第35話 天下騒然

 建安二十一年の春、益州軍は南鄭に集結した。

 私は馬超に会い、「中原へ連れていけなくてすまない。雍州、涼州を頼む」と伝えた。

「魏軍と戦う大作戦に参加できて、武人として本望です」と彼は言った。曹操と直接戦えないことなど、つゆほども気にしていないようだった。

 馬超軍は斜谷道を北上し、郿へ向かった。


 劉禅軍は子午道を進軍。漢中郡の田園地帯を東へ。田植えが始まっていた。

 やがて進路は北東へ変わる。険しい秦嶺山脈へ入り、桟道を進んだ。

 許褚の出現を警戒していたが、敵は出てこなかった。

 荊州魏興郡を経由し、雍州京兆郡に入る。京兆郡には魏の重要都市長安がある。我々の最初の戦略目標である。


 私は敵地に侵入して緊張したが、長安まで、我々をさえぎる者はいなかった。

 長安城を包囲し、情報を集めた。


 長安城を守っていたのは、曹仁であった。

 かつて江陵城で周瑜軍と戦い、一年間も籠城に耐えた名将だ。守備の兵力は三万。

 ここには曹操軍の主力はいなかった。曹仁軍には、城壁から出て劉禅軍十五万を撃破する力はない。守りに徹するであろう。


 長安に大軍がいないのは、荊州軍、益州軍、呉軍が同時に魏軍を攻める態勢を取れた成果と言っていい。もし魏軍を攻撃する勢力が益州軍だけだったら、曹操は大軍をもって我々を待ち受けていたであろう。

 曹操はいまどこにいるのか。


 魏延は女忍隊と男忍隊の総力を使って、天下の情勢を調べあげていた。

 曹操は主力を洛陽に集めていた。五十万もの大軍。彼は軍を分散するつもりはないようだ。

 全力をもって荊州軍と対決する構えである。

 夏侯惇、許褚、張郃、于禁、楽進ら主な武将も洛陽に集まっている。軍師は賈詡。


 献帝陛下は戦場になる怖れのある予州の許昌から、より安全な冀州の鄴へ移されていた。

 鄴の守備は曹操が後継者と定めた曹丕に任されていた。彼の輔弼には、司馬懿が指名されている。

 曹丕は冀州、幷州、幽州の内治も任されたようだ。

 もし曹操が中原で敗れたら、河北三州が、魏軍の依って立つ地となることは明らかである。


 劉備軍二十万が荊州の公安から出陣し、北進している。

 総帥劉備が自ら指揮し、軍師関羽と大将軍張飛が同行。

 諸葛亮は公安にとどまり、兵站を担当している。


 呉も動いている。

 孫権から呉の実権を奪った主戦派たちの行動は速かった。

 首魁の呂蒙は建業にとどまり、首府を守っているが、陸遜を総大将とし、甘寧、朱然、淩統らが従って、軍旅に出た。兵力は二十五万と号している。

 すでに合肥を守る張遼と交戦状態に入っている。

 曹操は曹洪軍三万を援軍として合肥へ送ったが、その程度では圧倒的な大勢力である呉軍には対抗できそうにない。時間稼ぎが目的なのであろう。

 

 曹操は大軍をもってまず劉備軍を倒し、その後に劉禅軍、呉軍を倒すという各個撃破戦略を立てたようだ。

 天下は騒然としてきた。


「すみやかに長安城を落とし、劉備様の救援に行きましょう」と魏延は言った。

 長安は巨大な城で、十二の門がある。

 十分な兵力で守られていたら、落とすのがむずかしい城だが、城兵が三万しかいないとなれば、攻略はそれほど困難ではないであろう。

 我々には尹黙が発明した新型攻城兵器がある。分解式で、桟道を運ぶのもむずかしくはなかった。長安城を前にして、衝車を組み立てた。


 南側の三門へ向けて鉄製衝車を運んだ。

 普通の衝車は尖らせた丸太で城門を破る兵器だが、尹黙の衝車は鉄製の杭を積載している。兵が押す車の上は鉄の屋根で覆われ、矢を防げるようになっている。ぎらぎらと光り尖る鉄杭が、前方へ突出している。


 鉄の衝車は、城門をたやすく打ち破った。

 李厳率いる先鋒が、長安城へ侵入していった。その中には、一兵卒となった王平もいる筈だ。

 趙雲の中軍も城内へ進軍していった。

 曹仁は南中央門付近で抵抗したが、あえなく討ち死にしたようだ。

 守備兵は総崩れとなり、ほとんどの城兵が、北門から潰走した。

 

 長安城はわずか一日で陥落した。

 曹操は曹仁に、少なくとも一か月は持ちこたえてほしかったにちがいない。

 尹黙の新兵器が常識破りの破壊力を見せて、劉禅軍はすみやかに行動する自由を得た。


 魏延とふたりで打ち合わせをした後、長安城内で軍議を開いた。

「李厳、そなたには長安城の守備を任せたい。与えられる兵力は多くはない。二万の兵とともに、ここに駐屯してほしい。成都から送られてくる兵糧を受け取り、我らの戦線へ送ってほしい。長安周辺の民政も担当し、食糧の現地調達にも努めてもらいたい」

「承知しました」

「魏延、趙雲、馬忠、李恢、姜維は私とともに、曹操軍討伐へ向かってもらう。父上の軍と我が軍とで、曹操軍を挟撃したい。急行軍となることを覚悟せよ。馬忠は先鋒をつとめよ」

「僕が先鋒ですか。晴れがましいです」

「浮かれるなよ」と魏延が言った。「連弩隊三千を指揮しろ。小型連弩の初の実戦投入を任せる」

 馬忠ののどがごくりと鳴った。いつもにこにこしている顔が、にわかに引き締まった。

「連弩の訓練なら、成都で嫌になるほどしました。恐るべき兵器の威力、必ずや発揮してみせます」


 軍議の後で、私は李厳にこっそりと言った。

「王平を、私のもとへ寄こしてくれないか。対曹操戦に連れていき、彼に功名の機会を与えたい」

 李厳は微笑み、うなずいた。


 劉禅軍は二万の兵を長安に残し、十三万となって東へ進軍した。

 曹操軍五十万はすでに洛陽から出陣し、南下していた。

 劉備軍二十万と荊州北部で衝突しそうだ。

 その会戦に劉禅軍が間に合うかどうか、微妙なところだった。急がねばならない。

 馬超は郿城の攻略に成功し、軍を西へ向けていた。 

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