第2話 グリコ

 「こんな所で話すのも何だし移動しようか」

 僕は頷いて歩き出そうとするが思ったように動かない。

 「大丈夫……なわけないよね。かなり動き回ってたみたいだし精神的にもきついよね」

 橘はそう言うと地面に座る。そして僕にも座るようにジェスチャーする。

 「休憩がてら先に自己紹介からしようか、私達ってお互いの名前以外知らないしね」

 「そうしてくれるとありがたい」 

 僕はそう言って地面に座ると大きく息を吐く。

 「先に言っておくと年齢で気を遣うのはなしね。私達は対等の関係だからさ」

 「分かった。僕も部活の上下関係とか嫌いだし」

 僕がそう言うと橘は嬉しそうに話し始める。

 「私は高校三年生で部活はしてないけどピアノやらバレエやらを習ってたよ。神谷は何か部活やってた?」

 「僕も同じく高校三年生でーー」

 「え、嘘、同い年なの?てっきり高一か中三ぐらいだと思ってた」

 「よく言われるよ」

 僕は幼く見えるらしく先輩感が無いとよく言われた。だからこそ年齢で気を遣わないように言ったのだろう。

 「それならよかったよ同い年なら気を遣う心配もないしね」

 安心したように胸を押さえる橘に頷くと言葉を続ける。

 「僕は美術科の高校に通っていて美大に行こうと思ってたんだ」

 「へぇー美術科か。それに進路まで考えてたんだ」

 「今となっては無意味だけどね」

 僕は地面を見ながら卑屈になってそう言う。

 「そんな事ないよ」

 今までの楽しそうな声から打って変わって真剣で低い声に顔を上げる。

 「全力でやってきた事に無意味なことなんてないよ」

 「もう見る人も評価する人もいないのに?」

 「まだ私がいる。神谷の表現したいものを私に見せてよ」

 「……表現したいものか」

 僕の表現したかったものは何だっただろうか?高校に入ってから分からなくなってきていた。

 「そうそう、好きに描いてよ、この世界にモラルもコンプラも存在しないんだからさ」 

 「何かに縛られることはないのか」

 美術には正解も不正解もない未知の世界だ。その荒波の中で自分を表現し魂を燃やして新しい波を生むのが信条だ。

 でもこの世には天才が存在する。天才という言葉は失礼だのいう人間が多いがクソ喰らえだ。独自の視点、誰も思いつかないような表現。そして卓越した技術。

 それらを持った人間は確かに存在して頭角を表していく。それを目の当たりにした人間は影響を受け二番煎じになっていく。

 それらがこの世界には存在しない。

 「それって最高じゃないか」

 不謹慎にも僕はそう言葉を発した。

 「お、いい表情!」

 明るい笑顔の橘にそう言われて慌てて顔を背ける。

 「恥ずかしがる必要なんてないよ、自分の生きたいままに生きないと」

 橘はそう言って立ち上がると僕の手を掴んで引っ張り上げる。

 「休憩は終わりね。出発するよ!」

 「ちょ、ちょ」

 急に立たされた僕は転びそうになりながらも楽しそうに笑う橘の後ろをついていく。さっきまでの疲労感が無いと言えば噓になるが足は軽かった。家族も友人も恩師を亡くして死のうと思っていたはずなのに心臓が高鳴っていくのを感じる。

 「早く早く!」

 橘は満面の笑みで飛び跳ねながらそう催促する。その姿は暗みの中の炎のようで焦がれるように吸い込まれていく。その笑顔は僕が失ったものだからだ。もしかしたら取り戻すことが出来るかもしれないと思った。


