EP13 撤退した先で
走る。土を蹴って、懸命に。決して足を止める事無く、僅かに後ろを振り返る。オニの追跡は無い。もう十分か――否、まだだ。
走る。大地を踏み締めて、懸命に。決して足を止めてはいけないと言い聞かせながら、また僅かに後ろを振り返る。自身以外に隊員の姿は無い。まだ走るか――否、もう十分だ。
「……っ、は……」
木陰に姿を隠して、ジェノは忘れかけていた呼吸を再開する。追っ手が無い事を確認して、無線に触れる――ノイズ。バイタルモニターに触れる――ノイズ。エネミーモニターに触れる――ノイズ。どうやらジェノは単身で、電波の届かない森林の奥地まで入り込んでしまったらしい。
「――――!」
物音。瞬時に息を潜める。手の中の蒼穹を即座に振れる様に構えて、物音のした方へと向けて――。
「――っ! ジェノ君!」
「……! なんだ、クラウドか……」
目に映った見知った金髪に、安堵する。それは向こうも同じようで、クラウディオは緊張した面持ちを僅かに緩めると、ジェノの方へと歩み出した。
「無事で何よりだよ。他に誰か居るかい?」
冷静に行われる、迅速な状況確認。彼の肝の座り方は隊長クラスだ。
「いや、俺だけ。クラウドこそ一人?」
ジェノは口にこそしないが、最初に出会えたのがクラウディオであった事に酷く安堵し、彼の口にした問いを同じく返す。
「僕も居ますよ!」
そうすれば、クラウディオが現れた方向からカイルも姿を現した。自身の置かれている状況に似合わない声量もおまけに付いてくる。クラウディオが咄嗟に口元へ人差し指を当てれば、カイルは「あ」と間の抜けた声を漏らした。
「……他は?」
「――? いいえ、僕だけですよ!」
ジェノはカイルの後続を待っていたが、一向に他の者がその姿を現すことは無い。痺れを切らした様に問えば、疑問符を返したカイルが疑問符を浮かべたまま答えた。
「え……じゃあ今俺達三人だけって事? 嘘でしょ、不安しか無いんだけど……」
それ即ち、この場にいるのはジェノとクラウディオ、そしてカイルという訳で。不安しかない、というのは、オペレーターも無く学生三人である事、それから攻撃を受ければ発動してしまう自身の悪癖に関してだ。
「まぁまぁジェノ君! この僕が居るからには大丈夫ですよ! 大舟に乗ったつもりでいてください!」
「全然泥舟だし」
眉根を
「まぁまぁ二人とも……とにかく、今は合流を――……」
いがみ合い始めた二人を宥めようとクラウディオが口を開いた瞬間、遠くから微かに聞こえてきたのは足音。三人は咄嗟に背を合わせあって、最大限の警戒を見せる。
「そこだ……っ!」
クラウディオが叫んだ瞬間、飛び出してくる人影。
「――――っ!」
剣形態へ変化させられた彼の獲物と、飛び出してきた人影の光刃がぶつかり合って、人影が息を飲む音が聞こえる。
「――あんたら、セナんとこの……」
現れた人影は、クラウディオの武器を押す様にして後退。そうして小さく呟き、
「ミリア隊長!」
「ミリア先輩!」
安堵した声をあげたのは、現れた人影――ミリアの後輩に当たるカデットの二人であった。カイルだけでは無く、クラウディオの顔にまで安心した様な表情が浮かんでいる。いくら彼と言えど心細かったのだろう。
「あとは……」
それから、ミリアの藤色の瞳はジェノの方へ。確かジェノ達とミリアとでは一つしか年齢差が無かったはずだが、無意識の内にジェノは背筋を伸ばしてしまう。
「にゃんだっけ、問題児?」
「っ、
だが、それも数秒。ジェノは聞こえてきた単語に歯噛みすると、相手が総帥直属部隊の隊長である事も忘れて噛み付いた。
「え、そうにゃの? 全然違うじゃん、セナの奴……ホント意味分かんにゃい」
しかし、ミリアがその事に関して触れる事は一切無かった。むしろ、彼女の苛立ちの矛先が向いたのはドラセナの方であった。どうやら、ミリアがジェノの
「ねぇ、アンタらだけ? 多分だけど、撤退したんでしょ? セナか、
一人でドラセナへの恨み言を呟いていたミリアだったが、やがて彼女は首を振るうと、再び藤色の瞳で後輩の三人をじっと見つめる。
「残念ながら。我々も先程合流したばかりでして」
「俺もヴィオさんとはぐれました……」
答えたのはジェノとクラウディオだ。この場に集まったのは、ミリアも入れて学生が四人ばかり。戦力としては不安が残ると、ジェノは下を向いて表情を曇らせる。不安なのだ、何より、シルヴィオとはぐれてしまった事が。
