第36話 劉備対曹操

 蜀軍と魏軍は、奇しくも私の故郷、荊州南陽郡新野で激突した。

 この戦いの模様を、私は後日、さまざまな人から聞いた。


 諸葛亮は戦いの始まる前に、劉備に籠城を勧めた。

 曹操軍は五十万の大軍であり、野戦で正面からぶつかっては、二十万の劉備軍は不利である、というごく常識的な理由だった。

 堅城である江陵城に籠もり、劉禅軍の到着を待つ。

 劉備軍と劉禅軍を合わせて、曹操軍を討つ。

 これが諸葛亮の主張だった。


 関羽は反対した。

 荊州を領有して以来、劉備軍は騎兵の育成に多くの力を注いだ。

 その騎馬数は三万。

 張飛が指揮する第一騎兵隊、関羽が率いる第二騎兵隊、関平が統べる第三騎兵隊。

 その真価が発揮されるのは、野戦においてである。

 野戦にて雌雄を決すべし。

 これが関羽の主張だった。


 劉備は軍師である関羽の主張を採用した。

「孔明、三万の騎兵隊を精鋭に仕上げることができたのは、そなたの財政のおかげである。金がなければ、これほどの馬を買い、維持することはできなかった。わしは荊州騎兵を率いて、曹操軍を撃ち破ってみせる。そなたは後方からわしらを支援してくれ」

「はい。ご武運を祈っております」

 諸葛亮は、劉備軍二十万を公安城から見送った。

 

 船で江水を渡り、荊州を北上。

 歩兵十五万、騎兵三万、特殊兵二万。

 

 蜀総帥の劉備は、自ら第一歩兵隊五万を率いている。

 同じく五万の兵を有する第二歩兵隊長は、劉封。

 同兵力の第三歩兵隊長は、楊儀。


 二万の特殊兵隊長は、馬謖。

 特殊兵は弓と攻城兵器の専門家集団であり、戦場で架橋や地下道掘削などを行う工兵でもある。諸葛亮が発明した長射程距離の強弩をもあつかう。孔明が半ば趣味で育成したような部隊であり、彼の弟子の馬謖は、特殊兵の訓練に明け暮れていた。


 関羽は不思議な用兵思想を採用していた。

 全軍の統一的な運用は、極力排する。

 騎兵三隊、歩兵三隊、特殊兵一隊は、それぞれ独自に意志を持ち、自由に動き、前に出、後ろに退き、全軍変幻自在に動くべし。


 孫子云く、兵をあらわすの極みは、無形に至る。勝利の形はくり返すことはない。敵味方の形に無限に応じてゆくべし。


 この奥義は理屈では実践することはできない。

 関羽は荊州軍全七隊をさまざまに組み合わせ、模擬戦をくり返すことにより、限りなく自由自在な軍を生み出そうとした。

 何年もかけて、荊州軍は七体の生命体のようなものになった。

 劉備、関羽、張飛、関平、劉封、楊儀、馬謖という名の獣たちの軍団。


 いちおう劉備が総帥であるが、総指揮をすることはほとんどない。

 劉備が進むと、その周りを六隊が自由に進む。関羽が先頭になることがあれば、楊儀が先頭になることもある。劉封と馬謖が左右に並んで同時に先鋒になることもあり、それを関平が追い抜いていくこともある。

 統率が取れていないようで、取れており、統べられているようで、統べられていない。

 軍師関羽は、そのような軍を創りあげていた。

 科学的用兵を求めた魏延とは、根底から思想が異なっていた。


 劉備は新野の台地に至ったとき、「ここはよい」とつぶやいて第一歩兵隊を停止させ、全隊で焚き火を始め、肉を焼いた。

 他の隊は付近に好き好きにとどまり、やはり焚き火を始めた。

 

 曹操軍が新野に到着し、多数の焚き火の煙を見たのは、劉備軍が台地に滞在してから、一週間後のことであった。

 先鋒は楽進。次鋒は于禁。中軍に曹操、賈詡、夏侯惇がいる。遊軍は許褚。殿軍は張郃。

 大軍が一千人ごとにまとまり、見事な魚鱗をつくって進軍している。例外は騎兵を束ねる許褚。彼は縦隊をつくって、全軍の右翼を進んでいた。


 劉備軍は昼食炊事用の焚き火を消した。

 曹操軍はひたすら前進した。大軍に兵法なしという。

 馬謖隊が強弩を放った。それは常識を超えて長く飛び、楽進隊の兵を十数名射殺した。

 楽進隊は盾をかまえ、さらに前進した。

 弩の威力は強く、盾をつらぬいて、兵を殺した。

 楽進隊は台地に向かって走り出した。


 関平が手を高く挙げてから振りおろし、馬を駆けさせた。第三騎兵隊が動いた。騎射にたけた隊であった。

 関平隊は楽進隊の前を横切りながら、矢を射た。敵が同じく矢で応戦しようしたとき、第三騎兵隊は台地に駆け戻っていた。


 入れかわりに、張飛騎兵隊と関羽騎兵隊が台地から駆けおりていった。

 ふたつの龍のような騎馬隊が、先鋒楽進隊と次鋒于禁隊を切り裂いて、魚鱗をいくつか粉砕した。

 関羽と張飛は、左右に分かれて、密集した曹操軍の外に出た。


 張飛隊の正面に、許褚隊がいた。

 張飛は許褚と斬り合ったが長引かせず、風のように曹操軍の側面を駆けた。

 許褚隊が追った。中軍の鱗のいくつかを夏侯惇が率いて、張飛隊を阻もうとした。

 張飛隊は隻眼の将軍、夏侯惇の部隊に衝突した。

 このとき張飛は、夏侯惇に残されていた片目を蛇矛で斬った。

 夏侯惇は完全に光を失った。


 夏侯惇が地面に膝をつけ、悲鳴をあげたとき、曹操軍は勢いをなくした。

 劉備隊、劉封隊、楊儀隊が、鉦を打ち鳴らしたわけでもないのに同時に台地から走りおりて、曹操軍に襲いかかった。

 荊州歩兵三隊は、敵先鋒の楽進隊を揉みに揉み、敵歩兵をすり減らした。

 楽進は、一兵卒の槍に刺されて、落命したらしい。


 曹操は鉦を打ち鳴らさせ、全軍を退却させた。

 強弩も届かぬ距離で態勢を整え、曹操は分厚い魚鱗の陣を張った。

 五万の楽進隊は半数ほどに減っていた。

 楽進が帰らず、曹操は顔色を変えたそうだ。

 曹操は天幕の中で横たわる夏侯惇を見て、「容易ならざる敵だ。やはり劉備は殺しておくべきであった。関羽も……」とつぶやいたと言われている。 

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