第4話

歓迎会を終えたクラスは徐々に落ち着きを取り戻してきた。そして気付けば期末テストが目前まで迫っていた。

「まだ歴史のワーク終わってねぇ。」

「五日前なら歴史は大丈夫だろ。」

「いいねぇ、優秀さんは。短期記憶が得意で。」

「別に優秀なんかじゃないけど……前回二桁だし。」

「俺なんて八三だぞ。」

「妬むなら勉強してから妬め。」

「うっ」

純が大人しくなったところで白瀬に目線を送る。彼女は黙々とワークを解いていた。

凄いのは継続できる努力家だ、自分のような奴じゃない。解くスピードを見るに、彼女にとっては簡単なんだろう。白瀬が努力してきたのか、東京の学校が高度なのか、もしくは両方かもな。ぼんやり考えていると午後の授業が始まった。


「今日、湊の家行っていい?」

「なんで?」

「湊の知恵を貸していただきたいと思いまして。」

「いいけど、しっかりやれよ。」

「大丈夫、大丈夫。」

「私たちも行っていい?」

「狭いけど、」

「誰の家行ったって狭いでしょ。図書館もないし。」

「俺、一回荷物置いてくる。」

「じゃあ私も。羽月ちゃんは?」

「私も取りに行きたいのあるから。」

「じゃあ、また後でね。」

正直、僕の家でよかった。この暑さの他の人の家に行くのは面倒だ。彼らの背中を見ながら、自己中心的な考えを巡らせていた。


普段賑やかい二人が集中していたためか勉強会は思ったよりも順調だった。

「湊、数学のここ教えて。」

「前も教えなかった?」

「湊の解き方間違ってて合わないだけど。」

「そんなはずは……」

確かにあってるはず、そう思い計算過程を見ていくと原因はすぐに見つかった。

「計算ミスしてる。」

「ほんとだ。なんで……」

「途中計算省くからだろ。」

二人の質問攻めに答えつつワークを進める。

理系教科は全て終わり古典のワークに手をつける。まずい、全くわからない。

「子、敢えて我を食らうこと無かれ。そこの白文の読み。」

「覚えてるのか?」

「これぐらいなら覚えた方が楽だよ。文法に沿って読むのも大変だから。」

「とうとう湊も教わる側かぁ。羽月さん、前の学校でも優秀そう。」

「羽月ちゃん、やっぱりすごいなぁ。」

「……たまたま知ってから教えられただけだよ。きっと本番は湊君の方が取れる。」

「あぁ確かに。湊本番に強いからな。」

「そうなんだ……」

「羽月ちゃん、私も教えて!」

明るい声の方へ羽月は顔を上げる。

「いいよ。」

彼女は少し嬉しそうだった。


始まってしまえば四日間のテストはあっという間に過ぎていく。

「湊どうだった?」

「十八位。」

「俺も上がったぜ、七二位。」

「羽月ちゃんどうだった。」

「え?」

「テスト結果。」

「あぁ、うん、良かったよ。」

「何位何位?」

「……二位。」

「え、すご……さすが羽月ちゃん、完璧。」

「転校生が天才かぁ。」

「そんな、天才でも完璧でもないよ、湊君だって高いし……」

「謙遜しなくてもいいんだぞ〜。」

「でも、ありがとう。」


「ただいま。」

お父さんは仕事なのか家の中は静まり返り、自分の声が響くのみ。疲れからか、開放感からかクラクラする。制服のまま、ベッドに倒れ込み、落ちる瞼に逆らうことはしなかった。


アラームが聞こえ、目を擦りながらゆっくりと起き上がる。

「え?」

目の前に広がるのは私の部屋。東京の私の部屋。困惑しながらもリビングに行くと、そこにはあの人がいた。

「あんた何、ぼーっとしているの!早くしないと遅刻するわ!着替えてきなさい!」

着替えて戻ると車に乗せられて学校へ向かう。

「まったく、そんなんだから……」

お母さんはぶつぶつと私への不満を口にする。

「……」

なら、私なんて産まなければ良かったのに。そう思いつつも口にはできない。勇気もないし、自分自身にまだ淡い期待を抱いているから。

やがて学校に着く。

下駄箱で靴を脱ぎ、上靴へと手を伸ばす。

その手は止まる。

「……はぁ。」

予備を持ってきてよかった。

「あれ、またないんだー?」

「かわいそぉ、無くしちゃったの?」

あなたたちが取ったんでしょ。

「……」

開きかけた口はすぐに閉じる。そんなこと言える勇気がないことぐらいわかっていた。つまらなそうに彼女たちが去っていくのを確認してから教室に向かう。勿論その足取りは重いものだった。でも授業が始まれば一安心。

あれは夢だったのかな?あんな日常だったらいいのに。

少し落ち着いたことで今朝見た夢を思い出していた。私の経験したことのない鮮やかな生活。

いつかあんな生活を――

「羽月、わかるか?」

「え?」

「この問題だが。」

「あ、その、聞いてませんでした。」

「珍しいな、しっかり授業は聞けよー。」

「はい……すみません……」

クラスメイトの笑い声で水をかけられ、夢見心地は一気に冷める。そうして、昼休みがやってくる。いつも食べる場所を変えている。今日は屋上、と言っても三階から行ける小さなルーフバルコニーみたいな。夏は暑い。でもこうしないと静かに食べられないから。ドアノブに手をかける。重い扉を開けると眩しさで目が眩んだ。空は睨みつけたくなるほど輝いている。

