第4話:愛があれば身分の差なんて乗り越えられるわ
サンドリアにとって、王子ジルリアは完璧な王子様だった。
金の髪に王家のロイヤル・パープルの瞳、柔らかな物腰、上品な所作に優しい態度。
その王子が王立学園の入学式の後、サンドリアに求婚したのだ。求婚の証のハンカチを渡したのだから。
貴族の間では、恋人同士の間でハンカチの交換をすると聞いた。
サンドリアは天にも昇る心地だった。
あたしも早くお返事のハンカチを王子様に渡さなくちゃ。でもいつも邪魔されるのよね。
みんな意地悪だわ。あたしに嫉妬しているんだわ。
特にあの高慢ちきなライラって人は、ハンカチを返せってわけのわからないことをいう。
お陰でハンカチを出して自慢することもできなくなっちゃった。
寮の自室で美しいハンカチをサンドリアは広げて光に透かす。
蜘蛛の糸のような精緻なレース。その向こうにジルリア王子の微笑が見えるような気がした。
サンドリアはデライン男爵家の庶子だった。当主のジュールとメイドのエリーの間に生まれた。
生まれた時からデライン男爵家に立ち入ったことはなく、町はずれのこぢんまりした家で育てられた。
母親とメイドが二人、下男が一人。
資産家のデライン男爵家と違い、慎ましい暮らし向きだったが不自由はなかった。
母親はサンドリアに言い聞かせた。
「お前は貴族の娘なのだから、いつかきっといいところにお嫁にいけるわ。お伽話のような生活をするのよ」
母親は常にデライン男爵の無情を嘆いていたが、サンドリアは父親の顔を知らず、ただ母親の話す貴族の生活に憧れて育った。
デライン男爵は一応の責任として、生活に不自由ない援助をしたし、サンドリアに家庭教師もつけてくれた。
しかし、いつしかサンドリアはお伽話のような生活、ロマンス小説のような恋に憧れるようになった。
そうよ。あたしは貴族の娘なんですもの。
王子様と結婚することだってできるわ。
十四歳になった年、母親はデライン男爵を説きつけて、サンドリアを王立学園に入学させることにした。貴族の子息をサンドリアに捕まえさせたいのだ。
「あなたは綺麗で可愛いわ。無邪気な性格にきっと王子様が来てくれるわ」
サンドリアの母親のエリーは、比喩表現で「王子様」と言ったのだが、良く言えば素直、悪く言えば単純なサンドリアは額面通り受け取った。
あたしは王子様と結婚してお姫様になるんだわ。
学園への準備のため、デライン男爵家から送られて来た品々はサンンドリアを有頂天にさせた。
特にドルシア夫人の心づくしで誂えられたドレスは、サンドリアをもうお姫様の気分にさせた。
しかし、王立学園に行くと貴族令嬢達との差にがっくりした。
そこへジルリアが登場したのだ。
入学式の壇上で挨拶をする王子ジルリア。
そして入学式の後で寮へ向かう途中、その王子様にハンカチを渡されたのだ。
母親がよく言っていた貴族の習わし。
「ハンカチを贈るのは求婚」
ああ、あたし、お姫様になるんだわ!
母親がよく言っていた貴族の仕来り。
「ハンカチを贈るのは求婚」
ああ、あたし、お姫様になるんだわ!
***
デライン男爵ジュールは未だに解決できない悩みがあった。
あの娘、サンドリアはデライン男爵ジュールとメイドのエリーの間に生まれた娘らしい。
"らしい"としか言いようがない理由はエリーの自己申告であるのが一番の理由なのだが、実際にジュールの記憶にないものの、朝起きたら隣に全裸の根乱れたエリーがいたことは事実なのだ。そしてその二か月後、エリーは身籠ったと嬉しそうに伝えて来た。
ジュールはひどく狼狽えた。
妻のドルシアに打ち明けると、すぐに医師を呼び妊娠を確認させた。
妊娠は事実だった。
ドルシアはため息を吐いて言った。
「あなたの子であるかどうかはさておき、エリーには身内が居ません。ここで打ち捨てることはできませんね」
ドルシアは情に厚い、優しい女性だった。
ドルシアは町中から少し外れた場所に、小ぢんまりした家を手配しエリーを住まわせた。
退職手当代わりにその家と、まとまった金子を与えた。ジュールの子供だと言う可能性は拭えないので、月々それなりの生活費を与えることになった。
産まれた子供は女の子でサンドリアと名付けたのはエリーだった。
ジュールはエリーに好意すら持っていないので、彼女の元を訪れたことは一切なかった。
生活に不自由のない支援はしてる。サンドリアに家庭教師もつけた。これで十分なはずだとデライン男爵は思っていた。
エリーは度々サンドリアを引き取るか男爵令嬢と認めろと訴えてきたが、それも五年前に発布された国法のお陰で逃れられた。そもそも自分の子供であると言う確証が持てないのだ。
一方エリーはジュールの、男爵家の妾として贅沢な暮らしが目的だったので、大層男爵家を恨み、それを娘に聞かせ続けた。
サンドリアはふわふわと浮ついた性根で、母親が繰り返す恨み言よりも、貴族の華やかな生活に憧れる娘に育った。
何事においても自分のいいように解釈する性質で、家庭教師は学園入学に当たって国法も教えたが、元々勉強が嫌いなサンドリアは他の教科と同じようにぼんやりとしか聞いていなかった。サンドリアはお伽話やロマンス小説のように「愛があれば身分の差なんて」と頑なに思い込んでいた。
そうよ、愛があれば身分の差なんて乗り越えられるわ。
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