第3話 令嬢、拾われる

「危ない所を助けて頂きありがとうございました」


 ヒナミナ様から差し出された手を取り、お礼を言います。

 彼女はわたくしの身体の状態を確認すると、わたくしを不安にさせないようにとにっこり微笑みました。


「よかった、怪我はないみたいだね。見たところ君は貴族のお嬢さんかな?ボクでよければご家族のいる屋敷まで護衛するよ」


「帰る場所は……ありません。今のわたくしはもう貴族ではない、魔術すら使えないただの小娘です」


「魔術が使えない?あぁ道理で」


 腑に落ちた、といった表情でヒナミナ様は頷きました。

 魔術が使えないと聞いて軽蔑されてしまったかもしれません。

 ですが彼女の口から出たのはわたくしの想像とは違った物でした。


「ならボクの家においで。大丈夫、悪いようにはしないから」


    ◇◇


「ここがボクが借りてる貸家だよ。貴族のお嬢さんから見たら狭くて申し訳ないけどね」


 ヒナミナ様に案内されたのは小さな庭のある平屋でした。

 広さは外観からしてバレス邸でわたくしにあてがわれた部屋より少し大きいぐらい。

 とはいえ、冒険者の方はその大半が安宿かシェアハウスに住んでいると言われており、貸家とはいえ一人で一戸建てに住んでいる彼女の収入は並の冒険者よりは上なのでしょう。

 玄関は引き戸になっており、室内に案内されました。


「ここは……」


「靴は脱いでから上がってね」


 玄関には靴を脱ぐスペースがあり、廊下は木製、リビングと思われる部屋は畳敷きになっていました。

 本で見た知識だといわゆる和風と呼ばれる作りのようです。

 ヒナミナ様は小さな机の前に座布団を2つ置くとわたくしに座るように促しました。


「まずは自己紹介しようか。ボクは雛水ヒナミナ。今は冒険者として生計を立ててる。故郷は日陽ニチヨウでそこでは巫女をやってたよ」


 ヒナミナ様の故郷である日陽ニチヨウは東にある小さな島国で、最近になってブラン王国とも交易するようになったと聞いた事があります。

 この家の作りもおそらく日陽独自のスタイルなのでしょう。

 それよりもわたくしには一つ気になる事がありました。


「ヒナミナ様は聖女様なのでしょうか?」


 聖女、別の呼び方として巫女。

 聖女について語るには魔術に関する知識が必要になります。


 まず、魔術の系統は大きく分けて火、水、風、土の4属性。

 その4属性とは別にある希少な物が系外魔術。

 系外魔術の一つに人を癒す治癒魔術があり、その中でも特に治癒魔術に優れた女性は聖女と呼ばれ、彼女達は民から厚い信頼を得ています。

 私の問いにヒナミナ様は苦笑しながらかぶりを振りました。


「あぁ、そう言えばこの国では聖女様の事を巫女と呼ぶ事もあるそうだね。でもボクはそんな大層な者じゃないよ」


 苦笑から一転、彼女は感情が抜け落ちたような表情をして。


「ブラン王国における巫女、もとい聖女様は施し、癒す者。だけど日陽における巫女は神に者の事を言うんだ」


「……!」


 圧迫した雰囲気にわたくしが言葉を発せないでいると、彼女は表情を正してまた優しい笑みを浮かべます。


「さて、ボクの自己紹介はこれで終わり。話せる範囲でいいから今度は君の事を教えてよ」


    ◇


 考えた挙句、わたくしは全部話す事にしました。

 自分の名前と出自。

 魔術が使えず屋敷では存在しないかのように扱われてきた事。

 とうとう屋敷から放逐された事。

 お兄様にドレスを破られ、娼婦のように生きていけと言われた事。


 お父様からバレスの名を名乗るなと言われましたが、それもヒナミナ様に打ち明けました。

 ただ全部喋って楽になりたかっただけなのかもしれません。

 ヒナミナ様は泣きそうになるのを堪えながらぽつりぽつりと話すわたくしをせかそうともせず、最後まで聞いてくださいました。


「よく頑張ったね、レンちゃん」


 ふいにヒナミナ様に頭を抱き寄せられ、撫でられました。

