第34話 子午道の虎
私は魏延とふたりで長安攻撃の作戦会議をしていた。
「軍をふたつに分けようと思います。第一軍は子午道を通り、長安を直撃します。第二軍は斜谷道を使い、雍州扶風郡の郿を獲り、西から攻めてくる雍州、涼州の魏軍を止める役目をになってもらいます。第二軍が機能すれば、第一軍は長安をじっくりと攻め、占領することも可能です。その後、戦況に応じて洛陽を攻める荊州軍の援軍となることもできるし、曹操の本拠地である鄴へ向かって進軍することもできるでしょう」
「益州の総力をかけた戦いになるな」
「これに失敗したら、州は疲弊し、三年は軍旅を起こせなくなると思います。この第一回北伐で勝負を決めたいです」
「その意気で行こう」
私は前世での諸葛亮の五次に渡る北伐を思い出していた。
第一次北伐が一番勝利に近づいた戦いであったと思う。
街亭の戦いで馬謖が敗れなければ、雍州を蜀の領土に加えられたかもしれない。
今度は負けられない。
「雍州、涼州兵と戦う第二軍は馬超大将軍に率いてもらい、副将として従弟の馬岱殿をつけたいと思います。馬超殿はかつて、涼州兵を束ねて、曹操軍と戦いました。その名声は高く、味方になる豪族も出てくるでしょう」
私は首を横に振った。
「それはいかん。私は定軍山の戦いの直後に馬岱と約束した。曹操と戦うときには、必ず馬岱と馬超を連れていくと。ふたりは第一軍に加えたい」
「そんな約束をされたのですか」
魏延は少し口を歪めた。作戦が思いどおりにいかないと、不快さを顔に表すときがある。
彼には我を通したいという欲が強い。そんなところが、前世で諸葛亮に嫌われた原因のひとつなのかもしれないと思った。
私は、魏延に存分に手腕を発揮してもらいたいと思っている。しかし、譲れないものもある。
「馬岱殿を呼びましょう。彼と交渉させてください」
「かまわないが、私は馬岱の意志を尊重するつもりであるぞ」
「わかりました。しかし、一度話をさせてください」
馬岱を呼んだ。
魏延は作戦を説明し、馬超、馬岱には第二軍を率いてもらい、雍涼二州を押さえてもらいたいと伝えた。
「馬岱、私はそなたとの定軍山での約束を憶えている。第二軍は別の将軍に指揮させ、第一軍に参加してもらってもかまわぬ。曹操の首を狙うのは、第一軍である」と私は言った。
馬岱は顔色を変えず、しばらく沈黙していた。
「それが魏延軍師のお考えならば、従います」
「馬岱、それでよいのか」
「蜀軍の勝利が私の望みです。案外、涼州兵を従えた第二軍が中原へ進出し、曹操を討つことになるかもしれませんよ」
馬岱は爽やかな笑みを浮かべていた。この男にふたつも借りができてしまった、と私は思った。それにしても、なんという度量の大きな男なのだろう。夏候淵との戦いでは、命がけで戦って戦果をあげ、いまは全体の利益のために、自分の欲を軽々と抑えている。
「ありがとう、馬岱」
馬岱は目礼し、刺史室から出ていった。
「馬岱殿は、すごい男です」
魏延は感じ入るところがあったのか、馬岱が出た扉の方をしばらく見つめていた。
魏延と作戦会議をつづけていたら、侍従兵が「趙雲大将軍からの伝令が参りました」と告げた。
「通せ」
伝令が刺史室に入った。
「ご報告いたします。漢中郡の兵が子午道の桟道の補修をしていたところ、二百騎ほどの敵が現れ、工兵を蹴散らし、桟道を焼き払いました。敵将は、俺は子午道の虎だ、この道を直そうとしたら、また来る、と言い捨てて去りました」
桟道とは、断崖絶壁に横穴を掘り、そこに杭を打ち込み、杭の上に板を敷いてつくる道のことである。
