星に降るは女神の涙

小余綾香

唄1 Aloha ʻOe

逃亡

第1話 降り注ぐ涙

 火山星ペレは今日もマヒナへ涙を落とす。

 ペレの涙はククイの木の彩りを余すことなく溶かしたように、熟し切った殻の黒、産毛トライコームの銀、葉の緑、一粒一粒がとりどりの水晶質に煌めいて地表へと降り注いだ。


「雨、やまないな」


 学校に取り残された級友の嘆きを背後に聞きながら、レアは積もり行く雨だけに燃えるような目を据える。

 異能を持つ子は帰ってしまった。

 ペレの涙は岩を穿うがつこともある。大抵の雨は当たろうと大人ならば軽症を負う程度だが、上空にマヒナ総督府の張る相殺層を抜けてさえ、危険な雨も稀ではなかった。

 両親はレアが「まだ十三歳だから」と雨の中、一人で外に出ることを禁じている。異能や道具で守る人がいなければ、彼女は家に帰ることもできない。


 だが、今、レアは一刻も早くこの場を離れたかった。どうしても、どうしてもだ。

 酷く暑い教室で唇を引き結び、彼女は手刺繍の小袋を胸元に握り締めてかたくなに外をにらむ。


 きらり。ペレの涙が彼女の前で一際、輝きを放った。

 レアの心臓が大きく打つ。

 無色透明に澄み切った大きな結晶。それはまさしく大粒の涙をかたどる。


 次の瞬間、椅子の倒れる音がした。女の子のうめき声がかすかに響く。

 咄嗟とっさに振り返ったレアの視線の先、ほこりまみれな髪が床にうねり乱れていた。その髪が光に透けた時、見惚れる程、綺麗なことをレアは知っている。


(アヒちゃん……)


 友人の火照ほてった顔とうつろに彷徨さまよう乾いた目は明らかに脱水の相だ。本当はその肌があめ色につやめくこと、ブルーグレーの瞳は優しい眼差しで安らぎをくれたことを思い浮かべながら、レアは小袋を強く握った。


「そろそろ一口、飲んどけ」


 色せた服の男の子が慌てて首に下げた銀のボトルから対のショットグラスを外す。彼と教室隅にいた子供達はそれに続いた。

 かろかろからん。

 金属を鳴らす硬い音色。ショットグラスに注がれるささやかな水は大小数多あまたの透明な塊と共に流れ入り、妙に美しい響きを奏でる。

 窓際で花柄を着た子が、くすりと笑った。


「ねえ、あれが氷でないことに気付いたの、いつ頃?」

「七歳位? カイマナ水石交じりの水というものは知っていたのよ? でも、学校に来て見かけるようになっても、わたくし、てっきり氷かと」

「幾ら氷が憧れでも石で気分を出さなくても、ね」

「異星の商品なのでしょう? 異星人の考えは判らないわ」


 そう嘆息した子はアヒの方を瞥見べっけんする。正確にはアヒの斜め後ろ、赤毛の少年を見ていた。マヒナ星では見慣れない仄白い肌へ彼女達はちらちらと視線をやっては逸らす。彼は唯、不機嫌そうに両眼を細めて前を凝視していた。

 教室の関心は今、彼が集めている。

 それを確信し、レアはそっと屈むとアヒへと近寄った。刺繍の袋から透明な真水のパックを引き出し、彼女はそっと封を切る。それをアヒの口へと近付けようとした、その時、


「レア!」


 低く鋭い声が教室の空気を割いた。びく、と身を固めたレアのパックから僅かに真水が跳ねて滴る。見上げる目が兄、ロカヒの厳しい表情を映すや、ばしっ、と彼女の手は叩かれた。容器は床へと落ち、水が零れ出す。


兄様にいさま

「……俺に割り当てられた水の印がついている。間違えて持って来たな。それをレアが飲めば罪だ」


 嘘をつくロカヒを彼女は唇をんで見返した。

 総督府が石から取り出す真水。高い異能力や機密級の技術を使わなければ得られない神聖な水。決められた人が許された量のみ使える真水は兄妹間でも融通できない。

 ましてや、アヒにレアが譲れば「水泥棒」として反逆罪に問われる。だから、ロカヒが取り繕ったことは彼女にも判っていた。


 かすれた声が足元で唸る。アヒが床を流れる水へと手を伸ばし、必死で力を絞ろうとしている。


 十日前までアヒも真水を飲める子だった。両親が総督府で水の抽出に貢献している上、彼女自身、成績は良く、将来性がある。父が異能者のレアと違い、アヒの両親は極普通の技術者の為、カイマナ水を使う必要もある階級だが、水に汲々きゅうきゅうとする家の子ではなかった。

 しかし、アヒの父親が「水泥棒」で捕まり、今、彼女の家には最低限のカイマナ水しか割り当てられていない。私的にカイマナ水を買う許可も下りていないのだ。

 水の足りない子が倒れ、学校へ来なくなるのは珍しいことではなかった。レアはその子達の名前を覚えていない。だが、仲良しだったアヒのこととなれば、彼女も見て見ぬふりに耐えられなかった。

 弱って前へと進めないアヒの先方に幾人かが割り入る。彼等は我先われさきにと溢れた水をすすった。その光景を映すアヒの瞳から、身体から、力が失われて行く。


「零れたお水を飲んだら、お腹を壊すのに」

「大丈夫なのかしら」


 ささやく声にレアが眼光鋭く、向き直った時だった。

 かたん、かちゃかちゃ、かちゃん、ごとごとごと。

 騒がしく音が鳴り、教室の一画は水浸みずびたしとなった。

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