 ヒナミナ様の大きなお胸に包まれて緊張が解けたのか、堪えていた涙が零れ落ちます。

 わたくしははしたなく思いつつも、ヒナミナ様の背に手を回して声を出さぬよう静かに泣き続けました。


    ◇


「ヒナミナ様、お願いがあります」


「どうぞ」


「独り立ちの資金が貯まるまでの間、わたくしをヒナミナ様の御自宅に置いてください。対価として家事の全てを行い、必要な資金以外の全てのお金を差し出す所存です」


 気分が落ち着き泣き止んだ後、わたくしはヒナミナ様に交渉を持ちかけました。

 まずそもそもの問題としてわたくしには着る服も生活する為のお金もありません。


 ヒナミナ様の年齢はわたくしより少し高い身長やその美しい容姿からおそらく2~3歳程度年上に見えます。

 Bランク一流冒険者として立派に生計を立てている彼女、そしてさほど歳も変わらない少女に生活の支援をお願いするわたくし。

 自分の至らなさに打ちのめされそうになりますが、それでもまだ生きる事を諦めたくはなかったのです。


「家事は分担してやろうか。お金は食費を半分受け持ってくれればいいよ」


「ですがそれでは余りにも……」


 わたくしが受ける恩恵とそれによって彼女が得る利益が釣り合ってなさすぎる、そう続けようとしましたが。


「代わりに冒険者になってボクとパーティ組んでよ。取り分は折半でいいからさ」


「冒険者?」


 ヒナミナ様の提案はわたくしの想像とは大きく異なった物でした。


「それはわたくしにヒナミナ様のサポーター荷物持ちになれという話でしょうか?」


 冒険者のパーティによっては戦闘する者達の補助を担うサポーターを採用しているところもあります。

 荷物持ちが主な役割であるサポーターの需要は系外魔術の一つである空間魔術が施された製品の数々、見た目より多くの物が収納できるそれらが出回るようになった事により、以前より減っています。

 ですが、それでもある程度の人数を有するパーティにおいて全体の補助を担当するサポーターは一定の採用価値があると言われています。


「サポーター?ボクは元々ソロの冒険者だよ。荷物持ちなんて必要ない」


 ヒナミナ様は手を振って否定します。


「レンちゃん、君にやって欲しいのはその有り余る魔力を使った魔術による殲滅だよ。ボクが前衛で君が後衛。それで最強のパーティの完成さ。ボクと君が組めばAランク英雄冒険者、ガイアが率いる【雌伏の覇者】にだって劣りはしない」


「……」


 からかわれてるのでしょうか。


「ヒナミナ様、わたくしは魔術を使えないのです。もし使えていたら――」


 お父様に追い出される事も、お兄様に虐げられる事もなかったのに。


「ボクはレンちゃんを馬鹿になんてしないよ。だってボクの義妹も君と同じ、高い魔力を持ちながら全くそれを操作できない子だったんだから」


 ヒナミナ様の妹様もわたくしと同じ?

 塞ぎ込むわたくしの頭を撫でながらヒナミナ様は言葉を紡ぎます。


「ついておいで。ボクが長年君を苦しめた呪縛から解放してあげる」


    ◇◇


 案内されたのは和風の寝室でした。

 広さはさほどでもありませんが、箪笥に鏡、布団が一式あり、寝室としての機能は問題なく備わっているようです。


「正直、君を一目見た時は義妹の風花フウカちゃんの生まれ変わりかと思ったよ。その真っ白な髪に赤い瞳、おぞましいまでの魔力量。何もかもそっくりだ。まぁ、君の方が美人ではあるけれど」


「生まれ変わり、という事は妹様は――」


「うん、この世にはもういない。ボクの力が足りなかったばかりにね」


 諦観の表情を浮かべたのも束の間で、ヒナミナ様はわたくしと敷布団の上で向き合いました。


「さて、話を戻すとしよう。まず魔術を使うには体内で魔力を操作する必要があってそれには目には見えない魔力器官が必要になる。だけど君やフウカちゃんみたいに魔力量があまりにも多すぎる人間は魔力器官が魔力の重みに耐えきれず、壊れてしまうんだ」