子午道、斜谷道ともに秦嶺山脈を通らねばならず、難所には桟道を築いている。漢中郡太守の趙雲が担当して、木材が朽ちてきた部分を新しい杭と板に交換する作業を進めていた。
桟道を焼かれては、長安攻撃作戦に支障を来たす。
「工兵に護衛を付け、工事を進めよ、と趙雲に伝えてくれ」と私は言った。
伝令は復唱し、帰っていった。
子午道の虎とやらの動向が気になったが、北伐の準備を滞らせるわけにはいかない。
私は龐統、魏延とともに、戦闘の準備を進めた。
建安二十一年の春先には、益州軍は二十八万の兵力を擁していた。
そのうちの二十万を遠征させることが決まった。
益州の守備は手薄になるが、我々の戦意は高かった。益州で多少の叛乱が起きようとも、北伐を敢行する。曹操軍と対決し、彼の首を狙う。私たち三人は、その意志を共有していた。
兵糧は二十万の兵が一年戦えるだけたくわえている。
可能なら、奪取した土地をそのまま領土として維持し、食糧の現地調達も行う計画である。
第一軍の兵力は十五万。子午道を進み、長安城を直撃する。陥落させ、城を蜀のものとして維持し、さらなる北伐の拠点とする。曹操軍が大軍で押し寄せてきたら、決戦も辞さない。
第二軍の兵力は五万。第一の戦略目標は郿。その後、雍州、涼州に占領地を広げる。勢力の拡大に成功したら、第一軍と合流し、曹操軍の撃滅をめざす。
それが魏延の作戦だった。
第一軍団長は私。軍師は魏延。先鋒は李厳。中軍の指揮官は趙雲で、副官は姜維。私と魏延、李恢は中軍とともに進む。殿軍は馬忠。兵站担当は龐統。
第二軍団長は馬超。先鋒が馬岱で、中軍は馬超。兵站担当は法正。
陣容は以上に決定し、南鄭に集結するよう通達した。
なお、兵站担当は成都にとどまる。龐統と法正は兵站と益州の内政を同時に担当することになる。激務ではあるが、内治に通じている者が兵糧を管理するのは、理にかなっている。
趙雲に力を認められた姜維が、五百騎を率いて、子午道へ出撃し、桟道を補修する工兵たちの守備についた。
子午道の虎はまた出現した。わずか二百騎だが、精鋭中の精鋭という感じで、五百騎の姜維隊と互角の戦いをしたらしい。
桟道の上での戦いなので、多勢の利を活かせないという事情もあったようだが、恐るべき騎兵隊であったと姜維から報告を受けた。
「なんとか撃退できましたが、敵将からは趙雲様に似た迫力を感じました。趙雲様に鍛えていただいてなければ、我は討たれていたと思います」
「子午道の虎の名はわかったか?」
「許褚仲康と名乗りました」
「許褚だと? 魏軍一の豪傑で、曹操の親衛隊長だぞ」
「その許褚だと思います。我の槍をあしらい、矢を使ってようやく退けた敵ですから」
許褚を使い、わずか二百の手勢で急襲して、子午道の補修を遅らせるとは、曹操は思い切った手を打ったものだと思った。彼は時間を稼ぎ、戦う準備を進めているのであろう。
私は牢獄へ行った。
王平がいる部屋の前に立った。
彼は牢の中で黙々と身体を鍛えていた。
「王平」と私は呼びかけた。
「我が君」と彼は答え、鉄格子の向こうに立った。上半身は裸で、汗をかき、熱気が立ち昇っていた。胸筋が発達している。
「すぐに将軍に戻してやることはできぬ。一兵卒からでも働く気はあるか」
「どんなことでもやります」
「では曹操討伐軍の兵卒として、戦ってもらう。先鋒の李厳隊の一員となれ。李厳には私から話しておく」
王平は黙って頭を下げた。
相変わらず無駄口を叩かぬ男だと思った。
私は牢獄の廊下を歩いた。
牢番が鍵を開ける音が聴こえてきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます