EP14 信号弾の元へ

「……おいおい、こりゃだいぶ不味くねぇかぁ?」


 先を走っていたドラセナは徐々に速度を落とし、やがて歩行の速度になると、背後についてきている人物を振り返った。その顔には珍しく、焦りや困惑に似た表情が浮かんでいる。


「……ですね。無線も繋がりません」


 何故なら、ドラセナの後に続いているのはシルヴィオのみだからだ。彼らの隊の学生達は誰一人として居ない。それに加えて無線も繋がらないという最悪な状況であり、一切連絡を取る事が出来ない為、彼らの無事も確認出来ないのである。


「んー、バレッタはチェシャ博士が回収してたのは見たんだが……ダンス部トリオは無事かねぇ」


「っ……ジェノ君……」


 ドラセナの言葉に、シルヴィオは思わず痛切な表情を浮かべて呟いた。

 シルヴィオにとってジェノもバレッタも家族同然だ。チェシャがついている、という事は、恐らくバレッタの無事は確証されている。それに彼女は、普段から活力に溢れているのだ。簡単に命を落とす様な行動はしないはず。


 だが、ジェノはどうだろう。彼はとりわけ不安定だ。何せ、未だ兄の死から立ち直れていない。シルヴィオは、時折ジェノが生を諦めてしまいそうな昏い目をしている事を知っている。

 だから、不安なのだ。一人になった彼が、簡単に生きるのを諦めてしまわないか、オニと遭遇してヤケになってしまわないかが。


「……まぁまぁ、そんな心配する事は無いって隊長殿。俺の見間違いじゃなきゃ、あの三人は同じ方向へ走ってったはずだぜ? クラウドがいりゃ最悪の事態は免れる。緊急時にあいつにはここの地図を叩き込んどいた!」


「――! そう、でしたか……。皆様、無事だといいのですが……」


 表情に影を落とすシルヴィオを見て、ドラセナは敢えて明るい声をあげた。これでも伊達に遊撃隊の隊長を務めていないのである。遊撃隊の仕事は、隙を突いての攻撃だ。故に、その隊長であるドラセナは周りをよく見ていた。


「それよりも問題は俺達の方だな。困った事に緊急チャンネルにしたって無線も繋がらねぇし、俺は拠点までの帰り方は分からねぇ! だいぶ詰みだな、これ」


 周りをよく見ていたからこそ、自身らが置かれた状況の方が最悪である事に気が付いていた。耳元の無線はノイズが酷く、とても使えたものでは無い。それに加え、頼みの綱であるクラウディオともはぐれてしまっている。これがチェスであれば、チェックメイトというところだ。


「なっ……なんて事を冷静に……!? もう少し考えてみましょう、何か方法があるはずですから……」


 ドラセナの呑気なチェックメイト宣言を聞いたシルヴィオは、先程までの悩みも忘れて目を白黒させた。慌てるシルヴィオを見て、ドラセナは片笑む。


 これが目的だ。きっとシルヴィオは、目の前の問題を優先する。故に、絶望的な状況を指し示してやれば、彼はそちらに集中するだろうと踏んだのである。


「……シルヴィオ隊長殿、この辺りには詳しいか?」


 近くの手頃な岩に腰掛けて、ドラセナは位置が高くなったシルヴィオの顔を見上げる。


「残念ながら……。夜になれば星の位置で大体は把握できるのですが……」


「夜まで待てってか? たはは無理無理、こんな森の中じゃ、夜に動き回る方が危ねぇよ」


「ですよね……」


 しかし、彼の答えも芳しくない。かつては星座鑑賞が趣味であった事から、夜になればあるいは、と返したが、森林の中で夜まで待つのは得策とは言い難い。


「ん〜、こんな事になるならフィドルでも持ってくりゃ良かったなぁ。鳴らしてれば誰か気付いてくれたんじゃね?」


「それは……オニにも気付かれてしまいそうですね」


「たはは、それもそっか」


 まさに八方塞がり。やれやれと肩を竦めて冗談を言うドラセナに、シルヴィオは同じく冗談を返した。ドラセナの呑気に感化されたのか、シルヴィオは微笑む余裕も回復したらしい。


