第10話 硬度10のカイマナ

 レアは水を奪われ茫然と佇んだ。一方、ウリはカイマナ水をボトルから直接、飲もうとするレアを信じられないものを見たとばかりに唖然とする。


「お前、カイマナ水、飲んだことなんか、ないんだろ。カイマナはモース硬度10! 物凄く硬い石なんだ。そこから慌てて飲んだら大変なことになるぞ! ボトルの蓋に注いで、ちびちび啜って飲めよ」


 レアは言われた通り、蓋を返して中身を注いだ。大小の無色の石がすぐにその小さな器を一杯にしてしまう。その隙間に溜まる液体をそっとレアは吸い込んだ。乾いた体は僅かな水分を与えられ、貪欲にそれを欲しがる。彼女は蓋のカイマナを布の切れ端にあけると、二口目を作って啜った。

 その様子にウリは何か考えている視線を送る。


「マヒナでカイマナ、放り出さない奴、珍しいな」

「だって、なんだか勿体なくて。それに凄く硬いんでしょ? だったら、何かを砕いたり、投げつけて武器にしたりできそう」

「ガキかよ」


 隣りで憐れむ表情を隠さないウリに、少し潤って落ち着いたレアは姿勢を正し向き合った。彼は面倒臭そうに足を交差させる。


「どうしてここにいるの?」

「後学のため?」

「偶然、私を見付けて水くれる気になったの?」


 ウリは応えなかった。レアはもう数口、カイマナ水を含むと缶をしっかりと閉め、服の中にそれを隠す。彼女は笑顔で立ち上がった。


「有難う。嬉しかった。じゃあね」

「いや、お前、どうすんの? このまま、死ぬの?」


 彼女をウリは斜に見上げる。何か言われるとも思っていなかったレアは目を見開いた。


「もう少し放っておけば水欲しさに、お前が動き始めるかもしれないから後をつけろ、って兄貴が言ってたぞ。交渉材料があるなら使ったら? このままじゃ、お前、死ぬぜ。ただ死んだって、しょうがないだろ」


 ウリの冷めた口調は相変わらずだ。兄に魂胆があるのもレアは気付いていた。どちらも驚きはしない。しかし、冷静に自分の死を予告されれば心は騒いだ。

 それでもレアは首を横に振る。たった一枚の母の文字が手元から失われても彼女は辛い。


「できないよ。だって、父様と母様が作った詩なんだもん」

「それって生きるより重要?」


 彼女の葛藤をウリは一言で切った。レアは言葉を失い、声の主を見つめる。

 気を落ち着ければ、彼に一理あるのは彼女にも判った。レアは唇を引き結び、目を閉じてから力を込め、もう一度、彼を見る。


「総督府に渡して良いものなら、なんで母様は私に持たせて逃がしたの? 兄様を使って私から奪おうとするのは、それ位、価値か危険があるからでしょ。ただ差し出すなんて莫迦みたいじゃない」

「……言えてる。だったら、それ、俺が買ってやるよ」


 するとウリは使い込まれた風合いの紙を数枚、取り出し、かざしてみせた。レアは極限まで見開いて叫ぶ。


「それ!?」

「そう。お前が隠して歩く傍から俺が拾ったって訳」

「だから、こんなところにいたの?」


 彼女は思わず彼を睨んだ。


「正解。頭、働いて来たな。お前達が学校に来なくなって、水泥棒絡み、って噂はすぐ流れた。『家族で伝染病』って話だったが、俺等にうつる心配はしてなさそうだったからな。親父に相談して探ったんだよ」


 いつから自分の近くにいて、どこまで知っているのだろう……レアは警戒心を顕にする。

 同時に、両親のことが表向き、伏せられていたことに少し納得もした。両親は少なくともこの総督府のお膝元では有名人にも拘わらず、彼等を非難するうねりも擁護する声も聞こえて来ない。


「俺が回収したことに感謝しろ、っての。家は真面目な商売してるからネコババなんてケチな真似はしないがな。そうでなきゃ、お前、八方塞がりだぞ」


 レアはむっとして、ウリの目の前に掌を突き出す。


「金でも水でも他のもんでも払ってやるから慌てるなよ。ま、家にしか金もブツもないから、ひとまず俺の家に来いって話だけど」

「……今?」

「警戒すんのは良いことだけどな。お前、今、ここにいるより酷いことには滅多にならないだろ」

「だって、私が帰らないとリポちゃんが心配するもん」


 彼女の言葉に少し首を傾げ、ウリは思い当たった風に頷いた。


「……あのガキか。別に帰って来なきゃ、お前が死んだと思うだけだろ」

「それが可哀想って言ってるんじゃない」

「マジで? お前、自己肯定感、半端ねえな」


 ウリはまじまじと金の瞳を覗き込む。彼女は何を言われているか不思議に思いながら、反射的に異星人の目を間近に凝視した。


「いいや。だったら、ここで先に交渉だ。俺が回収したブツをお前が確認して文句がなければ、紙一枚につき一人一日、俺ん家に住まわせてやるってはどうだ? もう一人を連れて来るなら2枚で一日滞在券だ」

「そんな安くないよ、母様や父様の秘密は」


 レアは自信満々に即答する。ウリは想像以上に厄介げに顔をしかめた。


「俺の家だって安くねえよ。その意味知ったら、お前は俺の奴隷になったって住みたくなるぜ?」

「ならないもん」

「なる。だって、俺ん家は官憲どころか総督だって踏み込めないからな。異星の水商人はマヒナの生命線。うっかり手出しするのは自殺行為なんだよ」

「……ウリの奴隷にはなっても良いけど、母様と父様の秘密はやっぱりそんな安値で売れない」


 ウリの家の特権には明らかに心動かされながら、レアは再び言い切る。

 アヌヘアはロカヒとレアの未来の幸せのために、それを書いたと言っていた。この先、起こることを変えてしまえる詩なのだろう。ハクメレはマヒナ有数の異能者、アヌヘアは並ぶ者のない技術開発者だった。レアは両親がなそうとした力の価値を疑わない。


「お前、いい性格してんな。商人になった方が良いぜ?」


 ウリは嘆息した。

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