 「ところでさ、どこに行くの?」

 廃ビルを出たところで僕はそう尋ねる。

 「それは一旦秘密ね」

 橘はそう言うとだいたい百メートル先にある折れた電柱を指差す。

 「神谷はグリコって分かる?」

 「うん、じゃんけんをして勝った方が進むやつだよね。子供の頃やった記憶があるよ」

 帰り道で友達とやった記憶がある。

 「そうそう、私さグリコをやったことなくてやりたいんだ」

 「子供の頃やらなかったの?」

 試しに聞いてみると橘は苦笑いを浮かべる。

 「親が厳しかったからさ」

 「……ごめん、変なこと聞いた」

 不用意なことを聞いたと僕は反省する。

 「そんなことより!パーはパイナップル、チョキはチョコレートで六歩。グーはグリコで三歩でしょ?ちょっとゲームとして崩壊していると思わない?」

 「確かにグーが弱すぎてチョキを出すのが安パイだね」

 「でしょ?無邪気だった頃は適当にじゃんけんしてたかもしれないけど、今となってはグーを出すタイミングの読み合いになるじゃん」

 確かにチョキであいこをし続ける未来が見える。

 「だから一つルールを追加したいと思います!」

 「その心は?」

 「グーで二連勝以上勝った場合は十歩進むことにします!」

 「なるほど……」

 つまりグーで負けた場合次にチョキは出しにくくなってパーを出す選択肢が生まれる。それを読んでチョキを出すことも考えられる。これで戦術に幅が生まれる。

 「結構頭を使いそうでしょ?」

 「そうだね」

 僕がそう答えると驚いたような目を向けられる。

 「どうかした?」

 「いや、さっきから思ってたけど結構元気だね?」

 「……だね」

 悲しいはずなのに頭の中にはグリコについて考える余裕がある。原因は簡単で脳が考えることを拒絶して目の前にある希望に縋っているからだろう。

 「ご、ごめんね。嫌なこと聞いて」 

 「これでお互い様ってことで」

 「ふふ、そうだね」

 僕がそう言うと橘は笑ってグーを作る。

 「それじゃあやろうか。最初はグー、じゃんけん、ぽい」

 橘のコールに合わせて僕はグーを出す。

 「攻めるねー」

 「……そっちもね」

 橘が出したのはパーで見事にしてやられた。

 「パ、イ、ナ、ツ、プ、ル、っと」

 「結構遠いな」

 大股とはいえ六歩進んだだけだが結構距離が離れている。

 「いくよー、最初はグー、じゃんけん、ぽん」

 これ以上離されない為に僕はチョキを出すが読まれたらしくグーを出される。

 「グ、リ、コ」

 橘がさらに三歩離れて距離が十メートル程になると心の中に不安がよぎりだす。言い知れぬ孤独感が襲う。

 「いくよー!、最初はグー!じゃんけん!ぽん」

 大きくなった声に合わせて僕はパーを出すがチョキを出されてしまう。

 「ちょっとー!しっかりしてー!」

 十五メートルの距離が開くと橘にそう言われるが逆に焦ってしまう。

 「いくよー!、最初はグー!じゃんけん!ぽん」

 僕は悩んだ後グーを出すとあいこになる。

 「あいこでしょ!」

 次はパーを出すと初勝利を納める。それから勝ったり負けたりであまり差は縮まらずに橘の勝利になった。

 

 「結構残酷だねグリコって。孤独感が凄かったよ」

 「そうだね。何やってるんだろう?って気持ちになったよ」

 「何やともあれグリコは出来たよね」

 橘はそう言うとノートを取り出して開くとチェックを付ける。

 「それは?」

 「あ、説明してなかったね。と言っても書いてある通りだよ」

 そう言って表紙に書かれているやりたい事リストの文字を見せる。

 「死ぬまでにやりたい事を書いておくの。どんな些細なことでもね」

 橘はそう言ってパラパラと内容を見せてくれる。

 ・夜更かしする

 ・一日中漫画を読む

 ・料理をする

 ・一人でキャンプをする

 ・ゲームをする

 ・お酒を飲む

 などの様々なことが書かれている。

 チェックが付いているものも沢山あるがチェックの付いてないものが多い。

 「……これは?」

 ・虹を見る

 ・流れ星を見る

 ・猫に囲まれる

 ・日本一周

 目に留まった実現が不可能そうなものを指差す。

 「やっぱり不可能だと思う?」

 「う、うん」

 「そうだよねー」

 「まあ、書いておいて損はないよ」

 「そうそう、出来るものをやっていけばいいから」

 笑顔になった橘はある一行を指差す。

 「しりとりをする?」

 僕は指差された文字を声に出して読む。

 「そう、しりとりをして欲しいんだ」

 「したことないの?」

 思わずそう聞くとジッとした目を向けられる。

 「別にどっちでもいいでしょ」

 「ご、ごめん」

 「相手してくれたら許してやろう」

 そうして僕達はしりとりをしながらどこかへ歩き出した。

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