第2話 水への不敬
缶の中身は少年の赤毛から糸を引いて
その陰で水の縁がアヒの眼前に届き、彼女はそこへ唇を寄せた。
「不適切だぞ、ウリ!」
すかさずロカヒが声を荒らげ、不敬な水の扱いを
しかし、ウリの碧い目はどこか見下すようにその顔を映し出す。
「この暑さだぜ? 水浴びて何が悪いんだよ」
「
気色ばむロカヒはそれでも
「俺の好きにしていい水を好きに使ってるだけだ。汚水を貧乏人がどうするかまで知るかよ」
ウリは薄く笑ってみせると、彼の家の商会マークが入る缶を蹴り、煩い金属音を再び響かせて席を立つ。それを見送りながらロカヒは不快感を隠さず、眉根を寄せた。
「これだから不道徳な名を恥じない星は……」
ロカヒの呟きに
「ウリは本名じゃない。ハウケア星は水の言葉を誰の名にも使うんだ。そういう名のハウケア人はマヒナでは
しかし、今の彼女にとって友達はウリのお陰で助かったようなもの。兄と同じ彼女の金の双眸は寧ろ興味に
「もうそれ位でいいだろう?」
「ケアヌ。すまない、放っておいて。こちらが頼んだのに」
ロカヒが微苦笑すると、ケアヌは匂やかな面差しを緩め、レアに少し身を屈める。
「ロカヒが総督府で研修の間、君のことは僕が家まで送るよ」
窓際の令嬢達から羨望の溜息が漏れた。
ロカヒとケアヌはこの学校では少数派の異能持ちである。
しかし、レアにとっては不確かな未来より、彼の今の優しさが魅力だ。幼い時からレアは小言ばかりの兄より、淡褐色の眼を細めて話を聞いてくれるケアヌが好きだった。
「ケアヌは異能があって、いいなぁ」
ペレの涙が二人の周囲で跳ね、宙を踊って落ち行く。灰色がちな雨の中、時折、目立つ緑の光輝を目で追い、くるりと円を足踏みながらレアは破顔した。その明るい瞳を見下ろし、ケアヌは少し困ったように笑む。
「僕のは使い道も判らないような異能だから。レアのお父上みたいな能力じゃないよ」
「雨の中、どこにでも行けるでしょ? それが羨ましいの!」
異能の持ち主は大抵、強弱の差はあれ物理的な力に防御壁を張れる。微弱な異能らしいケアヌでも雨に傘さす位は問題なかった。
それだけに異能持ちがそれをできる、と普通は喜ばれない。それしかできない、と嘆かれる。突出した
「レアの行きたいところには僕が一緒に行くから。大丈夫」
ケアヌはレアの黒髪をそっと撫でる。涼やかな眼差しを注がれ、レアは顔が、胸が急に熱を持つのを感じた。
(そうじゃない。私は自分で行きたいの。いつでも望んだら一人で行けるのが良いの)
そう思いながら、どこか心踊る自分がいるのが面映ゆい。
その時、東西南北の鐘が不揃いに響き渡った。
四つの鐘が一斉に鳴らされるのは総督府からの告知、音が不和を成すのは不吉を意味する。鐘は耳障りで、教室で鳴った業務缶より凄まじい。レアは思わず耳を塞ごうとして、寸でのところで動きを止めた。
「処刑?」
「……うん」
「水泥棒?」
レアの脳裏にアヒとその父親が浮かぶ。ケアヌはレアの手を握ると、道を逸れ気味に歩き出した。公開処刑の鐘を聞いたら広場へ行くのがマヒナ人の責任だ。咄嗟に見上げるとケアヌは見たことのない顔をしている。
「おい! 何故、広場へ行かない?」
人を誘導する監視員が二人に目を付けた。レアが身を震わせると、ケアヌの手が肩に乗る。伝わる熱が心地良い。
「力が切れる前にマウカの家へ急いでいました」
「マウカ……」
監視員が口ごもった。マウカ地区に家を持つ殆どの人間が総督府で政に携わる。ケアヌが令息と呼ばれる子である可能性が彼の頭を掠めているのだろう。
「彼女をヒヴィまで送る約束ですが、家で回復してから回るには時間が必要で。遅くに僕達だけで出歩くのは不適切ですから」
「
背後で雑踏は騒がしくなり続け、ペレの涙が辺りを絶え間なく打つ。
それからまだ二か月しか経っていない。
レアは退廃区を
壊れかけた家々の間に潜んでいると不意に鐘が遠く鳴り出した。不揃いに四つの音色が響く。それが水泥棒の処刑を知らせていることをレアは聞き取れるようになっていた。
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