第4話 珊瑚のクーペ・エ

「待って。どこへ?」


 荷物から水を集め始めたレアにケアヌは狼狽うろたえをにじませ問い掛けた。それをえて無視し、彼女はかばんさぐる。


「レア! 考えなしに出て行ってもダメだよ。逃げられない」

「何とかする」

「何とかならないから言ってるんだ」


 記憶に一度もないケアヌの苛立ちに触れ、レアは自分のあせりや恐れが刺激されるのを感じていた。今、彼に耳を傾けたなら感情を抑えることはできないだろう。助けて欲しいと口にしないため、レアは全てを拒み、自分を奮い立たせなければならなかった。

 彼女は最早、自分が何を探そうとしているかも判らないまま、手を動かし苛々と応える。


「ケアヌには関係ないじゃない。私は私でやるから」

「君は成り行き任せ過ぎるよ。少しは逃げ方を考えたから話を……」

「そんなこと言って、ケアヌが私を売るためじゃないの!? そうしたらケアヌは褒められるんでしょ? 今より立場だって良くなるんでしょ!」


 にらみつけるレアの視線にケアヌは深く傷ついた面持ちで佇んでいた。

 その姿を宿す金の両眼から涙がほろほろとこぼれ出す。そうなればもう止まらなかった。彼女は両手で口を押さえながら泣きじゃくり、しゃがみ込む。


「御免ね、レア」


 頭に人肌の温もりがともり、てのひらり返しゆっくりとレアの髪を添ってでる。レアは今まで何度となくケアヌにそうされて来た。ロカヒに癇癪かんしゃくを起こした時も、我儘わがままを言い張った時も彼は静かにそうしてなだめてくれる。

 レアが少しずつしずまるのを待ち、ケアヌは語り出した。


「君はまずマウカで隠れて、こちらに追手を引き付けよう。アヌヘアさんが逃げやすくなる。私有地の地下には退避室や通路があるけれど、一斉に捜査するには広過ぎるから、目を付けられそうな場所を避けてひそめば良い」


 母の名にレアの心臓は縮むと同時に熱が宿る。

 アヌヘアは、彼女ならば何とかしてくれる、と思わせる女性だった。父のハクメレとは対照的に異能を使うところをレアでさえ見たことがない。それ故、人は彼女を『異能知らずの賢者』と呼ぶ。

 彼女ならば今の困難を切りひらけるのでは、とレアも思う。


「ヒヴィやその近くから注意がれた頃、アヌヘアさんと合流しよう。彼女が上手く当局をいてくれれば逃げる先の見当はつく」


 ケアヌが何をどう把握しているのか、レアには得体の知れない不気味さも感じる。彼女の知らなかった母を、彼女の知らないケアヌが知っている。それが何故かレアには想像できない。

 沈黙するレアを暫く見守ると彼は目を泳がせながら言い難そうに切り出した。


「それで、服はその……それを着たままは……」

「判った」


 能弁な沈黙をさえぎり、レアは短く応えるや否や、お気に入りの赤いワンピースをたくし上げる。目を丸くしたケアヌは、


「待って! 何して……」


 慌てて視線を大きく逸らした。

 レアはむっとして、それを睨む。彼女とて脱ぎたくて脱いだ訳ではない。むしろ恥じらうケアヌを気遣きづかい、また、好きな物を手放すため、躊躇も自分に許さなかった勢いだ。


「このままじゃ、ダメなんでしょ?」

「レアは一つ、夢中になると他が見えな過ぎるよ」


 ケアヌはほとおる顔を明後日へ向け、敷布に手を伸ばす。引き剥がした布でレアをくるむと、彼は溜息をついた。それから、また掌が頭を撫でる。


「その格好で表に出て、向かいの庭へ走れる?」


 レアが頷くとケアヌも頷き返す。


「向かいにはオヘやぶがあるから、そこに逃げ込んで。竹藪には地下への入り口を作れない。多分、地下捜査の優先度が下がる。北側から敷地を出たら、ずっと一番、細い道を選び続けて。禁足地があるから、そこに隠れるんだ」

「でも、禁足地って……」


 禁足地をおかせば命はない。

 不安の表情を浮かべるレアの前、ケアヌはしゃらしゃら、と桃色の欠片かけらを貫き留めた輪を取り出し、彼女の手を取った。


豊穣の女神ハウメアに出産の加護を祈るため、女性は供え物を捧げに行ける」


 レアの指を握る手に一度、力を込めると、彼は手首へと腕輪クーペ・エを通す。まだ細い彼女の腕をピンクの飾りは滑り落ち、肘の辺りで止まった。


「これを着けていて。一族の印みたいなものだから。毎日、ハウメアには捧げ物を。紐を解いて珊瑚さんごを一粒、祭壇に置くと良いよ」

「珊瑚!? 珊瑚って伝説じゃないの? 水が溜まった海の中にしかないって神話の話でしょ?」


 瞠目どうもくして見上げる金の瞳をケアヌは静かに見つめ返す。

   

「僕の家でこれは珊瑚として大事にされてる。一族の外には秘密にする程ね」


 それからケアヌは自嘲気味に目を伏せた。苦味の際立つはにかみを浮かべながら、彼はありふれたペレの涙を連ねた紐を取り出し、珊瑚の上から幾重にも巻く。


「僕達は結婚を約束する時、珊瑚のレイを贈るんだ。だから、うちの既婚女性は大抵、着けてる。僕は……精一杯、集めてまだ腕輪、一対分にもならなかった。でも、印としては問題ないから」


 言い訳するかに告げるケアヌと隠れがちな珊瑚を交互に眺め、レアは息を深く吸い込む。意を決した声が吐き出された。


「こんな貴重そうな物、貰えない」

「どうして? レアは貰って当然だよ」

「婚約解消の時も贈るの?」


 その一言と真っ直ぐなレアの眼差まなざしにケアヌは一時いっとき、言葉に詰まる。

 しかし、彼女の掌の下に自らの掌を合わせ、もう一方の手を腕輪クーペ・エの上に乗せると彼は祈るように目を閉じた。


「まだそうとは決まっていない……これは僕がレアにあげるためだけに集めた珊瑚だから他に使い道もない。だから受け取って。そうでないと意味がないんだ」


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