「そ、分かった。……荒業、だっけ。そんにゃ顔しないで平気。ミリ、これでも強いから。……スズカ様とかルネちゃんにも、それは認められてる」
「――――!」
ジェノは思わず俯けた顔を上げる。藤色の、強い瞳が、こちらをしかと穿っていた。彼女が言いたいのはきっと、安心していいという事。息を吞んだジェノに、ミリアは薄く微笑んで、それから全体に視線を移した。
「じゃあ……、とにかく今はミリの指示に従って欲しい。無線のチャンネル、緊急チャンネルに切り替えて」
それから彼女は、凛とした声で指示を飛ばした。そう言うミリアの手は既に耳元の無線へと伸ばされている。
緊急チャンネルというのは、文字通り緊急時に使用される無線チャンネルの事だ。このチャンネルを使用すれば、隊を分ける様な任務の最中であっても別隊の隊員と無線を繋げる事が出来るのである。
「アイ、マム!」
「アイ、マム」
即座に飛んだカデット二人の揃った敬礼。
「っ、了解っす!」
ジェノも遅れて返事をした。その
「負傷者は?」
「いません」
隊長として一つ年下の少年達を預かったミリアは、誰に向けるでもなく問い掛ける。それに間髪入れず答えたのはクラウディオであった。
「ん、分かった。じゃあ……
「イエス、マム。おまかせあれ」
その返答ほ早さから、彼女はクラウディオが三人の中で一番冷静である事を見抜いた。故に
「とにかく無線の届く所まで行けば、ナイトの誰かとは合流出来るようになると思う。――行こ」
クラウディオの返答を聞いたミリアは真剣な表情で一先ずの目標を告げると、踵を返して走り始める。三人の少年達もそれぞれ頷き合うと、臨時隊長の背を追うのであった。
◈◈◈◈
「何故こんな事に……!」
目の前には鬱蒼とした森、背には目を回した少女。遥か遠くには数多のオニの気配。ある程度撒けたと言える距離であるが、それでも油断は許されない。
「吾輩はお守り役じゃないはずなんですがねぇ!?」
思わず叫んだチェシャの声は、どこまでも終わりを見せない木々の隙間に吸い込まれていった。彼が背負っているのは、皆を逃がす為にと本気を出しすぎてしまったバレッタだ。彼女はあろう事か、自身の持てる呪力を全てあの一撃に捧げてしまったのである。
そう言えばあの娘はどうするのだろうかと振り向いたのが運の尽き。無駄に視力が良い所為で落下してくるバレッタの意識が無い事に気が付いてしまったチェシャは、歯噛みしながらも引き返す事を余儀なくされた。
群がってくるオニを片手だけで何とか蹴散らし、落ちてくるバレッタを何とか受け止める。あの時ばかりは、スズカの様な戦闘向きの能力が羨ましくなった。牙を噛み鳴らしながら命からがらオニの包囲網を切り抜けたチェシャは、同じくらいの背丈であるバレッタを難なく背負って駆け出した。
確かに、かつて大型に追われながら、自身より背丈の高いルネともう一人の亡骸を抱えて走った時よりは幾分かましではあった。ましではあったのだが、それでも結果的に
「――――!」
自身の不運に思いを馳せていれば、近くに強大なオニの気配を察知した。思わずたたらを踏みかけたチェシャであったが、それが
「――スズカ!」
急に出たのは開けた場所、この先にいるはずの存在を、顔も確かめないまま呼べば、困った様に佇んでいる姿は弾かれた様に振り返った。
「む、チェシャか!」
思った通り、そこに居たのはスズカであった。チェシャはスズカの前で停止をすると、気を失ったバレッタを地面に降ろす。
「状況は?」
「このガキ以外とははぐれました。お前こそ、お供はアカツキだけですか」
飛んできた質問に答えながら、同じ質問を返す。見たところ、スズカと共に行動をしているのはアカツキのみに見える。
「そうじゃの、三隊長とははぐれてしもうた。アカツキ、無線はどうじゃ?」
「……繋がりません。奥地まで入り込んでしまったと推測されます」
スズカが返した答えは是。今になって無線の状況を確認している辺り、彼女らが息をついたのもついさっきの事なのだろう。スズカもアカツキも涼しい顔をしている為、二人の様子だけでは状況がいまいち読みづらいのである。
「厄介じゃの……。して、その娘はどうした? 何処か負傷でも……」
眉を
「いいえ、ただの呪力欠乏です。バイタルモニターは緊急モードに切り替えたので鳴ってませんが。……ったく、無茶しやがって……吾輩が居なかったらどうなっていた事か」
