第三 不穏な気配

 自転車とも思ったが途中で気分が悪くなると困るから歩いていくことにした。

 思っていた以上に早足になっていたのだろうあっという間に校舎が見えてきた。

 柵越しに校庭も見えているが人影はなかった。

 門のあたりも閑散として物音は奥から微かに聞こえてくるだけ。この分なら誰にも会わずに教室にたどり着けそうだ。


 ところが教室に一歩踏み込んだとたんに「えっ、」

「あれっ、高畑?」「えっと、きの、した?」

「君も忘れ物?僕もだよ。ずっと入れっぱなしで、忘れてたんだこれ」

 木下誠はA4サイズの紙を振った。明日までに保護者から返事をもらうプリントだった。


「ていうか、高畑って今日は早退したんじゃなかったっけ?大丈夫なのか」

「えっ、ああ、ふっ、ふふっ」

 俊介は思わず笑ってしまった。

「な、なに」「いや、ちょっと、」


 これまで人ならぬモノには驚かなかったのに人を見て驚くなんて。しかも誠の背後にいる少年だ。

 ほんの一瞬緊張したがよくよく目を凝らすと、いたずらっ子のように笑いながら人差し指を口に当てている。誠はそれにまるで気付いていない。その様子も可笑しかったのだ。


 袖なしの白いシャツと紺の短パン姿の少年。小学五、六年生くらいだろうか。好奇心一杯の瞳でこちらを真っ直ぐ見つめている。背後が透けて見えるがこれまで遭遇したモノたちとは違う。まったく嫌な感じはしなかった。

 昼間のモノでもなさそうだった。こちらのやり取りを興味津々で見ているだけなのだ。 


「へええー」誠は不思議そうに俊介を見た。

「なに?」「高畑の笑うとこ初めて見たから」

「なんだよ、ボクだって笑うことぐらいあるさ」

「そりゃ、そうだけどさ、いつもなんか、しかめっ面してるし」


 この中学には市内の三つの小学校から生徒が集まってくる。ふたりは別々の小学校に通っていた。誠は俊介と同じ小学校だったというクラスメイトから以前の様子を聞いたことがある。無口で陰気、いつもひとりでいたから友だちもいない、などなど。


 それに今までのどこか暗い様子や聞こえてくる皆の噂に、やっぱり誠も俊介は極度の人見知り、人嫌いなんだと思っていた。でも今の笑う顔は普通の中学生にしか見えない。ちょっと変わってるだけなんだろうとそう思った。


「で、君の忘れ物って?」

「あ、いや、忘れたと思ったけど、勘違いだった」

「そうなの。じゃあ、もう帰ったほうがいいな。あと10分くらいで門を閉めるって、さっき教頭先生が見回りしててそういってたから」

「そうなんだ。じゃあ帰ろうかな。」


 教室が綺麗なオレンジ色の西日で満たされてきた。

 いつの間にか少年の姿は消えていた。

 

 あの子はきっとこの木下誠と関係のあるモノなのだろう。俊介はふと、弟の啓介を思い出した。小学校の入学式の夜に両親と共に亡くなった俊介の双子の弟。


―――昼間のあれは、まさか啓介?


 確かめる気は無くなっていた。どうせまたその内むこうからやってくるに決まっている。不意打ちをくらうのを避けることを考えなくてはと思いながら誠と一緒に教室を後にした。

 廊下の奥の暗がりからふたりをうかがっている影に気付くことはなかった。


 帰り道別れ際に俊介は、

「木下ってさ、身内に亡くなった小さい子っている?」

「えっ、いや、いないけど、なんで?」「ふーん、ならいいんだ」


―――なんだこいつ、やっぱり変なやつだな。

 

 誠は後になってそれをもっと実感することになるのだが、その時には思いもよらないことだった。



 綺麗なオレンジ色の西日は華の家も照らしていた。

 一時間の残業で帰ってくるはずの母はなかなか帰ってこず、洗濯物を取り込んでご飯を炊いて、その合間に舞の熱を測り宿題を見てやっていた。康太はテレビアニメを見ている。


「お母さんおそいね」「うん、もう帰ってきてもいい時間なんだけど」「おなかすいた。おねえちゃん、おなかすいたよ、ママは?」そろそろ弟が騒がしくなる時間だ。


 父は出張で帰りは明後日あさってだ。二日も父が帰ってこないことを知ると康太はますますぐずるだろう。仕方ないごはん前だけど何か食べさせようかと探し始めたら玄関で声がした。

「ただいまー、ごめんごめん遅くなったね。すぐご飯の用意するから」

 康太が走り出した。

 

 

 そして夕食もお風呂もすませた後、母が華を呼んだ。舞も康太ももうベッドに入っていた。

「今日帰り際にサチコさんに会ってね、ちょっと気になること聞いたんだけどさ」

「サトちゃんのこと?」「う、うん・・・」

 

 サチコさんはお隣の小林さんちの奥さんだ。母とは歳が近いし一人娘の聡子は華の一つ上で、華が小さい頃から家族ぐるみで仲良くしていた。


 その聡子は去年学校で何かあったらしく、今不登校になり自宅の部屋に引きこもっているという。明るくて優しい聡子を華は小さい頃から姉のように慕っていた。舞も康太もなついていた。だからみんなでずっと心配していたのだ。


「サトちゃんが、この頃変なこと、口走るっていうのよ。サチコさん」

「なに、変なことって」

「カエル、青いカエルがどうとかこうとか。あんた、学校でなんか聞いてない?」

「カエル?なにそれ」


 中学に入っても聡子の顔をまったく見ていない。華は寂しい思いでいっぱいだった。入部した新聞部も聡子がいるから決めたのだ。一緒にあちこち取材に行けると楽しみにしていたのに。


―――カエル、青いカエル?サトちゃんいったいどうしちゃったの。


 華は背中に冷たいものを感じていた。


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