第6話

「なぁ。花火大会くる?」

「「は?」」

「なんだよ。」

「どうした。何食った。」

「え、勉強しすぎて頭おかしくなった?」

「そこまで言うか。」

「当たり前だろ!」

「あの湊が、自分から誘うなんて……」

「で、行くのか?」

「羽月ちゃんは誘ったの?」

「あぁ、てかそっちが本命。」

「え、湊って羽月ちゃんのこと、そうなの?」

「いや、カメラのフィルムを……」

「そーなんだ。」

「なんだよ。」

「いやー?」

「でもさ、湊が誘うなんて珍しいよな。それも羽月さんを。」

「……」

「みんな、おはよう。」

「あ、羽月ちゃん。おはよう。ねぇねぇ、今週末、花火大会行くの?」

「え、うん?」

「なんで疑問形?」

「湊君には直接言われてなかったから。」

「「は?」」

「カ、カメラの、フィルム買いに行くだけで……」

「おい、湊。」

「羽月ちゃんだけ誘ってないとか……」

「別にそういうわけじゃ……」

「じゃあ、今ここで。誘ったら?」

「それは……」

羽月の寂しそうな表情が目に映る。

「……花火大会、来るか?」

「もちろんっ。」

「わ、わかった。予定は、後で、送る。」

彼女の弾んだ声に少し調子が狂う。

「楽しみだね。」

「あ、あぁ。」

本当に。


「どうしよう。」

一人、部屋で悶々とする。どんなの服を着ていけばいいかわからない。お姉ちゃんは大学だし。お父さんなんかには聞けない。あ……


「それで、私かぁ。」

「ごめんね。」

「いいよ、羽月ちゃんの着せ替え楽しみだし。」

「ありがとう。」

「だから良いって。それで誰に見せたい。」

湊君に時折見せる笑みをこちらに向ける。あ、揶揄ってる。直感的にそう感じた。

「……み…と……」

「ん?」

「湊君!」

「ふ、あはは!」

彼女はお腹を抱えて吹き出した。

「むぅ……」

「ごめんって。」

自分でも分かるくらい顔が熱い。

「んー、浴衣は?」

「浴衣?」

「そう、浴衣。羽月ちゃんに似合いそうなのあるよ。」


着ていく服には一番悩む。友達と出かけることなんてほぼない。それなら当然、ファッションセンスなんてないに等しい。結局、羽月と同性の雫に任せた。

「お兄ちゃん、こんぐらい自分でやらないと、羽月ちゃんから嫌われちゃうよ?」

「うるさい。早く用意してくれ。」

「それが人に物を頼む態度かぁ?」

「……お願いします。」

「うん、よろしい。羽月ちゃんが好きそうなコーデなら任せなさない。」

「……」


妹に任せて正解だな。

みんな、しっかりした外出コーデだ。

紺色のズボン、白のTシャツ、青磁色のチェック柄のシャツ。割と無難なセットを選んでくれた。

「お待たせ。」

蝉がけたたましく騒ぐ中、彼女の声ははっきり届く。漣のような柔らかな清らかな声。

「羽月ちゃん、やっぱり似合う。」

「そう、かな?」

水野が振り返る。ニヤって聞こえそうな笑みを浮かべ。あ、やばい。そうは感じても手遅れだった。声が発せられる前にその場を離れるなど無理な話なのだから。

「ねぇ、湊?」

「う……」

「……」

羽月は恥ずかしそうに自分の袖を握る。

白の生地に紫や水色の淡い紫陽花が咲く浴衣。

確かに彼女のふんわりとした雰囲気に合っている。

「……似合ってる。」

「……」

ジトっとした目の水野が小突いてくる。あれでもかなりの勇気は振り絞った。

「あ、ありがとう。」

それでも彼女は嬉しそう少しだけどはにかんだ。電車に乗る。二両編成のボックス席。田舎だと良いことがある。それは自分たち以外乗っている人は三人くらいで全員、席に座れる。

