EP16 暁色

「ヌエの発する電磁波により、この場の全ての機器類はジャミングの影響を受けます。各位、お気を付けください」


 続けてアカツキは忠告を飛ばした。その言葉にジェノがバイタルモニターを横目で見れば、確かに先程まで見えるようになっていたはずのモニターにはノイズが走っていた。


「あまり離れるとこの場での通信も困難になる! 離れないよう気を付けろ!」


 アカツキの言葉に付け加える様に叫んだのはロイスだ。彼は、特殊騎士部隊に数えられる隊の中でも、特段人数の多い聖騎士隊クルセイダーの隊長を務めている。故に、こういった状況でも冷静であった。


「っ、アカツキ! 無茶を言うが、オペレーションをしつつ援護を頼む!」


「命令の更新を確認しました。これより、緊急オペレーション及び後方援護を開始します」


 スズカの鋭い叫びに、アカツキは是と答えた。そうして彼女は小銃を手にすると、あくまでも全体を見渡せる位置で凛然とそれを構える。


「――三隊長は攻撃を、カデット、黎明隊はそれぞれ援護を優先してください。スズカ様、及びチェシャ様には各自で御判断を願います」


 即座に発砲して牽制。それから続けられた言葉にその場にいる全員が短く返答する。


「バレッタ! 気ぃ引いて!」


 先鋒はミリアだ。同じく時空属性のバレッタは援護の為に追従する。牽制用の投げナイフを掌から生み出して、いくつもヌエへ向けて投擲した。あまりダメージは入っていない様に見えるが、与えられた「気を引く」という役割は十分果たした様だ。ヌエが無機質な目をバレッタへと向ける。隈取りの様な呪力回路が赤く発光した。ぴりと身の毛がよだつ。それは、奴が攻撃を放つ前触れだ。


「……ご苦労さま」


 だが、それが雷撃を放つ前に、宙に現れたミリアが手にした光双刃で斬撃を叩き込んだ。彼女が攻撃を叩き込んだのはその猿面の鼻先。ヌエは大きく顔を逸らして後退。しかし、ミリアの追撃は止まらない。右へ、左へ、はたまた上へ。彼女の移動速度は凄まじい。同じ属性であるバレッタをしても、まるで瞬間移動の様だと言い表す他無かった。


 しかし、ヌエもやられるだけでは終わらない。苛立った様にびょうびょうと怪鳥の様な声で鳴くと、宙に現れたミリアへと強靭な爪を振り下ろした。


「っ、ミリア先輩!」


 思わずバレッタは叫んだ。同じ属性を扱うからこそ分かる。高速の空間から抜けた直後は、奇襲に対応出来ないのだ。やはり、それはミリアも同じ。彼女は光刃を構えたまま、虎の様な爪に切り裂かれて――。


「……え?」


 その姿は、ゆらゆらと揺れて掻き消えた。それはまるで、幻の様に。


「――にゃは、どこ見てんの?」


 再びミリアは姿を現した。それはオニの死角、消えた敵の姿を探している、間抜けなヌエの背後だ。今度こそ、ミリアは振りかぶった光刃を思い切り下ろしてその表皮を切り裂く。ヌエは苛立った様にいなないて、即座に機械化した鋭い尾を振るう。


 けれど、やはり当たらない。ミリアの姿は掻き消える。水面に映る月には触れられない。誰も朧月おぼろづきの姿は捉えられない。まるで幻想。まるで幻覚。月の幻――それこそが、『朧月』ミリア・アイスナーという女の特異呪力だった。


「べー、だ」


 バレッタの前に着地したミリアは、びょうびょうと鳴く化物へと舌を出した。それから驚きに目を丸くしているバレッタに「後退!」と声を掛けて、ミリアは再び姿を消す。我に返ったバレッタも慌ててそれに続いた。


 ヌエはそれを逃がすまいと咆哮し、雷鳴を身に纏う。最初ミリアに邪魔をされた際にある程度のチャージは済んでいたのだろうか、今度は攻撃に移るまでのスピードが先程とは段違いに早かった。横薙に振るわれるかいな。同時に発生するのは雷を纏ったソニックブームだ。


「――そぉい!」


 しかしそれは、ヌエの反対側――つまりミリアとバレッタが後退する側から放たれた雷鳴によって掻き消される。


「おいん攻撃はおはんには効かんらしいが、おはんの攻撃もおいには効かんぞ!」


 二人が退避する先で待ち構えていたのはマツバであった。彼が手にするハンマーが纏っているのは雷。どうやら勇猛たる『神威かむい』が前線に出ていないのは、オニと扱う属性が同じでダメージを与えにくいからの様だ。


「たはは、親子二代揃って自分とおんなじ属性引いてやんの。――行くぜカデット! あいつの気を引くぞ!」


 ドラセナは二人揃って情けないと自虐を含んだ軽口を叩いてから指笛を吹く。それを合図に二人の少年が鉄砲玉の様に飛び出した。オニを挟む様に左右に別れた二人は、まるでじゃれ合う様に攻撃を開始した。


