第8話:あたしは意地悪な森の魔女さ

 アンジェリーナとフランシーヌは静かに言い残して暇を告げた。


「ライラ嬢は今は苦しいお立場ですが、もう少しご辛抱くださいませ」

「わたくし達、事態を詳らかにしてライラ嬢の名誉を回復することをお約束いたします」


 ***


 ライラとの面会が整うまでの間、デーティアは大いに楽しんだ。


 面白い娘っこだよ。無礼で無作法だけどね。

 悪い子を躾けるのは魔女のデーティア婆さんの得意とするところさ。


 ごく一般的な貴族の常識からすれば、いや庶民でも普通の感覚を持っていれば、サンドリアの振る舞いは奇異なものだった。


 ジルリアの通り道に潜んで突進してきて、護衛の者に阻まれる。その隙にジルリアは逃げるように去るのだ。


 とんだヘタレだよ。


 二日観察してデーティアはジルリアに告げた。


「もう逃げるのはおやめ」

「しかし、どうすればいいのかわかりません」

 ジルリアは心底困り果てていた。


「あんたが困っているのは、サンドリアにさえ優しくしようとしているからだよ」

「女性は大切にしろとおばあさまもおっしゃっていたではないですか」

 デーティアは右手をひらひらさせた。


「大切にするってことはただ甘く優しくってことじゃないっておわかりでないようだね」


 サロンでデーティアは膝詰めでジルリアを説いた。


「今までのあんたはこうだ。サンドリアが誰かを突き飛ばしても『気をつけたまえ』。転んでも『気をつけたまえ』。護衛に連れていかれても哀れみをかけるような目で見る。大方、最初は優しく『大丈夫かい』とか言ってたんだろう。それがあの娘っこを増長させたのさ」

「どうすればよかったのですか」

 ジルリアが聞くが、デーティアは右手をひらひらさせて制した。


「あんたはライラが好きなんだろう?いずれ夫婦になりたいんだろう?」

 ジルリアはみるみる真っ赤になった。


「ライラの気持ちになってごらんよ」

 デーティアは言う。

「誰にでも優しい王子様と一介の婚約者候補。そして求婚されたと吹聴する娘」

 ジルリアの顔から血の気が引く。

「不安でたまらなかっただろうね」


 にやにやと人の悪い笑いを浮かべていたデーティアは真顔になった。

「本当に優しいって言うのはね、悪いことはきちんと注意してあげるんだよ。時には厳しく、自分が悪者になるのさ」

「はい…」

「おや、まだ飲み込めないようだね。今のあんたがすべきことは拒絶だよ」

「拒絶…」


 ジルリアの手の甲をぽんぽんんと軽く叩き、デーティアは続ける。

「名を呼ぶな、なれなれしくするなの二言だね。まずはそれからおやりな」

「はい」

 ジルリアははっとした顔をした。


「それから、あたしを上手くお使い。表向きは婚約者候補なんだからね。せいぜい見せつけてやろうじゃないか」


 ***


 翌日から"意地悪な魔女"はサンドリアをいびり始めた。

 常にジルリアと行動を共にして、護衛を少し下がらせ、サンドリアが近づきやすいようにした。その上でわざとサンドリアを近づかせて、容赦なく扇で叩いて撃退した。

 そして

「庶民の分際で」「礼を弁えなさい」「まあ、バタバタとみっともないこと。虫のよう」

 など、耳に痛い言葉でサンドリアを辱めた。


 ジルリアはサンドリアに「ジルリアさまぁ」と呼ばれるたびに、「名を許した覚えはない」と冷たく言ったが、彼女にはまったく響かない。それどころか「わかってます。ジルリアさまのお立場は!」など鼻息荒く、何か納得した顔をするのだ。


 デーティアが「母国語も通じないおばかさんが、なぜ黄色のエポレットをつけているのかしら?」「ああ、デライン男爵家は資産家ですものね」「でも夏の騒ぎで色々大変だそうね。威勢がいいのは今の内、虫は秋が深まれば死ぬものよね」などと嫌味をぽんぽん言った。