「はぁ、この任務に皇帝先輩でも参加してりゃ合流も楽だったんだがなぁ」


 どうしようも無くなったドラセナは、空を仰いでないものねだりを始める。


「皇帝……アコール隊の隊長様、ですか?」


 彼がねだったのはアコール隊の隊長、『皇帝』フェルディナンドであった。思いもよらぬ言葉に、シルヴィオはアメジストの瞳をぱちぱちと見え隠れさせる。


「そうそう、『皇帝』フェルディナンド・フェルナンデス先輩。あの人なら他人の呪力も拾えるからな」


 ドラセナの口振りは、まるでフェルディナンドと任務に出た事がある様であった。とは言え、彼もナイトの端くれだ。今もこうして応援に呼ばれている事から、これまでもそうだったのだろうと推測出来る。


「そうなのですね……それが、彼の特異呪力という訳でしょうか?」


「いや、あれは副産物って感じだな〜。皇帝先輩の特異呪力は――……」


 不意に、ドラセナの言葉は途切れた。しかし、シルヴィオはその事を全く気にする様子は無い。何故なら、ドラセナが口を噤んだのは小枝を踏む様な音に気が付いたからだ。


「――――……」


 互いに息を潜め、最大限の警戒を見せる。二人の表情に、先程までの呑気は欠片程も残されていない。オニの追跡からは逃れたと思ったが、それはただの思い込みであった可能性もある。


 不意に、耳元のノイズが、別の音と不協和音を奏でた。弾かれた様に耳元へ触れるシルヴィオとドラセナ。自分達は一切動いていない。ならば、無線が拾った音は――。


「――! シルヴィオ殿! ……と、ドラセナか」


 生い茂った木々の向こうから現れたのは、ロイスであった。彼は銀縁の眼鏡の奥の瞳を見開くと、無事で良かったと言わんばかりに頷いた。


「おぉ、こげん所におったんか、二人共!」


 それから、続いて響く大きな声。特徴的なホーゲンは、どう考えてもマツバの物だ。どうやらロイスとマツバは同じ方向へと逃げ果せていたらしい。


「お〜無事で良かったぜ、ロイス先輩に親父殿。……おろ? ミリアは?」


 言葉にせずとも何処か安堵した様な表情を浮かべていたドラセナであったが、不意に三隊長のもう一人が居ない事に気が付いて瞬きをする。彼からすれば、ミリアも妹の様な存在なのだ。


「そいがはぐれてしもてなぁ……。わいどんこそ、他ん隊員はどげんした?」


「それが、こちらもはぐれてしまって……状況から察するに、恐らくアルファ隊も同じ現象に見舞われた、という事ですよね?」


 息子の言葉に首を振ったマツバは、そちらこそ二人だけかと問うてくる。シルヴィオはそれに是と答えながら、情報の共有を優先した。逃げ果せた先で出会った事、はぐれてしまったという証言から、アルファ隊も同じ様な状況へと追い込まれたと察する事が出来る。


「あぁ、楔の起動後、何故か呪力濃度が上がってしまってな……。騎士長の指示で撤退したという訳だ」


 応じたロイスの言葉を聞いて、ドラセナも「やっぱりか」と小さく零した。今頃、オペレーター側は大混乱だろう。ドラセナはアルファ隊のオペレーターを務めていたはずの少女の事を思いやって、静かに心配そうな息を漏らした。


