救世主

うよに

素敵だなって思うよ

 ――私は夕君のそういうところ、素敵だなって思うよ。


 僕は何においても駄目だった。端的に言うと熱中できないのだ。勉強も趣味である小説もテレビもユーチューブも音楽も全て。途中で必ず意欲が冷めて放り投げてしまう。そんな自分に辟易していた。

 こんなんだからクラスの中でも最下位だった。いや、もっと言うと受験の時もか。高校受験の時、周りは皆集中して勉強に励んでいた。けれど、僕だけ集中できずに暇を持て余していた。そんなに集中できる皆が羨ましくもあり妬ましかった。

 結果はもちろん不合格でこんなごみ溜めのような私立に通っている。治安もそこそこに悪いと思う。

 そんな経験があるから本当に自分が嫌いだった。

 と言っても何もしていないわけではない。時間を見ないようにしたり、集中しやすいようクッションを変えたり集中BGⅯをかけてみたり時間で区切ったりご褒美をつけてみたりと色々繰り返したが駄目だった。

 こんな僕の中で一つ重大な問題があった。

 それは小説だ。別に勉強などはどうでもいい。ただ、小説だけは別格なのだ。小さい頃から本を読むのが好きだった。そして大きくなるにつれ自分で小説を書きたいという衝動が強くなった。

 けれど。けれど集中力が続かない僕は小説を一冊読み終えるのに一か月は要し、執筆に至っては物語が細切れになって中々書く気が起きずにいた。

 小説だけは僕の唯一の楽しみであり生き甲斐なのに。だからこれだけはどうしても克服したかった。

 だから、こんな底辺私立でも部活動に文芸部があると知った時は舞い上がるほど嬉しくなり、初めてこんな高校に感謝した。

 そしていざ入部したら――僕は希望を打ち砕かれた。文芸部に入れば何かが変わるという淡い期待など持つべきではなかったのだ。部員は全員で十六人。一年生が七人、二年生が六人、三年生が三人。その全員が創作に熱心で皆物凄い集中力で部誌に掲載する詩や短歌、俳句、散文は何編も提出されていた。そこからはけたたましい熱意と集中力が窺えた。それを見て僕は自分の不甲斐なさと惨めさを思い知り、次元が違うんだと思って退部しようかと考えていた。これは入部してから二か月後の話だ。やっぱり僕には集中なんて無理なんだ、何かを成し遂げることなんて無理なんだ、そう思っていた。

 だから、多分僕は文芸部の活動報告の時に虚ろな目をしていたのだと思う。それを見て心配したのか、部活が終わって皆帰ってから同学年だけどクラスが違う月香さんに話しかけられた。月香さんは所謂陽キャっぽい人でなんでこんな所にいるのだろう、と入部の時に思っていた。もちろん、創作に陽キャも陰キャも関係ないから勝手な偏見だと、自分が恥ずかしくなったけれど。

 そんな陽キャの雰囲気を醸し出しているのにはわけがあって。見た目は顔が整っていて、所謂可愛いと言われる部類らしい。それに肩まで伸ばした少し茶色がかった髪は上品さと清楚さがあるのだそう。そんなことを噂で聞いた。

 とにかくそんな月香さんが僕に話しかけるなんて思ってもみなかったから肩を叩かれた時は心底びっくりした。

 なんかすごい心配そうに見られて、こんなところを他の人に見られたらいじめられると思ったから適当に繕って早く逃げようとしていたら、いきなり信じられないことを言われた。

