第3話 長坂の戦い
建安十三年、曹操軍が追い、劉備軍が逃げた戦役は、長坂の戦いと呼ばれる。
曹操は十五万の大軍であり、劉備は二千の兵しか持っていない。
曹軍が勝利したのは当然のことで、劉備を殺せず、関羽、張飛、趙雲といった父を支える武将をひとりも削れなかったことは、むしろ大失策であったと言ってよいかもしれない。
劉琮が一戦もせずに突如として降伏し、それを寝耳に水で聞いた劉備が生き延びたことは、奇跡に近い。この虎口を逃れたことが、後の蜀建国につながるのであるから、父にとっては逃走の大成功であった。
しかし、父よりもさらに絶体絶命であったのが、遅れて逃げ始めた糜夫人、甘夫人と私だ。
糜夫人は劉備の正室で、父の徐州時代以来の臣下、糜竺と糜芳の妹である。
新野城の手狭な後宮にやってきて、父と諸将がすでに逃走したことを私たちに教えてくれたのは、わずか六歳の張哀であった。
彼女は張飛の長女である。
「糜夫人様、甘夫人様、曹操軍が迫っています。あたしたちも逃げましょう」
私は張哀の勇気に驚嘆した。
彼女は張飛とともに逃げることができたのに、後宮のことを想って、急報してくれたのである。
新野は荊州北部の県。
南方にある江夏郡の太守は、故劉表の長男で、親劉備派の劉琦である。
劉備軍が劉琦を頼って、南へ移動しているのはまちがいない。
「さあ、早く」と張哀が言った。可憐な女子である。
かつて曹操に捕らえられ、関羽に連れられて五つの関所を破って逃げたことがある糜夫人と甘夫人は、危機にもかかわらず落ち着いていた。
「主人が我が身の安全を最優先とされたのは、当然のことです。劉備が生きている限り、曹操は枕を高くして眠れないのですから。わたしたちは、自分自身の力で逃げ延びましょう」と糜夫人は言った。
糜夫人は張哀と手をつなぎ、母上は私を抱き、南へ向かって走った。
だが、いつまでも走りつづけられるものではない。
やがて、徒歩になった。
私たちを守護しているのは、後宮を守備する任にあった数人の兵士だけだ。
街道には、曹操を怖れる民が大勢、南へ向かっていた。
曹操は徐州で住民の大虐殺を行ったことがあり、劉表は嫌曹操の思想を州内で宣伝していた。
荊州には曹操を怖れ、劉備を慕う民がたくさんいて、南行の大波が起こったのである(徐州大虐殺は、後漢末期から三国時代にかけての至高の英雄と考えられる曹操の一大汚点である。彼は父親を徐州兵に殺されたため、やりすぎなほどの虐殺を行ってしまい、天下の多くの人々から嫌われた。これがなければ、曹操軍への各地の抵抗は少なくなり、彼は天下を統一できた可能性がある。ちなみに諸葛亮は徐州出身で、曹操を恨んでいた)。
生きた心地のしない数日が過ぎた。
私たちは懸命に逃げているが、劉備がどこにいるのか皆目わからず、曹操軍がどこまで近づいているかも知るすべがない。
なんとか当陽県の長坂というところまでたどり着いた。
そこでようやく、劉備軍が付近にいるという情報を得た。
前世の記憶を持つ私は、長坂で趙雲に救われることを知っているが、まだ一歳で、母にそれを伝えられるほどしゃべることができず、もどかしい。
私たちは劉備軍に接近しているが、曹操軍も指呼の間に迫っている。
糜夫人が足首をくじいた。
「痛い……」
彼女は座り込んでしまった。歩くのがむずかしいほどの重い捻挫だった。
「糜妃様、わたしがお助けいたします。長哀、阿斗をお願い」
甘夫人が糜夫人を助けようとして、私を張哀に預けた。
「はい、若君はあたしが守ります」
私は六歳の張哀に抱かれた。後に彼女と結婚することを、私は知っている。長坂で、張哀はこの上なくけなげだった。
近くに井戸があった。
糜夫人は片足を引きずって、井戸端にかけよった。
「わたしはもう終わりです。あなたがたの足手まといになるつもりはありません。必ず生き延びて、主人と再会してください」と言って、糜夫人は井戸に身を投げた。
あっと言う間の出来事で、甘夫人に制止するいとまはなかった。
それほどいさぎよい即断の自殺だった。
私たちは泣いた。
数分後に趙雲が甘夫人と私、張哀を発見したのだから、運命とは細い糸のようなものである。
「奥方様、若君、それに張哀も、よくぞここまで逃げてこられました」
趙雲が愁眉を開き、私たちのそばに馬を寄せた。
「趙雲殿、さきほどまで糜妃様も一緒におられたのです。足をくじき、足手まといにはならぬと言われて、井戸に身を投げてしまいました」
母が、言わずにはおられないという顔つきで、涙を流しながら伝えた。
「到着が遅れて申し訳ありません」
