第3話 ペレは泣かず

 あれは珍しくペレが泣かない午後だった。

 傘は必要ないにもかかわらず、必ず自分を待つよう告げてまで二人で帰るケアヌに違和感を覚えながら、レアはそれを自分への好意と期待し、彼の緊張にさえ少し胸を高鳴らせていた。

 奇妙さを感じたのはマウカ地区に踏み入れて少し経ってからである。


(こんな方向、来たことない)


 邸宅の連なり、余り人と行き交わないマウカだが、その日の道筋からは人の気配すら漂わない。整った家々があるにもかかわらず、廃墟はいきょと似てレアには感じられた。

 彼女のためらいを感じたか、咄嗟とっさにその手をケアヌがつかんだ。たじろぐレアの動きを年上の少年が無視するのは容易たやすい。自分を見もせず、足取りも緩めず、歩き続ける彼をレアは初めて怖いと思った。

 しかし、自由になろうとする彼女をケアヌは決して離さない。腕を引かれて仕方なく前へと進む足にレアは力を込めた。


「私、一人で帰る。離し……!」


 突然、レアの視界が回った。

 彼の肩越しに見える路面から、ケアヌが自分をかかえ上げた、と気付くまで数瞬。たくましい印象のない彼にそんな力があることに混乱しながら、彼女が抗おうとした時、


「僕を信じて」


 かつがれたレアの耳元で張り詰めた声がささやく。その音の響きに彼女ははっとした。自ら何かをわない人の願いに、幼い頃から自分に優しく語り続けた揺らぎがある。

 レアが大人しくなったことに安堵する気配が体を伝わる。彼は足を速めたようだった。やがて幾つかの角を曲がり、瀟洒しょうしゃな小邸宅に入ると玄関前でケアヌは彼女を降ろして抱き締める。レアの顔が紅潮するや、

 

「ハクメレさんが水泥棒で捕まった」


 恐ろしい言葉に全身を寒けが駆け抜けた。震え出すレアを抱く腕にかすかな力をこめ、しかし、彼女が顔を返らせることを手ではばみながらケアヌは額が触れる程に顔を寄せる。


「家に入って。説明する。でも、僕が話し出すまでは知らないふりで僕に合わせて」


 ケアヌは荒っぽく彼女の肩に腕を回すと、レアが歩き損ねるのも構わず中へと進んで行った。半ば強引に部屋へと連れて行かれ、彼は扉を強く閉ざす。それを背にケアヌは浅く長く呼吸した。淡褐色の瞳に何かの決意が宿る。


「今朝、ハクメレさんを拘束こうそくすると言ってた。水を譲っただけじゃないと思う。家族も連行するらしいから。君とアヌヘアさんは君が帰宅したところを押さえる気だ」

「母様は!?」


 思わずレアは叫んだ。すぐにも飛び出して行きそうに勢いづく彼女へ立ちふさがり、ケアヌは両の二の腕をそっと握る。 


「君が帰るまで泳がせるなら、まだ大丈夫。アヌヘアさんは賢い。異変を察して逃げるくらいはできる」

「でも!」

「アヌヘアさんの頭脳はかけがえないものだ。捕っても君よりは安全だし、ロカヒも総督府の縁がある。君が一番、見付かっちゃいけない。君が一番、弱いから」


 彼は滅多にない強い語気で言い募った。レアは反駁はんぱくしたい感情を無理矢理、こらえてうつむく。


「ここは?」

「僕の家だよ」

「家はいつも……」

「私有地に街並みを作ってあるんだ。勝手に入れない私有地で人目を避けたりするために。マウカにそういう領域が幾つかあるのは暗黙の了解で、いつもの家は表に近い親のもの。学校を終えたら僕はここに住むことになってる」


 マウカ地区に家一軒、持つのは異能者にも滅多に手の届かない夢である。それが街並み一つとなれば途方もない話。恐らくマヒナ有数の一族でなければ、そんなことは叶わない。

 ケアヌが多くの秘密を抱えていることにレアは気付いた。たった三つ年上なだけの彼が幼い頃から慎重だった理由もそこにあるのだろう。それを噛み締めながら、レアはつぶやいた。


「……言ってくれれば怖くなかったのに」

「御免ね」


 ケアヌは一層、申し訳なさそうに瞼を半ば落とす。


「君と帰った僕は調べられる。僕を怖がって逃げた、と言える状況を作ったんだ……ずるいよね。君を守り抜くより自分の保身を考えた」


 恐らくケアヌは本気で自分を責めている。

 レアは彼の本心に傷つく思いがある一方、怒りは不思議と湧かなかった。アヒが水を求めた時、自分も隠れてその場限りの助けを試みただけだったことを彼女は忘れていない。


「ケアヌは大丈夫なの?」


 レアは顔を曇らせ見上げる。すると、ケアヌは驚いたように彼女を見て、複雑そうに微笑んでみせた。


「僕はハクメレさんが捕まることも知るはずない立場だから。許嫁いいなずけを連れ込もうとしたタイミングが悪かっただけ、と親達も言うと思う」

「許嫁!?」

「君のご両親は娘が大人になって決める、とおっしゃったけど。偉大な異能者カフナでもそれ以上は逆らえない。君に異能がなくてもハクメレさんの娘だから異能者を生むのを期待して、惜しくない僕でつながりを持とうとしたんだ」


 自分の知らない事実を次々と明かされる日だ、とレアはどこか冷静に考えていた。そうしなければ落ち着いたふりさえできなかったのだろう。

 レアが知らなかっただけのことである。世界には多くの秘密が隠されている。その気付きは今、切ない苦みに満ちているが、やがて彼女も慣れるのだ。教室から同級生が消えた時と同様に。


「だから、ケアヌは小さい頃から優しかったんだね」


 レアは精一杯、明るく笑った。自分の言葉が何でもなく響くよう、願う。

 そんな彼女にケアヌは何かを言いかけ、口をつぐんだ。それで良いとレアは思う。これからは別々に生きて行く同士なのだから。

 感情激しい女神ペレ、かの火山星もレアのためには涙を見せない。

 それが正しいのだ、と彼女は自分に言い聞かせていた。


「有難う。私、ちゃんとすぐに出て行くから。元気でね」



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