「ねえ、夕君、あなた、小説書けてないよね。もしかして書けないの? 例えば、集中力が続かない、とか?」

 そう言って背負っていたリュックの中から部誌を取り出し僕の短い小説が載っているページを開く。

 ずばりと当てられて目を丸くしたのは言うまでもない。それにあの陽キャが「あなた」なんていう二人称を使っていることに驚いた。これも偏見だけど。

 何も言わないで、いや、言えないでいると、

「ふふ、ごめんね。当たっちゃった? 僕、こういうのは勘がいいんだよね」

 と初めて見る笑みに胸が高鳴る。

 一人称が「僕」っていう女子を現実で初めて見た。それに月香さんが「僕」と使うと清楚から一気にかっこいいクール系になる気がした。

 それにも答えられずにいると、

「ごめんね。こんなの急に言われても迷惑だよね。でもさ、僕、あなたの読んで、分かっちゃったんだよね」

 そう言うと少し口角が上がる。

「あなた、小説、本当は書きたくてたまらないんでしょ?」

「――えっ」

 僕の声を初めて聞いたことに少し驚いたのか目を丸くした後、すぐに笑みを浮かべて、口を開ける。

「良かった。図星だね。僕、あなたの読んでて、ああ、この人は小説がとても好きで書きたくてウズウズしてるなって思っちゃってさ」

「――んで……なんで……」

 少し掠れや声しか出なかった。けれどそれを聞き取ってくれたのか優しい笑みを浮かべて

「だって僕もそうだから」

 と不敵な笑みをもらした。

 よく笑う人だなって思った。

「でも、なんで、こんなに書きたいと思っているのに短編なんだろうって思って考えてたら、もしかしたら、集中力が続かないんじゃないかなって思って」

 と饒舌に話していた。

 この展開の速さと月香さんの意図が分からなくて混乱していると、それを察したのか

「それで、何か困っていたら、僕にできることなら手伝いたいなって思って。だから、あなたに声をかけたの」

 と直球に言われ少したじろぐ。

 どうしていいか分からずにいると、二人しかいない空間の外から足音がして、それを察して月香さんは「ごめんね。行かなきゃ。まあ、私にできることがあれば手伝うからラインでもいいから連絡してね」と言い慌てた様子で出て行った。

 整理がつかないまま次の活動の日になって、また、同じことを訊かれた。でも、どう答えて良いか分からないし、何かネタにでもされたら高校生活が終わると考えて曖昧に取り繕って一か月が経った。

 なんで僕にこんなに熱心に訊いてくるのか分からないし、こんなのが一か月も続いて、とうとう根負けして月香さんに話してしまった。

 すると彼女は嬉しそうな笑みを浮かべた後、意外にも真剣に話を聞いてくれた。

 そして――

「話してくれてありがとうね」

 と優しい口調で言われ、

「でも――私は夕君のそういうところ、素敵だなって思うよ」

 と面と向かって言われ僕の何かが弾けた気がした。今まで苦しかったものがプツンと切れて涙が溢れてきてしまった。

 そんな僕を見て少し狼狽えながらもハンカチを貸してくれて背中をさすってくれた。「辛かったね」とか「分かるよ」とか「大丈夫」とかそんな安っぽい言葉はかけずにただひたすら傍にいてくれた。それが僕にとってどれほどの救いだったか。

 僕が少し落ち着くと、月香さんは

「もし、夕君がよければ、私も手伝わせて」

 と真剣な瞳で言われた。

 月香さんの言葉に救われた僕に拒否する選択肢なんてなかった。

 それからは驚きの連続だった。

 まず放課後、市立の図書館で二人で一緒に小説を書くことから始めた。もちろん、それぞれがパソコンに向かって自分の作品を仕上げるだけだけど。でも、月香さんがいてもいつも通りだった。

 けれど――

 ふと横を見ると――真剣な顔でパソコンに向かい合って頭の中で物語を考えそれをキーボードに叩き出し、画面に言葉が紡がれる、そんな工程を見ていると、胸の中がカッと熱くなった。特に月香さんの真摯に作品に向き合う姿勢に心打たれていた。そんな月香さんを見ること、二か月。少しずつ変化が表れてきて、集中力が一分、五分、十分、三十分、一時間と伸びていったのだ。それからは楽しいことばかりだった。画面に向かえば、画面が躍り出すかのようにどんどん言葉が紡がれていき、画面の中でキャラが動き出していた。気づけば、図書館の閉館時間、なんてことも多くなっていた。

 そんな嘘みたいな集中力がついて世界が変わった気がした。いや、変わっていた。

 小説がこんなに楽しいなんて。

 心の底から楽しむことができた。それだけで僕は生まれ変わった気分になり生まれた価値があった、そう思っていた。

 そんな僕を生まれ変わらせてくれた月香さんはもう生みの親、命の恩人と言っても過言ではない。そんな月香さんに、なんで僕にここまでしてくれるの? って訊いたら、恥じらいながら、唇の前に人差し指を当てて「内緒」と言って教えてくれなかった。

 でも、僕が最初に書いた部誌に一人称が「僕」で二人称が「あなた」を使う陽キャで少しチャラい女子を書いたことから、もしかしたら、そういうことかも、とは勝手に想像している。




「――なに考えてるの? 早く行くよ。夕」

 声がしてふと視線を上げると――文庫本を手にした月香が僕の顔を不思議そうに覗き込んでいた。

「ごめんごめん。ちょっと寝てた。今行くからちょっと待ってて、月香」

 僕はゆっくりと椅子から立ち上がる。

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救世主 うよに @uyoni

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