「おい、引っ張るなよ。」

「いいから。」

水野は純を引っ張って正面に座る。普通、同性同士で隣じゃ……

変な気遣いをしている。そんな気が、いや、確信がする。

「ねぇ、今日の花火大会、何食べる?」

「……りんご飴。」

「ふふ……」

「?」

「いや、可愛いなって。」

くすぐったくて目を逸らす。羽月の笑い方の方が可愛かったけど、そんなことはまだ言えない。その後も談笑は続いた。普段どんな写真を撮るとか、今日どこいくかとか。でも東京での生活には答えを濁された。時々写真の撮り方も聞かれた。

「息を止めると揺れが小さくなる。ブレも減ると思うけど。」

「そうなんだ。やっぱり詳しいね。私も――」

「なぁ水野、この記事見て。自殺未遂だって。」

「純、絶対今読む記事じゃないから。私の祭り気分を壊すな。」

「こんなことするもんじゃないよな。俺が友達だったら悲しいよ。」

「スマホ捨ててやろうか?」

「悪い悪い、返して。」

「羽月?」

羽月は固まっていた。文字通り、いや手や口は震えていた。声をかけても反応はなく、肩をさわる。

「わ……何?」

「いや、大丈夫?」

「あ、うん……」

「そうか……」

普段、彼女を見ていた自分が異常に気づかないわけがない。明らかに大丈夫ではなかったが、それ以上踏み込む勇気が、無かった。


電車を降り改札をくぐる。そこはあの駅と違い喧騒が聞こえる。中には浴衣姿の人もちらほら。自分達同様、今夜の花火大会に行くのだろう。

「じゃあ、また後でねー。」

「あぁ。」

羽月と自分、水野と純に分かれて別行動。多分これも水野の変な気遣いだ。

「よし、カメラのフィルム買いに行こう。」

「……あ、うん……行こう。」

二人の開いた距離に沈黙が訪れる。少し気まずい。

「今日の花火、楽しみだな。」

「……うん。」

気まずさを紛らわすため口を開く。しかし出てきた言葉は自分にもらしくない。結局は無言のまま店まで来てしまった。

「こ、この店で、売ってる。」

「……あ、うん。入ろうか。」

看板のレトロなフォント。狭い店内。埃っぽい空気。窓からの斜陽。チンダル現象。駅前とは打って変わり、センチメンタルな雰囲気に少し落ち着く。

「ほら、こっち。」

「うん。」

フィルム自体はすぐに見つかったが、時間もあったし、何よりもう少しここにいたかった。色々見て回る、ネックストラップ、交換レンズ、ケース。彼女は目を輝かせて眺めていた。それがなんだか可笑しくて、可愛らしい。我ながら重傷だな。

「そろそろ出る?」

「少し日も暮れてきたね。」

「でも、どこ行く?時間あるけど。」

「ん。」

彼女が指さしたのは猫のペットショップ。

「好きなのか?猫。」

「うん、好きなの。」

「へぇ。」

自分のことではないが、その言葉は心に来る。彼女はショーウィンドウの黒猫を見つめていた。

「飼いたい?」

「…ううん、無理だよ。命は難しい。」

「無――いや、なんでもない。」

無理?難しいではなく?そう聞きたかったが彼女の目は遠くを見ていた。猫ではなく。そんな様子を見ていたら、なんとなく、聞けなかった。


「もう、どこ行ってたの?」

「湊が遅刻、珍しいな。」

「悪い。」

「いや別に、楽しそうで何よりだよ。」

水野は楽しそうな声でそう言って歩き出す。

水野が見つけてくれた隠れスポット。なんでも下見中に見つけたらしい。どれだけ楽しみにしてたんだ。

「あ!」

「どした?」

「私、りんご飴買ってくる!」

「じゃあ、俺たち先行ってるわ。」

「純も来て、財布ないから。」

「は!?」

「二人は先行ってて!」

今日で何度目か、あの不敵な笑みを水野は向ける。

「じゃ、行こう。」

「うん。」


対岸からの紺碧に咲く光、遅れて届く火薬の音。

座って花火を見ているが、二人は来なかった。まぁ、予想通り。このまま告白でもしてみようか。浮ついてる。自分でも馬鹿だと思う。でも彼女を見て、少し冷静になった。違う、むしろ訳がわからなくなった。彼女は泣いていた、涙はなくともしっかりと。その目は花火の向こう、水平線の向こう、ずっと遠くを見ている。一瞬恐ろしくなった。衝動的に手を握る。