「そいよりも、さっき信号弾が上がっとを見たんじゃ。多分だが、あや騎士長が打ったもんじゃち思うじゃなぁ」


「――! 信号弾か……そりゃ確かに騎士長殿が居そうな雰囲気だな」


 だが、そんな表情も父親の言葉によって霧散した。ぱっといつもの色男然とした顔を上げたドラセナは、マツバの言葉を反芻する様に顎を撫でる。


「あぁ。それで向かう最中に話し声が聞こえてな。隊士の誰かが居るのではと思ってここまで来た所存だ」


 話の続きを請け負ったのはロイスであった。彼が見つめているのは、シルヴィオでは無くドラセナ。恐らく、ドラセナの声が聞こえたのであろう。


 当然である。何せドラセナは、仲間に気付かれれば御の字、オニに気付かれた時は仕方が無いといった考えの元、わざと大きな声を出していたのだ。


「なるほど……助かりました。丁度、セナさんと二人で途方に暮れてたところだったんです」


「そうそう、もう少しで夜まで待つ羽目になるとこだったぜ」


 ドラセナとの交流が浅い所為か、シルヴィオがその事に気が付く事は無かった。けれど、影のヒーローというのはそういう物だ。故に、ドラセナは自身の功績を自慢する訳でも無く、シルヴィオのお茶目に乗っかった。


「……それでは、一先ず動こう。二人共隊長ではあるが、しばらくは私の指示に従っていただけると助かる」


 二人の掛け合いに少しだけ口元を緩めたロイスは、直ぐにまたその表情を引き締めて、再び行動を開始すると宣言する。どうやら、集った四人の隊長の中で臨時隊長を務めるのは彼のようだ。


「アイアイ」

「畏まりました」


 シルヴィオにしろドラセナにしろ、誰かの元に下るなど久しぶりの事である。故に、少しだけ懐かしい気持ちになりながら敬礼と一礼を返すのであった。


◈◈◈◈


 微かに、発砲音の様な音が聞こえた気がした。


「――! 待って、今の音……!」


 気の所為か、とジェノは思ったが、先を行くミリアははっとした様に呟いて、次の瞬間にはその姿が見えなくなる。


「えっ、ちょ……ミリア先輩?」


 焦ったジェノは急停止。当惑した様に何度も瞬きをして辺りを見回すが、それでも彼女の姿は見当たらない。いつまでもそうしていれば、いつの間にか隣に居たカイルが「上ですよ」と木を指さした。誘導される様に上を見上げれば、確かにミリアの着用しているマントの端が、木の枝の隙間から見えていた。


「……信号弾が見えた。多分だけど、あっちにスズカ様が居ると思う」


 しばらくして、ミリアは木の上から軽やかな身のこなしで降りてくる。そんな彼女を見ながら、ジェノは一人バレッタの様だと考えて、それからミリアとバレッタが何やら仲良くなっていた事を思い出した。そんな関係無い事を思っていたので、肝心な報告を聞き逃す。


「はぇ? 信号弾って何ですか?」


 しまったと思ったのだが、ジェノが問い返すよりも先にカイルが首を傾げた為、ジェノも何食わぬ顔でその問いの答えを待つ事にした。カイルが阿呆あほうで助かった――ジェノは心中で隣の阿呆あほうに手を合わせるのであった。


「緊急時に集合する為に放つ物だよ、盟友。大人数が参加する任務では、その任務の指揮官が所有する決まりになっているねぇ。特にナイトでは常用している物だよ」


 そんな阿呆あほう達の問いに答えたのは、少年三人組の中で唯一の賢人であった。盟友達の阿呆具合をよく知っているクラウディオはにこりと笑うと、二人でも分かりやすい様に噛み砕いて説明をする。


「へぇなるほど! 便利な物ですねぇ!」

「え、じゃあお前が知らないのおかしいでしょ」


 ぽんと手を打って納得した様な表情を浮かべるカイルと、ナイトでは常用されている事を知って、カイルが知らないのはおかしいと声をあげるジェノ。ミリアはそんな二人を纏めて冷めた目で見つめていた。


「もういい? 遊んでる暇にゃいんだけど。……こほん、隠者の知識に頼って拠点まで引き返そうと思ってたけど……やっぱやめ。スズカ様が居るにゃらあっち行った方がいい。行くよ」


 やがてミリアは阿呆あほう達の戯れに膨大な量の水を差して無理やり中断させる。二人の少年が慌てて背筋を伸ばしたのを見て小さく息をついてから、彼女は目的地の変更を通達した。


「アイアイ!」

「アイ、マム」

「了解っす」


 やはり返事は揃わない。けれど、そんな事に構っている暇は無い。返事を聞く前に踵を返して走り出していたミリアは、少年三人分の返事を背で受けるのであった。

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