でも静かな場所なんてここぐらい。

どこか食べられそうな場所はないかと扉を抜ける。

突然、何かに押され体がぐらつく。

水をかけられたのに気づいたのは地面に倒れた後だった。朝買ってきたおにぎりが崩れ散らばっているのが目に留まる。聞こえるのはけたたましい蝉の声と彼女たちの笑う声。

やっぱり私にあんな生活はやってこない。

なんとなく、いやそう分かっていた。

立ち上がる。

覚束ない足取りで前へと進む。

今なら飛べるんじゃないか、

そんな気持ちで両手を開く。

背後からは叫び声。

気にせずに一歩踏み出す。

自分を変えるための、

終わらせるための一歩を。

最後に目に映るのは彼女たちの顔。

絶望に歪むような彼女たちの。

そう、今度はあなたたちの番。

自然と口は弧を描いていた。

太陽に向かい手を伸ばす。

さようなら――

青空とは打って変わり、視界には白い天井が映っていた。

「あはは……」

口から漏れた笑い声は涙へ溶けた。

何に対する涙なのか、私には分かるはずもない。嬉しさ、悲しさ、苦しさ、みっともなさ、全てが当てはまりそうで。きっとそうなんだろう。きっと全部が私の本心。

ぼやける視界で壁掛け時計を捉える。

針は七時、早くしないと遅刻しちゃう。

ぼーっとする頭は働かせて支度をする。

「おはよう。」

「あ、湊君、おはよう。」

「大丈夫か?疲れてそうだけど。」

「少し眠れなくてね。」

「へぇ。」

「水飲むから先歩いてて。」

「わかった。」

昨夜から何も飲んでなかった。おかげでクラクラする。水筒を出そうとするが手に力が入らない。あ、もう無理かも。少しずつ地面が近づいてくる。いや私が地面に向かってるのか。視界は暗転した。


「水飲んでるから先歩いてて。」

「わかった。」

俺もそろそろ飲まないと、海辺は暑過ぎる。

――カン――

金属音に振り返ると羽月が倒れ込んでいた。近くには倒れた水筒が水を吐き出している。

「おい!大丈夫か?」

声をかけるが反応はない。呼吸はしている……

とりあえず近くの木陰に休ませる。学校に連絡したくとも、出席番号がわからず鞄から学生手帳を探す。少し気は引けるが仕方ない。ん?ポーチがある。これか?そう思い開けてみるとそこには薬が入っていた。頭痛や腹痛の鎮痛剤、睡眠導入剤。彼女の日ごろの緊張を物語っていた。そのうちに遊びに誘おう。そう一人決意した。


「ん……あれ……?」

羽月はすぐに目を覚ました。

「大丈夫か?」

「え?」

「突然倒れたから。」

「そうだったんだ……」

「多分熱中症じゃない?とりあえず水飲んで。」

彼女はゆっくりと飲み始めた。学校には連絡した。親へは……学校がしてくれるだろう。

「一回俺の家まで来て。休んだ方がいいよ。」

「うん、ごめんね……」

「いいよ。ほっとけないし。」

「優しいんだね。」

「優しくなんかないよ。」

「優しいよ……こんなことしてもらえたの初めて。」

「……そうか。」

二人静かに家へと向かう。波の音だけが辺りを包む。優しいなんて言われたのは初めてだったかもしれない。


家へ帰ると妹は買い物に行っているのか、いなかった。仕方なく妹のベッドに寝かせる。

「自分の家でよかったのに。」

「一人のときに倒れられても困るだろ。」

「それもそうだね。」

お言葉に甘えて、そう言って彼女は寝てしまった。たぶんこれまでの疲れが出たんだろう。しばらく寝かせてあげよう。


キーボードの音で目を覚ます。

「あ、起きちゃった?」

セミロングのかわいらしい少女が話しかけてきた。

「おーい。」

「え、あ、はい……」

「痛いとことかない?」

「うん、大丈夫……」

なんとか体を起こす。まだ怠さはあったけれど、頭痛は治っていた。

「よかった、よかった。今、お粥作るね。」

「え、そんな大丈――」

ゲームが散らかる部屋にお腹が小さく鳴る。

顔が紅くなる。熱のせいでないのは明白だった。

「ほら、遠慮しないでいいよぉ。」

「……ありがとう、ございます……」

彼女は楽しそうに笑いながら部屋を出ていった。私も何か手伝いたくて後に続く。

「あ、もう良いのか?」

リビングに行くと湊君がカメラをいじっているところだった。

「うん。ありがとう。」

「いいよ。それにほとんどしずくがやってくれたから。」

「あの子?」

キッチンでイヤホンをつけている少女の方を見る。

「そう。ってイヤホンつけながら料理するな。」

「えぇ、じゃあお兄ちゃんも手伝ってよ。」

「……わかった。でもはずせよ。」

「はいはい。」

「はいは一回だろ。」

「善処しまーす。」

「ふふ。」

「?」

湊君は不思議そうに首を傾げていた。

「仲良いんだぁって思って。」

「そうでもないよ。」

「妹、好きなんだね。」

「別にそういうわけじゃない。」

「そういうことにしとくよー。」

湊君は不満いっぱいの顔をしていた。

無愛想だけど、少し面白い。色々な顔が見れて少しうれしいかも。

「羽月ちゃん、できたよ。」

「あ、ありがとう。」

「いいよ。」

雫ちゃんのお粥は少しぬるくて、少し暖かった。

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