第33話 呉の動乱

 建安二十年冬、呉で孫権と呂蒙の大論争が巻き起こっていた。

 私は忍凜からの報告で、それを逐一確認していた。


 呂蒙は主戦派で、魏を叩くべし、と主張している。

 魏と蜀の戦いは近い。

 蜀とともに魏を攻撃し、予州、徐州、兗州、青州は奪い取り、呉の領土とすべきである。

 それを成さなければ、呉はじり貧となる、というのが、呂蒙の意見である。

 陸遜、淩統らの武将が呂蒙を猛烈に支持している。


 呂蒙の積極策は、魏を倒す上で大きな助力となる。

 一方、それを成功させたら呉は強大になり、蜀と対立する恐るべき勢力になりそうだという懸念もある。

 蜀と呉で力を合わせて魏を倒すのは、私の当初からの戦略であり、成立してほしくはあるのだが、魏滅後に、蜀と呉の血みどろの戦いが勃発しそうだ。


 孫権は呂蒙の意見に対して、首を縦に振らない。

 彼は江水の水運を利用して、揚州を栄えさせ、呉を保全できればよいと考えているようだ。

 けっして天下統一に興味なしとは明言しないが(それを言うと、主戦派の失望ははなはだしい筈である)、周瑜が考えていたであろう積極的領土拡張主義とは一線を画している。

 進んで戦乱に身をさらそうとはしないのである。

 張昭や魯粛らの文官の支持があるが、呂蒙、陸遜、淩統はもちろん、甘寧、朱然らの武将も武功を立てる機会がなく、物足りなく思っているらしい。

 諸葛亮の兄の諸葛瑾が、孫権と呂蒙の間に立ち、なんとか落としどころを探っているようだが、対立は日に日に増すばかりだという。

 呉の重鎮張昭は、呂蒙の影に諸葛亮あり、と言っている。

 実際、孔明は盛んに呉の主戦派に手紙を出しているようだ。


 ついに孫権が怒り、呂蒙を牢に入れた。

 その直後、呉の政権を転覆させる出来事が起こった。

 陸遜が孫権を幽閉し、長男の孫登を立てて、呉主と成したのである。

 雷撃的な行動であったという。

 孫登は建安十四年生まれ。私よりふたつ年下の七歳である。

 呉は幼い主を頂くことになった。

 呂蒙は出獄し、呉の大将軍となった。事実上の首魁である。

 陸遜は征北将軍に任じられた。

 張昭と魯粛は交州の閑職に追いやられた。

 文官の筆頭は諸葛瑾となった。


 私は龐統、魏延とともに、忍凜からその報告を受けた。

「驚くべき事態となったな」と私はつぶやいた。

「歓迎すべきことです。荊州、益州、呉による魏への同時攻撃が、実現するかもしれません」と魏延は言った。

「外交上の措置を行おうと思います。法正を建業に派遣し、孫登殿に対する祝辞を述べさせるとともに、情報収集を行わせましょう」と龐統は言った。

「そのように手配せよ」


 法正が旅立ち、呉の首府建業へ向かった。

 入れかわりのように、呉から私のもとへ文官の顧雍がやってきた。

 彼は孫登から私への手紙をたずさえていた。

 

 劉禅公嗣殿


 檄文を拝見しました。

 曹操が逆賊であること、火を見るより明らかであり、全面的に趣旨に同意します。

 呉は、来春すみやかに北へ向かって進軍し、予州を攻撃します。

 魏の東部方面は、制圧したいと考えております。

 劉禅殿は、劉備殿とともに、魏の中央部、西部を攻撃してください。

 力を合わせ、曹操を倒しましょう。


 孫登子高


 言われなくても魏を攻撃する、と思ったが、そんなことはおくびにも出さず、「孫登殿からの親書、確かに受け取りました。顧雍殿、今宵は私が主催する酒宴にご出席ください」と言った。

「はい。呉は蜀と今後も同盟をつづけたいと考えております」

 顧雍は深々と頭を下げた。


 孫登の名で手紙が書かれているが、この意向は、呂蒙の頭脳から出たものであろう。

 手厚い魏の中央部への攻撃は蜀に任せ、呉は手薄な魏の東部を獲ろうとしているのだ。

 老獪な作戦であるが、蜀は魏の東部方面からの攻撃を気にしなくてもよく、ありがたいことだと思うしかない。

 これで建安二十一年の春に、蜀と呉による魏への共同作戦が実施されることは、ほぼ確定した。


 顧雍をもてなす酒宴には、私、龐統、魏延、馬岱、馬忠、李恢、張哀が出席した。

 呉から来た使者は、私や行政長官、軍師、将軍らと会話した後、張哀にも目を向けた。

「美しいお嬢様ですね」

「荊州の大将軍張飛の娘で、張哀という者。私の婚約者です」

「ご結婚の際には、ぜひともお祝いを差し上げたいと存じます」

 顧雍は外交的な笑顔を崩さず、張哀にもうやうやしく頭を下げた。

 私と張哀が結婚するときまでに、呉との戦いが起こっていなければな、と私は秘かに思ったが、もちろんそんなことはおくびにも出さない。 

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