 三日目にはサンドリアの堪忍袋の緒が切れて、とうとう「痛い目に遭わせてやる!!」と叫んで、デーティアに掴みかかろうとした。ライラのような目に遭わせようとしたのだ。

 しかし相手はデーティアだ。

 体に触る隙も与えず、扇で散々に殴打した。デーティアに優雅かつしたたかに打ちのめされ、サンドリアは泣きわめき助けを求めた。


 それを聞きつけた教員が護衛人を連れてやってきた。サンドリアはその教員に縋りつき、自分は被害者だと訴えた。


 おや、この女、あたしが昔在学していた時のマナー講師に似ている。あの時は確かグレーリン子爵夫人ミランダだったけ。未亡人だったね。嫌味で意地悪な女だったよ。


「なんの騒ぎですか!」

 彼女は厳しく言った。

「この人があたしを叩くんです!」

 サンドリアは教員に泣きついた。

「まあ、こんなに叩いた痕が!」

 サンドリアの頬が少し赤くなっていた。デーティアは顔はそれほど力を入れず、しかし盛大な音を立てて頬は三回ほど打っただけだ。

 大袈裟なとデーティアは呆れた。

 教員は鋭くデーティアに向かった。

「この学園は身分の上下を振りかざしてはいけないことはご存じですね?叩いたあなたが悪いと言わざるをえません」


 この女は何を言っているのだろう。

 身分の上下はともかく、サンドリアの主張しか聞かずにデーティアが悪いと決めつけ、公爵令嬢ライラに乱暴を働いた前科の有る娘を庇うなんて。それにデーティアはミランダのようにこの女も、学園のマナー講師になって働いている割に身なりや装飾品が豪奢なのに気づいた。教員としてふさわしくないほど着飾って、ゴテゴテと装飾品を着けている。まるで夜会に出席するかのようだ。

 マナー講師がとんだマナー違反じゃないか。


 ふぅん…伝統の賄賂で潤っているというわけだ。袖の下をせしめてマナーを修めた印の黄色のエポレットを与える特権を行使しているんだね。


「グレーリン子爵夫人」

 デーティアはかまをかけた。

「わたくしは未婚です!」

 ミランダの孫か曾孫だろうか。


 デーティアはミランダの厳しいと言うより意地の悪い教え方を経験している。この女もそうだろうか。

 幸い、デーティアは魔法学の教授のシルアに目をかけられ、王族と同じ作法の教えを受けていたので、他の生徒のようにミランダに鞭打たれたことはない。しかしマナーを完璧に修めているにも関わらず、黄色のエポレットは中等部の卒業時にしぶしぶ与えられた。


 あの頃から賄賂の慣例が続いているね。国王の方のジルリアに説教しなくちゃね。


 考えているとグレーリン子爵令嬢がキンキン声で言い渡した。

「あなたが国王の遠縁だと言うことは存じておりますが、暴力はいけません。罰を与える必要があります」

 そこをデーティアが遮る。

「罰ですって?わたくしは王子殿下をお守りしただけですのに」

「なんですって!?」

 グレーリン子爵令嬢が噛みつく。


 デーティアは右手に持った扇を振って、ジルリアの護衛を呼び寄せた。

「王子殿下の護衛が全てを見ていました。申し上げて」

「はっ」

 護衛隊長がグレーリン子爵令嬢に事の次第を説明する。


「いつものようにサンドリア嬢が王子殿下に突進してまいりました。それをフィリパ嬢が防いでくださったのです。するとサンドリア嬢は逆上して『痛い目に遭わせてやる!!』と叫んで掴みかかろうとしたのです。フィリパ嬢は全くもって悪くありません。王子殿下とご自分の身を守っただけです」

 ジルリアも言い添える。

「私も証人になります」


 グレーリン子爵令嬢は悔しそうな顔をしたがデーティアはさらに迫った。

「罰を与えるならサンドリア嬢の方ですわよね?」

 サンドリアは縋るようにグレーリン子爵令嬢を見た。


 悔しさを隠そうともせずグレーリン子爵令嬢はサンドリアに告げた。

「あなたは今から休日いっぱい、寮で謹慎です」


 まあ、甘い懲罰だこと。

 デーティアはフンと笑った。


 グレーリン子爵令嬢に連れられてサンドリアは去って行った。



「おばあさまは…」

 ふにゃっと笑ってジルリアが言う。

「やっぱり悪い魔女ですね」


 ああ、こういうところが可愛いんだよね。

 デーティアは思った。


「そうさ。あたしは意地悪な森の魔女さ」

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