長ったらしい説明は面倒臭いので省略、重要な事だけを口にすれば、スズカは納得した様な顔付きになる。勿論嫌味は重要だ。故にチェシャは、気を失ったバレッタに向かって牙を剥き出す。
「困ったの、とりあえず儂の呪力結晶を――……」
「殺す気か! 普通に回復錠を寄越しなさい」
その隣で何やら非常識な事を言い始めたスズカへ、チェシャはほぼ反射神経でツッコミを入れた。オニ喰いとは言え、スズカはほとんどオニと同じ特殊な存在だ。そんな彼女の呪力結晶をただの人間に与えるなど、致死量の猛毒を与えると同意義である。
チェシャは「そうじゃった」と間の抜けた顔ではっとしているスズカから回復錠をひったくると、見た目からは想像も出来ない様な握力でそれを砕く。それから水に溶かしたそれを、無言でバレッタの口へと流し込んだ。
「……ぅ、げほっ! ごほ……っ!」
無論、バレッタが咳き込むのも当然の事である。ほどんど無理やりに彼女を覚醒させたのは、迷惑を掛けられた事への仕返しだ。
「あ……あれ? 私……」
思わず起き上がって一頻り噎せた後、バレッタはきょとんとした顔で辺りを見回した。周りを囲んでいるのは見知った顔ではあるが、見慣れない顔ばかりだ。
「おぉ、起きたか! 何処か痛い所は無いかの?」
不安に曇ったバレッタの顔をスズカは心配そうに覗き込んだ。心配事は二つ、彼女の身体的な負傷が無いかと、見慣れぬ者ばかりで不安では無いかだ。まるでスズカとバレッタの表情は鏡写し。だが、バレッタの表情は数回の瞬きの後、はっとした様なものへと変化する。
「あ、え、えっと、大丈夫です! ……あ、あのぉ……もしかして、私……」
それから、途端にバツの悪そうな顔へ。途切れた記憶の最後の部分を思い出したのだろう。申し訳なさそうな琥珀色の瞳はチェシャへと向けられる。そうしてバレッタの目に映ったのは、苦虫を纏めて噛み潰した様な表情のチェシャだ。
「大方お前が想像してる通りですよ……! 吾輩が居なかったらお前死んでましたからね!? もっと考えて行動しなさい!」
ぱちりと、黒曜石の様な瞳と目が合う。瞬間牙をわっと剥いたチェシャは声を荒らげ、無茶をしたバレッタを叱り付ける。
「う……ご、ごめんなさい〜! 助けてくださってありがとうございます……」
「ったく……」
何処からどう考えても、今回正論を放っているのはチェシャの方だ。バレッタは為す術も無く謝る他無い。素直に礼と共に引き下がった為だろうか、チェシャはそれ以上言及してくる事も無く、呆れた様に
「何はともあれ、今はとにかく合流が先じゃ! ……とは言え、入れ違いになってしまっても困るの。――アカツキ、信号弾は?」
チェシャが口を噤んだのを確認したスズカは、集った面々の顔を見回して大きく頷いた。それから直ぐに浮かべたのは思案顔。また直ぐにふっと何かを思い付いた様な表情を浮かべたスズカは、背後で直立不動を貫いていたアカツキへと声をかける。
「……打ち上げる事は可能ですが、森の中ですので三隊長が気が付く可能性は低いと思われます。打ち上げますか?」
数秒の間だけ考え込んだアカツキは、一応是であると答えた。一応と付けたのは、この場所が鬱蒼とした森である事に起因する。
「うむ、そうしてくれ。三隊長には、緊急時には呪力で視力か聴力をあげておいてくれと言ってあるのでな!」
「承知しました。打ち上げます」
それでもいいかと言う問い掛けに、スズカは満面の笑みで頷いた。どうやら彼女は先に策を打っていたようだ。
主の是という答えを聞いたアカツキは小さく首を縦に振ると、腰に取り付けられたホルスターから小銃を取り出した。彼女はそれに信号弾をセットすると、空を仰ぎ、打ち上げに問題が無い事を確認してから放った。まるで花火の様な光が打ち上がる。だが、その光は花火宜しく消えたりしない。
「――さて、儂らは少々待つかの。黎明の娘よ、お主も少々身体を休めるとよいぞ!」
「あ……はいっ! ありがとうございます!」
ぽかんとその花火の様な残光を眺めていたバレッタは、スズカの言葉に慌てて頭を下げるのであった。
次の更新予定
黎明のスレイヤー ―REBOOT― 祇園ナトリ @Na_Gion
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