 カイルが斧状態にした斧槌ふづちで斬り裂いて気を引いたと思えば、直ぐにまたクラウディオがソードガンで呪力弾を撃ち込んで気を引く。そうすればまたカイルが気を引いて、二人はあっという間にオニの後ろまで回り込んだ。


「――援護感謝する」


 足元を走り回る少年達に気を取られていたヌエの顔に人影が落ちた。しかしその殺気を気取られたのか、ヌエはまるで蝿でも払うかの様に剛腕を振り抜いて――。


「ふふ、そちらは偽物です」


 氷像は簡単に砕け散った。不敵に笑っているのはシルヴィオ。どうやら、先程のミリアの特異呪力を見て、自身の力を応用したらしい。


「流石はシルヴィオ殿だ」


 今度こそ、本物のロイスが臙脂の髪を翻して飛び上がる。『天寵てんちょう』の本質は、超次元的な力で傷を癒す事では無い。呪力で本来人間が持つ治癒能力を、最大限を超えて引き出させているのだ。故にロイスは、自身の強化などいとも簡単に行う事が出来る。白銀に光る剣で繰り出された刺突。それは、簡単に猿面を穿って、奥に隠された無機質な瞳までをも穿った。


「ッ――――――――!」


 轟く、まるで空気そのものが裂けるかの様な絶叫。片目を失った痛みと苦しみと、それから怒りで化物は我を忘れる。暴れるが如く踏み鳴らす前腕の先もてんでばらばら、全く狙いが定まっていない無差別なもの。


「っ、カイル!」


 しかし、その一方が運悪く、足元の近くにいたカイルの元へ。真っ先に動いたのはドラセナであった。彼は大剣を手にしているとは思えない程の速さでカイルの前に立つと、その手に握った得物で振り下ろされた足を受け止める。


「っ――……!」

「セナの隊長ぉ……!」


 嗚呼、失敗だ――、思わず絶叫したくなる程の痛みが全身を侵食していく。だが、堪えきれずに漏れた苦鳴もカイルの呼び掛けに掻き消された。血が滲んだはずの掌もグローブで隠れている。好都合だ、自分さえ笑えば誤魔化せる。ドラセナは痛みも苦しみも嘘の笑顔に隠して「任せろって」と頼れる隊長を演じた。


「っ、ジェノ君! 気をつけたまえ!」


 運命とは、残酷なものだ。

 ドラセナが弾いた前腕は、ジェノの元へ。


「なっ……!? が、は……ッ」


 クラウディオの呼び掛けも間に合わず、強靭な爪が蒼穹ごとジェノの身体を弾き飛ばす。受け身は取った。致命傷も負っていない。けれど、致命的な事態に陥った。

 倒れ伏したジェノは、ゆらりと立ち上がる。そのかんばせに浮かんでいたのは、確かな笑みで。


 嗚呼、滾る。滾る、滾る、滾る、滾って、滾って――!


「あ――……」

「ペラトナー隊員!」


 間隙。


「――……れ」


 笑い出せなかった、いつもの様に。滾りきらなかった、いつもの様に。踏み出した途端、アカツキの声が聞こえた途端、アヤメの声では無い声が名前を呼んだ途端、世界は急激に冷えていく。知らず知らずのうちに、頭が身体へと枷をかけていく。後に残るのは、真っ白く狭まっていく世界。ちかちかと揺らいだ視界は、オニの姿を捉えられ無かった。真っ白な世界の中、殺気だけが穿ってくる。徐々に徐々に広さを取り戻していく視界の中で見えたのは、こちらを穿たんと伸ばされている鋭い尾で――。


「――――っ!?」


 瞬間、弾き飛ばされる様な衝撃が身体を襲う。不思議と痛みは無い。伸ばされていたのは鋭い尾。穿つ事を目的としていた尾。それに、弾き飛ばされるはずが無くて。倒れた衝撃で詰まった息を詰まらせたまま顔を上げる。


「――ぁ」


 真っ先に目にしたのは、突き飛ばす為に伸ばされた白い手袋をはめた手。揺れる透き通った白金の髪。見慣れたオペレーターの制服を突き破る、鋭く尖った尾。


「……救護対象の、生存を確認。同時に、胴部への激しい損傷を確認。活動の継続は不可と判断」


 淡々と告げるアカツキの声にノイズが混ざった。鋭い尾がゆっくりと抜かれる。支えを失ったアカツキは膝をついて、上体を前のめりに傾かせていく。


 絶望が、後悔が、罪悪感が、ぶくぶく、ぶくぶくと膨れ上がっていく。


「アカツキは、暫くの、間、休眠状態に――……」


 その言葉が終わる前に、宝石の様な瞳が閉じ切られる前に、彼女の上体が地面につく前に、アカツキの身体は、まるで美しい宝珠が割れるが如く煌めく光の破片を散らして掻き消える。後に残ったのは、一つの


「――アカツキッ!」


 消えてしまった存在を呼ぶ声が、悲痛な声が、金切り声が耳を刺して。ぶくぶく、ぶくぶく。膨れ上がった感情が、目の前でぱちんと弾けた。

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