第五話 誠の戸惑い華の不安

 誠は、また戸惑っていた。


 事の始まりは一昨日の金曜日。

 誠と俊介が図書室の受付当番を終えると玄関の下駄箱の前に華がいた。ちょうど新聞部の打合せが終わって帰るところだった。


 華はしかめっ面で眉間にしわを寄せぼんやりしていた。誠たちには気付きもせず考え事をしながら歩いている。上履きのまま外へ出ようとした。


「おいおい、平田、靴、靴、」誠の声にはっとした。

「あ。あれっ、木下って今日は当番だったっけ?」苦笑いしながら戻ってきた。

「高畑君を手伝ってたんだ。大崎先生に頼まれたんだよ」


 受付当番とは図書室の貸出返却作業の当番のことだ。図書委員がひとりずつ交代で行っている。今日は俊介の番だった。

 いつもは司書の大崎とふたりでの作業なのだが、大崎が急に寄贈本の連絡があり受け取りに忙しいからと、たまたま廊下で会った誠に手伝いを頼んだのだ。

 

 誠はそれでもひとりで十分だと思ったいたのだが、毎朝の「全校十五分読書タイム」で貸出していた本の返却日が重なってカウンターは渋滞した。特売日の夕方のスーパーのレジ並みに忙しかったのだ。


「大変だったんだって、」話しながら何気なく三人で歩いていたが華は上の空だった。

 そして門まで来たときふいに華が立ち止まった。

「ねえ、あのさ、影みたいなものが、人に害をなすなんてこと、あると思う?」

 それはモヤモヤしたものを吐き出すような言い方だった。


「へっ?」突然出てきた華のそれは脈絡がなさすぎて誠は戸惑ったが、俊介は驚いていた。華の顔を見つめ次の言葉を待っていた。だが、

「あ、いいいい、気にしないで、ごめんごめん、こっちの問題だから」

 華はそういって帰ろうとした。


「いや、それ、もっと詳しく聞かせてくれないかな」

 俊介は華の前に回って道を塞いだ。何だか知らないが怖い顔になっている。

「いや、もう帰らなきゃ。ごめん余計なこといった。気にしないで」

 華は後ずさりしたが、俊介の勢いは止まらなかった。

 何度か同じことを繰り返しとうとう華はその勢いに負けた。

「わかったわよ、でも今日はだめ」ということで、「それじゃあ」と。


 ぐいぐい話を進める俊介は、ふたりの家の場所、土日の予定を聞き、すり合わせて日曜日の午後に、三人の家のちょうど真ん中だからという理由で誠の家に集まることを決めた。

 

 

 誠は戸惑っていた。母は休日出勤でいないし帰りも遅くなるといっていた。困ることは何もないが、高畑の様子が不思議で仕方なかった。

―――平田の話しは面白そうだけど、なぜ僕も?なぜ僕んち?

 

 そしてふたりがやってきた。

 部屋に入るとすぐリビングのソファーに華は腰をおろしたが、躊躇なくすぐ横に座る俊介の距離感に華は驚いた。

――――こんなにグイグイくるタイプだったっけ?


 戸惑っている誠と華に、

「それで、あの話なんだけど、」俊介は早く本題に入りたがっている。

「あ、そう、そうだね」「そう、そう」



 そうして華が新聞部の先輩たちから聞かされたことを話し始めた。


 市内の小学校でまことしやかに流れているいくつかの噂だった。先輩は五年生の弟から聞いたといった。

 

 最初は小学校の近くにある建ったばかりのビルの話し。

 屋上から落ちていく人影を見た男の子がいた。反対側のビルの歯科医院に来ていて目撃したのだという。

 ところが確かに誰かが落ちていったはずなのに下には誰もいなかった。ただ黒い墨のような人型が歩道にあっただけ。近くへ行って確かめたその子は夜から体調を崩し救急搬送された。

 

 二つ目は、学校に忘れ物を取りに行った男の子の話し。

 三階の教室の窓から人影を見かけた。薄暗くなった校庭の隅に動く濃い塊だったという。墨を流したように真っ黒な人型の塊、なぜかそれが笑ったように見えたのだと。窓から身を乗り出して見ていたその子はそこから落ちて大怪我をする。


「それで三つ目が・・」といいながら華は口ごもった。

 この前のスイミングスクールで溺れた幼稚園児のことだった。

 誠が通っているのは華も知っていたし、先週の事件は誠もよく知っているはずだから。

 溺れた子の兄がもうひとりの先輩の弟と同級生だったから、詳しく事故の話しを聞くことができたらしい。

 

 あの日いつものように練習がひと通り終わって、順にプールから上がろうとしていたとき、男の子は足に何かが触れたという。そして気付いた途端あっという間にそのまま引っ張られていったのだと。

 

 プールは全体が明るい。窓からは光がたっぷり差し込んでいたからそれがよく見えた。足元にからまるサッカーボールくらいの黒い影。そこから伸びた手が足を掴んでいたというのだ。

 それを見たのは他にもいたが小さな子どもたちばかりで、大人は誰ひとり目にしてはいなかった。

 その場にいた子どもたちは恐怖のあまりもうプールは嫌だといっているらしい。


「だからね、木下君には悪いけどそんな噂が広がったら、あそこのスクール・・・」

「ううん、そうか、そりゃあそうだ。そんな怖い目にあったらもう誰だってね、」


 誠にとっては泳ぐことが生きる糧になっていた時期もあった。

 光溢れる水の中を進む心地よさは何とも言えない幸福感があった。

 それを体験できないまま恐怖だけが残ってしまうなんて。

 なんか、なんだかやり切れないと誠は思った。腕組みして唸るしかない。

「でも、」と思う。それはいったい何だったんだろうと。


 ただ、最初の話しはいつのことなのかどこの小学校から始まったのか分からない。

 本当にそんなことがあったのか確かめようがない。ひと昔前の学校の怪談的な要素が強いし。

 最後のは最近の身近な事件だけど、何かの見間違えだったとも考えられなくはない。これは学校新聞で扱うことなのか。とそこまでで金曜日の打合せは終わったのだ。

 

 だが華には本当はまだ先輩たちに聞きたいことがあったのだ。特に二年の先輩に。

 去年の新入生のクラスであったこと。華の家の隣に住む聡子に関することだ。

 どちらかといえばそっちの方が華にとっては大事なことだったのだ。

 何か力になれることがあるんじゃないか。とずっとそう思っていたのだ。

 ここのところ胸の中にモヤモヤとそれこそ影のような気持ちの悪いものが蠢いているのだ。



「ねえ、木下ってさ、そのスイミングスクール通ってるんだろ?

 今からそこ、見に行ってみない?」


 今の今まで静かに聞いていた俊介が突然そういった。


 誠はまた戸惑うことになった。



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