第9話 苦くて甘い事実と嘘と

「レア、親に何を吹き込まれた? こんなことまでして。何を逃げ回る必要がある?」


 ロカヒは異なる世界に生きているように淡々とレアに問い掛けた。彼女はぼんやりとその声、その口調を聞く。


「俺達の親は罪を犯したが、俺もお前も関係ない。俺が何も知らなかった、と認められた位だ。子供のお前が知るはずない。事情も判らず親に唆され、逃げ回る酷い生活から保護しないと、と皆が同情しているんだ」


 兄の言葉はレアを動揺させるには十分だった。

 レアはケアヌと母から聞いた話しか知らない。退廃区では噂や裏情報は飛び交うが、それが価値あるものかを確かめる術は彼女になかった。

 ケアヌとアヌヘアの見解が一致するからと言って、それが正しいとは限らない。二人が仲間ということもあり得る。


「お前は親に騙されているんだ。反逆の大罪人だからな。子供を利用するような非常識なこともしかねないさ」


 しかし、両親を悪し様に言われるのは心情的にレアは受け付けなかった。それを口にするのがロカヒであることも感情を強める。両親は自分達を大切に育ててくれたと思うレアはその全てを覆すことは言いたくも、言われたくもなかった。

 その反発がレアにロカヒへの疑いを抱かせる。


「どうして助けに来てくれなかったの?」


 彼女は枯れた声をやっとのことで絞り出した。ロカヒは僅かに目元の表情を変えたが、


「助けに来ただろう? あぁ、そうか、意識が混濁してるんだな。俺は夢じゃない。ちゃんと、ここにいる。安心しろ」


 ロカヒはレアの言動を現実と夢を行き来していることにした。

 金色をしているはずの瞳が離れた先から自分を見下ろすのをレアはぼやけた視野から感じ、口を噤む。


「一応、レアの身体検査をするからな。両親に渡されたものを持っていないか」


 そして、ロカヒは振り返る。幾つもの足が路面を踏む振動がレアの体に伝った。消耗した神経が凍るのを彼女は自覚する。

 先刻からレアの感じていた違和感。それはロカヒが立ったまま、近付いて来ないことだった。体を洗う機会もなく、進んで汚れる生活をして来たレアである。清潔に生活する人には耐え難い臭いを発しているに違いない。しかし、数か月、行方不明だった妹を本当に助けたかったなら、傍に寄ろうとするだろう。その結果、悪臭で逃げる方が理解できる。

 ロカヒは現れた時も、そこにいる今も、冷静過ぎた。


「レア、これは何だ?」


 調べて出て来た紙を渡され、ロカヒはレアを一瞥する。彼女にとっては案の定だった。それは一篇だけ持ち歩いていた詩の紙だ。


「……母様の詩」

「どうして持ってるんだ?」

「母様の字だから……それしか形見がないの」


 何とか、それを声にし、レアはぐったりと力なく地に伏せる。すると、暫くして捜査官らしき一人が彼女の口にボトルを当てた。ほんの一口、水が流れ込む。それが全身に沁み渡って行くように彼女は思えた。

 ロカヒは相変わらず見下ろして問い掛ける。


「大丈夫か?」

「うん。有難う、兄様」


 久々に飲んだ綺麗な水にレアは本心から笑うことができた。ロカヒが少し満足そうな表情を浮かべる。


「いいか、レア。これはお前が持っていてはいけなかったんだ。大丈夫。お前が無関係なのは判って貰える。内容が難し過ぎるから、どう考えても、お前が理解するのは無理だ」


 数か月ぶりの兄の口調を聞きながら、彼も変わらない、とレアは少し安堵した。


「これは一部のはずだが、他はどうしたか判るか?」

「食べ物くれる人にあげてた。後は、火を点ける時、焚いたり」

「火!?」


 思わずロカヒは大きな声を出す。それもそのはず。レアの答えは嘘だ。支援者と書付を交換することはまだあり得ても、アヌヘアが詩を燃すはずがない。分解した本の頁は彼女とレアで方々に隠し、最近、最後の部分を手放したところだった。

 彼女は驚いたように少しずつ体を起こしてみる。


「レア、お前の言ったことを証明する必要がある。燃え滓の残っていそうなところや、どこでどんな奴に渡したか覚えていないか」


 レアは口籠った。その反応にロカニは後日、情報を持って総督府へ出頭するようレアを促すと、彼等はひとまず帰還する方向で話がつく。

 捜査官の一人が判り易い場所までレアを運び、ひとまず騒動は終わるかに思われた。

 しかし、彼女が一人、残された時、


「お前、その格好の方が頭、回んじゃね?」


 どこかで聞き覚えのある声が降って来る。レアは夜空を見上げたが、石壁には誰もいなかった。幻聴を聞いた気になる程、彼女は疲れを感じ、頭を振って立ち上がろうとする。その時。

 がちがち、と硬いものが全身に当たり、頭上から大量の水を浴びせられた。

 路上に転がる透明の石を見て、レアはやっと誰の仕業か思い当たる。


「ウリ!? どこよ!」

「お前、くっせーから折角、濡れてる内に体、洗えよ」


 憎まれ口を叩きながら、かつての同級生が姿を現して着地する。暗いとはいえ、その距離にいて見落とすなどあり得なかった。


「異能、持ってたの?」

「やっぱ、その格好でも頭、悪いな。あぁ、水で流してやった分、莫迦に戻ったのか」

「誤魔化さないで」


 レアは今日、最後の力をこめるようにウリを睨む。その強気な態度に彼は少し意外そうな顔を向けると、にやりと笑ってみせた。


「水商人のお坊ちゃまだぜ? 異能者の一人や二人、雇えない訳ねぇだろ」


 ウリは足早に近寄るとレアに飲料缶を差し出す。何事か判らず、彼女がきょとんとしていると、意地悪そうな顔をした。


「ちゃんと掴めよ、貧乏人。くれてやるから」


 それを聞き、明るい表情になる彼女にウリは心底、呆れ顔をする。しかし、レアは構わず嬉しそうに金属缶を口に持って行った。

 その缶をウリが突然、掴み取る。

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