐るべき速度での斬撃、それらを何度も繰り返す事によって、カリスを始めとする5人全員の武器を叩き壊したのです。

 わたくしが視認できたのは彼女が視界に入っていたからであって、その範囲から出たらおそらく首を動かす速度が追い付かなかったことでしょう。

 それほどまでに圧倒的な速度でした。


「【氷獄ひょうごく】」


 狼狽するならず者達をよそに、ヒナミナ様は刀を地面に突き刺し、魔術名を唱えます。

 すると何十本もの真っ白な鋭い氷柱が地面を突き破りながら出て、彼らを囲むようにして身動きを封じてしまいました。

 動きを拘束された彼らはもはやパニック状態になっているようです。


「ねぇ」


 ヒナミナ様は先程までと変わり、ゆっくり歩いてカリスに近づくと、彼の首に刀を突きつけます。


「うわあぁっ!?頼む、殺さないでくれえっ!」


「今から警備隊をここに呼んでくる。君達は自分がボクとレンちゃんに何をしようとしたか、警備隊に正直に話すように。もし嘘をついたらその時は……分かるね?」


 こくこく、とカリスは必死になって首を振り続けます。

 ここまで傍若無人な振る舞いを繰り返してきた彼も命は惜しいようでした。


「行こうか、レンちゃん」


「はい」


 拘束された彼らを置き去りにしてわたくし達は魔の森を離れました。

 残された彼らが魔物に襲われないように、彼らの周りをさらに氷柱で囲んだのはきっとヒナミナ様なりの優しさなのでしょう。


    ◇◇


「わたくしとヒナミナ様が組めば最強というのは、わたくしの魔力をヒナミナ様がお使いになるという事だったのですね」


 地面から無数に突き出た氷柱に驚かれたものの、カリス達を警備隊へ引き渡す工程自体はスムーズに終わりました。

 市街地に戻る道をわたくしはヒナミナ様と肩を並べながら歩きます。


「うん。使えるまでには準備が必要になるし、維持できる時間も限られてるけどね。でも結構凄かったでしょ?」


「凄いのはその通りですが……あのような行為を断りもなくされるのは困ります!」


「あーごめんね。風花フウカちゃんや紅麗クレイちゃんは喜んでくれてたから大丈夫かと思ったけど、確かに無遠慮すぎたよ」


「えっ……フウカ様はともかくクレイ様にもこのような行為をされていたのですか?」


 クレイ様はヒナミナ様のもう一人の妹君で歳はわたくしと同じ15歳の少女です。

 彼女はフウカ様と違いご存命ですが、このブラン王国には来ておらず、今も日陽で暮らされているそうです。


「さっきボクがやった魔力をもらう魔術を教える為にね、色々と直接指導したよ。まぁ実戦ではボクとクレイちゃんでやる訳じゃなくて、フウカちゃんからクレイちゃんが魔力を受け取る為にやってた魔術なんだけどね……ってなんで落ち込んでるの?」


「いえ、別に落ち込んでいる訳では。……ただわたくしは2番目どころか3番目の女だったと思うとちょっと」


 わたくしは自身が一番でなくても、ヒナミナ様にとってフウカ様の代わりだとしても、彼女と一緒にいられればそれでいいと考えていました。

 ですが実際のわたくしはフウカ様の代わりですらなく、ただ可哀想だから拾われただけの女であり、彼女の心の支えとして一切貢献できていないというのは流石に凹みました。


「……えっとね、レンちゃん。君とフウカちゃんやクレイちゃん、どっちが大切かって話ならやっぱり義妹達になっちゃうけどね」


 コホン、と一言咳払いしてヒナミナ様は続けます。


「ボクにとって女の子として一番魅力的に映っているのは間違いなくレンちゃんだよ」


「!?」


「君みたいにお淑やかで綺麗な子は初めて見たし、実はさっき魔力を貰った時も、この子可愛いな〜とか考えながらしてたし」


 ――わたくしは。

 期待してもいいのでしょうか?


「だから、君がボクにとって何番目だとかは気にしなくていいの。フウカちゃんが君とボクの縁を結んでくれたのは確かだけど、だからと言ってボクはレンちゃんにフウカちゃんと同じような存在でいて欲しいなんて思ってないからね」


 ヒナミナ様がわたくしの手を取り、繋いでくれます。

 彼女の手は先程戦った為か、少しだけ汗ばんでいたように感じられました。





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レンはヒナミナの事を自分より美人だと思ってますが、ヒナミナもまたレンの事を自分より美人だと思ってます。

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