「なにを仰せられますか。わたしたち親子を助けに来てくれたのは、そなたと張哀だけです。この恩は一生忘れません」
「まだ助かったわけではありません。曹操軍の先鋒はすぐ近くまで迫っております」
「わたしが足手まといなら死にます。阿斗と張哀は助けておくれ」
趙雲は不敵に笑った。
「この子龍が来たからには、心配はご無用です」
子龍は趙雲のあざなである。
彼は母から私を受け取り、左腕でしっかりと抱いた。
「奥方様、張哀、私から離れないでください」
趙雲は北方にまなこを向けた。
大軍が、女の足では逃げようもないほどすぐそばまで迫っており、喚声が聞こえている。私たちは絶体絶命の危地にあるが、それでも趙雲の表情は涼しげである。
「あなたがたを見つけるまでが大変でした。合流したからには、私が死なない限り、敵兵に手出しはさせません。そして私は、奥方様と若君を主にお渡しするまで、死ぬつもりはありません」
趙雲子龍は、私が知る中では、最強の武勇を持つ。
前世で私は張飛と、黄巾の乱以後、もっとも武に秀でていたのは誰かと語り合ったことがある。
「それは俺ですよ、と言いたいところですが、呂布ですね」と彼は言った。
「呂布とはそれほどの猛者でしたか」
「関羽兄貴と俺が同時に討ちかかっても、やつは平然と俺らを相手にし、決着がつきませんでした」
私は呂布の強さが容易に想像できず、呆然としたものだ。
逸話で聞く漢の高祖劉邦の最大の敵、項羽のようなものかと想いを馳せた。
「では二番目は誰ですか」と私は尋ねた。
「今度こそ俺です。だけど、もしかしたら子龍にはかなわないかもしれませんね。あいつは自己顕示の欲が少なく、でしゃばりませんが、必要なときには躊躇いなく死地へ赴きます。関羽、張飛、趙雲は同格で二位ということにしておきましょう」
張飛にそう言わしめた趙雲こそ、呂布死後の最強の武将だと私は信じている。
敵兵たちが、わっと私たちに斬りかかってきた。
その直後、血しぶきと土煙が舞った。
私を抱いたまま趙雲が戦い、彼の涯角槍が敵兵を薙ぎ払ったのだ。
彼は馬を巧みに操り、たちまち十数人を地獄へと落とした。
さらに、自ら敵の真ん中に斬り込み、血の海をつくった。
私は大量の返り血を浴びた。
趙雲の動きは赤子の目ではとうてい追えないほどすばやく、勝手に敵兵が倒れているようにしか見えない。
彼は敵を軽く百人程度殺した。怖れて、趙雲に近づく者がいなくなり、空隙ができた。
「奥方様、張哀、行きますよ」
彼は馬を南に向け、悠然と進んだ。
敵将が「なにをひるんでおるか、追え」と叫んだ。
趙雲は馬の歩みを止め、振り返った。血しぶきが舞う地獄絵図が再現された。
何度がそのようなことが繰り返されたが、やがて、敵兵が私たちを追わなくなった。
「劉備には、関羽の他にも、あのような忠義の武将がいたのか。嬰児を守りながら戦うなど、彼以外にできることではなかろう。私は趙雲を惜しむ。追うな、殺すな」と曹操が言ったのだろう。
長坂橋で、母と私、張哀、趙雲は二十騎ほどを従えた張飛と出会った。
「これはこれは奥方様、阿斗様、ご無事でなりよりです」と虎髭の張飛が言った。
「趙雲殿とあなたのご令嬢が、わたしたちを救ってくれたのです」と母が答えた。
張飛と趙雲の目が合った。
「子龍、さすがだな」
「当然のことをしたまで」
「おぬしにそう言われると、救出しなかった俺の立つ瀬がない。だが、この後はまかせてくれていいぞ。奥方様と阿斗様を守って、劉備兄貴に追いついてくれ」
「では、後のことはお頼み申す」
「おう」
私たちが長坂橋を渡るとき、張哀が張飛に語りかけた。
「おとうちゃん、あたしにはなにか言葉はないの」
「よくやった」
張飛は娘には短く声をかけただけだった。しかし私は、彼の目に微かなうれし涙が光っているのを見逃さなかった。
長坂橋の上で、張飛は大音声をあげた。
「我は張飛益徳なり。劉備、関羽の義兄弟で、呂布と渡り合った者である。命のいらない者はかかってこい」
曹操軍はその進軍を止めた。
趙雲につづき、張飛という豪傑を目の前にして、劉備軍の将の強靭さはどれほどなのかと怖れた者が多かったにちがいない。
私たちは劉備一行に追いついた。
父は妻子のことを気にしなかったわけではなく、大いに喜び、趙雲に感謝していた。
数日後、劉備軍は江水南岸の夏口へ到達した。
ここで父は劉琦と会見し、ひとときの休息を得た。
曹操は荊州の占領地慰撫のため、矛を収めた。
長坂の戦いの後、趙雲は牙門将軍に昇進した。
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