 魔力を操作する為に必要な魔力器官。

 本来なら誰にでもあるそれが最初から破壊されていた。

 もしそれが本当なら治癒士や聖女様に診て頂いてもわたくしが魔術を使えるようにならなかった理由にもなります。


「だからボクが新しく君の中に魔力器官を造ってあげる」


「魔力器官を……造る?」


「そう。ボクがフウカちゃん一人の為に開発した取っておきの魔術。造った魔力器官は元から身体に備わっている物より大分雑な出来になる関係上、細かい魔力操作や出力を上げる事は難しいけど、それでも君に備わっている膨大な魔力を放出する程度の事はこなせるように――おっと」


 気付いたらわたくしはヒナミナ様に縋りついていました。

 わたくしが虐げられ、疎まれてきた原因。

 それが解消されると聞いて冷静ではいられなかったのです。


「焦らなくても大丈夫。まずは布団の上に仰向けになって、力を抜いて。目は……閉じなくてもいいか。後はボクに任せてくれればいい」


 感情が昂ったわたくしの頭をヒナミナ様は優しく撫で続けます。

 一撫でされる度に、心が平静を取り戻していくかのようでした。


    ◇


 落ち着いたわたくしは言われた通りに敷布団の上に仰向けになりました。

 胸がトクンと高鳴るのは魔術が使えるようになるかもしれないという期待と不安からか、それとも布団から微かに香るヒナミナ様の匂いを嗅いだからかは判別できません。


 仰向けになったわたくしを跨ぐようにしてヒナミナ様が覆いかぶさります。

 それにしても、こうして見ると本当に綺麗な方です。

 わたくしを見つめる蒼の瞳は真剣そのもので、そこには一切の邪念も感じられません。


 いつの間にかヒナミナ様の艶やかな黒髪がわたくしの頬に触れる程に距離がつまっていました。

 形のよい唇から漏れる吐息がかかります。

 ここまでくると察しの悪いわたくしでもヒナミナ様がどういう行動を取るか理解できました。


 反射的に身をよじりそうになるのを自分の意思で抑えつけ、ヒナミナ様の瞳を真っ直ぐ見つめ返します。

 拒否するには恩を受けすぎていたし、それにこれから起こるであろう出来事にわたくしも少しの期待と好奇心があったのです。


「んっ……」


 唇が重なりました。

 最初はふんわりと触れ合うような軽いキス。

 もしわたくしがあのまま裏路地で冒険者達の手によって純潔を散らされていたら。

 バレス家が武家ではなく普通の貴族の家で、政略結婚として顔も知らない男性の妻となり、性欲の捌け口となっていたら。

 そんな今となっては有り得ない未来が頭に思い浮かぶと、この美しい少女にわたくしの初めてのキスを貰って頂けたのはとても幸運な事だったのかもしれません。


 二度目のキスは深いキス。

 ヒナミナ様の舌が口内に侵入し、わたくしの舌と絡み合います。

 それに伴い、唾液だけではない何かがわたくしの喉を伝ってドクドクと流れ込んでいく感覚を覚えました。

 流れ込んだ物はわたくしの胸の奥に集まり、ゆっくりと溶け込んでいきます。

 今がヒナミナ様の言う魔力器官を造る作業工程なのかもしれません。


 頭がふわふわしてボーっとします。

 酸素が足りなくて少し息苦しい。

 一旦離れてもらう為にヒナミナ様の肩を左手で軽く叩くと、そのまま手を握り返されました。

 俗に言う恋人握りという物でしょうか。

 確かに物寂しい気持ちはありましたが、違う、そうじゃないんです。


 徐々に視界が真っ白に染まっていきます。

 数分か、それとも数十分経ったのかもはや判別できませんが、しばらくしてからヒナミナ様の唇が離れていきました。

 唾液の線がお互いの唇を伝います。

 胸の奥が熱い、目を開いていられません。


「お休み、レンちゃん」


 ヒナミナ様の掌が優しくわたくしの頭を撫でます。

 そうしてわたくしはようやく意識を手放す事を許されたのでした。





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ちゅっちゅする前の言い訳の為に3600文字以上使いました。

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