第二話 つきまとうもの

 四時限目が終わるあたりから俊介は足元に気配を感じていた。

 一旦はそ知らぬふりをしたのだが、その気配はなかなか消えることはなくむしろ強くなっていた。



 俊介はこれまで妙なモノに度々遭遇していた。

 それは事故で負った怪我が回復してきた頃に始まった。

 最初は病院で、夜中にトイレに立ったときだ。

 廊下の灯りの届かない暗がりに何かがいた。

 すぐに気配は消えたからその時は気のせいだと思った。


 しばらくして退院し学校へ通えるようになると今度は人が行き交う外でも。

 家に帰る途中信号待ちをしていると、向こうの信号機の下にいる女性が目についた。俯いたまま身動きひとつせず青になっても渡ろうとしない女性だった。

 立ち尽くしているその人の背後が透けて見えていた。


 二度三度見かけたある日、思わず声をかけていた。

「ねえ、おねえさん。おねえさんは、もう死んでるんだよ。

 こんなとこでなにをしてるの。

 もう行かなきゃいけないんじゃないの、ほら、あそこ」

 沈む夕日を俊介は指さした。

 

 なぜそんなことを言ったのか自分でもよく分からない。

 ただ、その時は教えてあげなくてはいけない気がしたのだ。


 その後も電信柱の下にうずくまるお爺さんや、橋の手前で泣いている少女など、 背後が透けて見える人々を昼間だろうが夜だろうが目にしていた。


 それでも俊介はなぜか怖いとは思わなかった。

 困っているような気がしてつい声をかけそうになる。

 でももう声はかけないでおこうと思っていた。

 

 あの女性に遭遇した後、躰の不調にしばらく悩まされたのだ。

 めまいがする吐き気がする高熱が出る。さんざんだった。

  

 そ知らぬふりをしていると妙なモノたちは、その場の空気の揺らぎとしてしか感じなくなった。気配だけになっていった。

 俊介はホッとした。これでやっと穏やかな日々が送れると思った。


 それでも時どきあの信号機の下にいた女性を思い出すことがある。

 消え去る前に聞いた女性の言葉が今でも耳に残っている。


「ぼうや、あんたのなかにも、おおきな闇がぽっかりあいてる。

 だから、あたしのことが分かったんだね。

 あんただけが、あたしのこと、みつけてくれたんだ」


「それは、どういうこと?」

 俊介の問いかけには答えてくれなかった。


 そもそもなぜこんな妙なモノを目にするようになったのだろう。

 きっと事故のせいだ。

 あの時何があったのか全く覚えていないがそれ以外考えられなかった。 

 


 そして今日のこの足元の気配はいったいなんだ。

 これまでとは違う強いものを感じて俊介は驚いていた。


 その気配だけだったものが徐々に黒いもやのようになっていた。

 サッカーボールくらいの大きさになったそれが、ふわふわ動き出し教室を漂い始めた。

 

 誰も気付いていない。俊介だけにしかその様子は見えていない。

 給食前のざわつく中を縫うようにして廊下へ出ていくのを目で追っていた。 


―――どこへ行くつもりなんだ。


 トイレに行くふりをして後を追った。

 なんだか俊介が付いて来るのを待っているように見えたのだ。

 

 長い廊下を進んで突き当りの角を曲がった。

 その先は北の棟へつながる渡り廊下だ。

 理科室と準備室、家庭科室、一番奥に図書室がある。

 給食前の今は人の行き来はないはずだ。

 

 見逃さないよう俊介も曲がったら、「うわっ、」

 待ち伏せしていたようにそこにいた。


 黒いもやがくっきり人型になっていた。

 俊介の膝くらいの背丈のちいさな子どものような姿だった。

 

 俊介を見上げて笑った。

 顔かたちすべてが黒い塊であるにも関わらず、なぜか笑ったように見えたのだ。


 途端に背中を悪寒が走って気分が悪くなってきた。

 壁に背中をもたせかけて後ずさりしそのまま元の廊下に戻った。

 そうして手をつき膝をつき顔面蒼白になりうずくまっていたところを、通りがかった教頭に保健室に連れていかれ早退することになったのだ。


 すぐに叔母の恵子が迎えに来た。

「俊ちゃん、大丈夫?顔色悪いわ。熱は?」

「う、うん。ちょっと気分が悪いだけ、」

「このまま病院、行こう」

「いや、いいよ。もう病院なんか行きたくない。寝てれば、よくなるよ」

 

 心配そうにのぞき込む恵子にそれだけいうと俊介は車のシートに身を沈め目を閉じた。顔はさらに色が抜けてまるで死人のようだった。


 躰の傷はもうすっかり癒えたはずなのに。

「心的な傷は、癒えたと思っても何かのきっかけで甦ってくることがあります」

 恵子は運転しながら医者の言葉を思い出していた。


 俊介の不調は事故のせいだと恵子は思っていた。事故のことは何も覚えていないらしいがそれでも時どき浮かんでくるものがあるのだろう。カウンセリングに連れて行くべきなのかもしれないと考えていた。

 

 俊介は街はずれの小さなカフェを営む叔母夫婦と暮らしている。

 もうずい分前に両親と弟を事故で亡くし叔母夫婦に引き取られたのだ。 



 ベッドに横になり俊介は昼間目にしたものを思い返していた。


―――あれは、いつものあの気配じゃなかった。家にまでは付いて来てないからあれは学校にまだいるんだろう。

 

 気分の悪さが治まってくると好奇心が湧いてきた。


―――あれは、いったいなんだ?

 

 確かめたくなってきた。

 時計は五時前だ。外はまだ明るい。

 今からなら人目につかず見つけられるかもしれない。

 忘れ物を取りに来たと言えば不審に思われないだろう。

 

 俊介は起き上がった。


「気分が良くなったから、ちょっと友だちの家へ行ってくる。

 借りっぱなしで、今日返す約束だったものがあるんだ」

 

「大丈夫なの?明日じゃだめなの?私、車で送ってくよ」という恵子に

「いいよ。すぐそこだから」

 するすると出てくる嘘を悟られないよう俊介は素早く外へ出た。 

 



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