見開かれた青灰の双眸に自分が映る。

「君は――」

「前の私……死にたかった。」

これまでで一番震えた声が力強く自分の言葉を制す。

「私ね、夜になると死にたいって思ってた。でもあの日は昼でも勇気が出て……出ちゃって……できたの。少し、ほっとしてでも虚しくて。見てもらえなかった努力も終えられるって思った。でもね、違ったんだ。目が覚めたら、天井は白一色。周りには家族がいた。三階のルーフバルコニーから落ちて、でも広場の芝生で助かった。少し悲しくて辛かった。みんな泣いてて。落ち着きたくて。やり直したくて。今、ここにいる。」

「――っ」

なんとなくわかってしまった。彼女が転校した訳が。時折見せる哀の顔の訳が。いや朝のあれからわかっていたのかも。あの震えを見た時に少し勘付いていた。でも逃げた。そんなわけないと。最後は気にもとめてなかった。

「どうして……」

それしか言葉が出なかった。

「あっちでの私はさ、どれだけ頑張っても上手くいかなかったの。学校では色々嫌われて、塾では認められなくて、家では褒められなくて。どれだけ頑張っても、結果に繋がらなかった。それだけで否定されて辛かったの。誰も褒めてくれなかった……意味なんて……なかった。」

「だから……」

『私は死のうとした。』

打ち上げ花火が声をかき消す。それでも彼女の口がそう教えた。なんで?彼女は凄いじゃないか。努力して、愛嬌よくて、優しくて……誰か褒めてやってもよかったのに。きっと誰も彼女を見てない。自分もきっと彼女のことを見てなかった。じゃあ自分に何ができる?いつの間にか手が伸びる。

「え?」

彼女の頭を優しく撫でる。子をあやすように。

それだけじゃ足りなくて。

「わ、ちょっと。」

抱き寄せる。

「羽月は凄いよ。誰よりも、俺よりも。」

「そんなこと……」

「なかったら、この指は?」

「え?」

「ペンたこ。」

「……」

「メイクで隠した隈。」

「……」

「あの薬。」

「――っ、見たの……?」

「あぁ、悪い。」

「そう……」

彼女はばつが悪そうに顔を伏せる。彼女は寝る時も起きている時も頭痛や腹痛、不眠に悩まされるくらい頑張っていた。でもそれは少し間違っている。少しって程でもない。頑張りすぎだ。でも彼女が悪いわけじゃない。周りが悪かった、誰も褒めない周りが。凄いと思うだけの自分だってその一人だった。だから、

「無理しすぎだ。」

「でも!」

「なら、褒めてやるから。」

「え?」

「褒めて欲しかったんだろ?」

「……ん……」

小さく恥ずかしそうに頷く。それで今は十分だった。少しして身体を離す。暗闇の中、花火が彼女の顔を露わにする。

泣いていた。

涙を流して、しっかりと。

いつもの笑顔なんかよりももっと、比べられないほど好きだ。

――カシャ――

シャッターを下ろす。

良かった。


泣いたからお腹空いた。屋台行きたい。

湊一には笑われた。くすぐったくて恥ずかしくて下を向く。手を引かれて喧騒へ。迷子になりそうって心配されて手を握る。まだ恋人じゃないのに。青春してるなぁ。他人事のように感じてしまう。

「何食べたい?」

「……りんご飴……何?」

「いや、なんでも。」

彼は少し面白そうな声で返す。きっと子供っぽいとか思っているんだ。


「あ、湊いた!」

「ん?」

りんご飴を買ったところで純達と合流する。水野はりんご飴を片手に、純はその荷物持ちになっていた。

「お、羽月ちゃんもりんご飴だぁ。」

「うん……奏一が、買ってくれた……」

「「え…」」

二人の声が重なる。水野は目を輝かせ、一方の純は恨むような燃えるような目を向けてきた。別に名前呼びでも、まだ恋人じゃないんだけどな。

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