第7話 儚い情景

 「それじゃあ、いったん帰ろうか」

 「そうだね。絵の具や鉛筆とかは回収出来たしね」

 僕はそう言って自転車の前の籠に道具を入れる。

 「あー、それどうしようか」

 カルトンと絵を持った橘にそう尋ねる。

 「こうしたらいいんだよ」

 橘はそう言って僕を自転車に乗らせるとその後ろに足を横に揃えて乗る。

 「漫画やアニメでこうゆうシーンってよくあるでしょ?」

 「それは確かにあるけど……」

 僕はそう言って目の前の急斜面に視線を送る。

 「せ、せめて下まで行ってからに――」

 「レッツゴー!」 

 橘はそう言って勢いよく飛び乗ると僕達は急斜面に飛び込んで落下していく。正面から風を大きく受ける。

 「うわあああ!」

 「うわ!これは速すぎかも」

 橘はそう言うと僕の腹部に手を回して捕まる。

 「ひ!」

 急に触られたことで変な声を出すとバランスを崩しかける。

 「ちょ、ちょっと?」

 橘が心配そうにそう言うと胸を押し付けるように捕まるとさらにバランスを崩す。

 「倒れないでよ!」

 そんなこと言われても正直困るが全力でバランスを直そうと努力する。

 「ふー!」

 ある程度バランスが良くなってスピードが最高潮に達すると橘両手を上に伸ばして楽しそうな声を出す。

 「はぁはぁ、死ぬかと思った」

 「いやー、楽しかったね!」

 満身創痍な僕とは対照的に橘は笑顔でそう言い放つ。

 「風が気持ちよかったでしょ?」

 「そんなの感じる余裕ないよ」

 「運転お疲れ――」

 橘はそう言いかけて言葉を止める。

 「もう少し運転してもらおうかな」

 橘はそう言ってもう一度後ろに乗る。

 「了解しましたお嬢様」

 「……怒るよ?」

 橘は不満そうにそう言うがすぐに笑顔に戻って笑う。

 「たまにはお嬢様でも悪くないかもね」

 橘はそう言うと後ろの席で伸びをした。

 

 「よし、とうちゃーく」

 「お疲れ様です」

 僕はそう言って自転車の後ろから降りる。体力の持たなかった僕は途中で交代してもらった。

 「それじゃあ、ひとまず諸々置いたら出かけるよ!」

 「ま、まだ出かけるんだ」

 「まだまだ一日は始まったばかりだよ!」

 荷物をホテルに置くと今度は徒歩で移動する。

 「次はどこに行くの?」

 「近くに大きいショッピングセンターがあるでしょ?そこに行こうか」

 「分かった。ちょうど服とか欲しかったし」

 「それとボードゲームとか遊べる物を回収しよう」

 僕は頷いて隣に並んで歩き始めた。


 「お、見えてきたね」

 橘が指を差した先にはひび割れた看板と車がたくさん止まっている駐車場が見える。普段は人がたくさんいて賑わっているのに一切人の気配はなく時が止まったみたいだ。

 「…………」

 「……神谷?」

 「あ、うん、ごめん。ぼうっとしてた」

 「やっぱりお疲れ?」

 「う、うん。そんなところ」

 僕は早口でそう答える。視線や思考を奪われていたなんて口に出来なかった。

 「ここにはよく来るの?」

 「うん、必要な物はだいたいあるからね」

 そう言って僕達はショッピングセンターに入っていく。

 「……うわぁ」

 視界に飛び込んできたのは荒れ果てたショッピングセンター。人通りは一切なくて世界が終わったことを強く印象づけているのに僕の心臓は脈を早めていく。目の前に静かで寂しげなひび割れた室内が幻想的で儚く写ったのだ。

 「……やっぱり辛い?」

 「あ、うん」

 橘には僕が非現実を目の当たりにして感傷的になったと思ったみたいだ。

 「やめとく?」

 「いや、大丈夫」

 僕はそう言ってショッピングセンターの中を進んでいく。そして開けた場所に出ると全身が痺れる感覚に襲われる。

 「……神谷?」

 このショッピングセンターは地下一階を含めた四階建てで僕たちがいるのは一階。上を見れば二階と三階、そして天井が突き抜けて禍々しい空が映って落石した大岩を照らす。

 「綺麗だ……」

 僕には一生思い描けない情景だっただろう。この儚さを感じさせる空気感の表現なんて出来なかっただろう。でも今この瞬間僕の中に昇華されていくのを感じる。

 「え?」

 我に返った僕が顔を上げると驚いた顔の橘が視界に映る。

 「今なんて言ったの?」

 「綺麗だって言った」

 僕がそう言うと橘は優しく微笑む。

 「神谷にはこの景色が綺麗に見えるんだ」

 「変だと思う?」

 僕は恐る恐るそう聞いてみると首を横に振る。

 「ぜんぜん、私もどちらかというと綺麗だと思うよ。ただ魅入られるほどではないってだけで」

 「魅入られてたかな?」

 「うん、すっごくね」

 そう言われて僕は少し恥ずかしくなって視線を外す。 

 「神谷はこういう情景を描いたりしてたの?」

 「いや、僕にはこんな情景は描けなかったと思うよ」

 「そうなの?あんなに絵が上手いのに?」

 「僕は経験したり目で見たものしか描けないからさ」

 「そうなんだ。あ!だからデッサンが上手いのね」

 橘は無邪気な笑顔でそう言う。

 「それにこういう儚い情景って描くのって難しいと思うんだ」

 話したくなった僕は口を開いていく。

 「ゴッホの星月夜みたいに不安や怒りを表現するのは結構簡単なんだ」

 理由は単純でその感情を抱く人間が多いからだ。心の底から思うことを吐き出すのはそのまま筆に乗って絵に魂を吹き込む。

 「逆に楽しいや嬉しいを表現するのには才能がいるんだ」

 「確かに……分かる気がする」

 子供が生まれた時などの局所的に描かれた絵には嬉しさや喜びを感じる。でもそういう絵は少数だ。

 「そして儚い絵はもっと少ないんだ。儚いを表現しろという課題があったら僕は描けない自信があったよ」

 「そっか、そういうことか」

 橘はそう言うと僕の前に出る。

 「今なら描けそう?」

 「うん、描ける自信があるよ」

 僕がそう言うと橘は満面の笑みを向ける。

 「それじゃあ描いてよ神谷。私に見せてよ儚い絵を」

 「うん、必ず」

 僕がそう答えると橘は嬉しそうな顔を向ける。

 「それじゃあ、必要な物を探さないとね」

 「出来ればキャンバスが欲しいかな」

 「よし、そうとなったらキャンバスを探そうか!」

 目的が決まった僕らはショッピングセンターの隅々まで探すとキャンバスを発見した。 

 「……これで少しは追いつけるだろか?」

 僕は真っ白のキャンバスを見てそう呟く。恋焦がれたあの絵の領域に踏み込みたいとこの崩壊した世界でも思い続けていることを自覚する。世界が終わっても絵を描くことをやめられないらしい。

 「ありがとう橘。あの日僕を見つけてくれて」

 僕は衝動的にそう伝える。橘が声をかけてくれなければ僕は今ごろ飛び降りていた。

 「う、うん。こちらこそありがとう」

 「僕は今、生きててよかったと思ったよ」

 「そ、それはよかった!」

 僕は嬉しそうに跳ねる橘を見て心の中に橘を描きたい衝動が強く渦を巻くのを感じた。

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