EP12 バックドア

「アヤメかアリス! アルファはどうなってます!? 間に合う様なら忠告を――……」


 決して手を止めず、振り返る事も無く、チェシャは目の前の石碑から目を離さずに無線の向こうに呼び掛けた。


『アカン! 向こうも始まっとるわ! 百鬼夜行も発生しとる!』


 だが、その呼び掛けは、アヤメの否定する叫びに掻き消された。こちらからでは、アルファ隊の様子は分からない。それでも、ベータ隊が陥っている状況と同じだろう事は予想出来た。


「チッ、間に合いませんでしたか」


 事前に忠告出来れば、と思っていたチェシャは思わず舌を打った。けれど、舌を打つだけに留める。焦る必要は無い。向こうには、スズカがいるから。彼女であれば、どんな状況であっても臨機応変に対応出来る。チェシャは、それを信じていた。


「っ、ジェノ君! なるべく前に出ないように!」

「カイル! あんま前出んなよ!」

「カイル、ジェノ君! 被弾には気を付けたまえ!」


 それから、二人の少年に向けて、三つの声が警告をする。指名する者と言い方が違うだけの、同じ様な忠告が、二人の少年の耳を刺した。


「っ!? わ、分かってますよ!」


 一人はジェノ。被弾すれば、途端に自分と相手だけの世界に入り込んでしまう悪癖を持つ彼と、乱戦状態になる事が確約されている百鬼夜行の相性は最悪だ。勿論、本人もそれをしかと感じ取っている。故に、分かっていると恥じらいを混ぜた声をあげた。


「へへん! ガッテン承知ノスケですよ!」


 もう一人はカイル。彼の丁寧な面は、クラウディオによって成されたコーティングだ。被弾し、怒りを顕にすれば、そのコーティングは簡単に剥がれ、粗暴な面が現れてしまう。だが、本人からすればそちらの面が素。故に大した事とは思っておらず、返す言葉も声の調子も軽薄な物であった。


「何それ……」


 聞いた事の無い返答に、思わずジェノは半眼になる。集中力が僅かに削がれ、意識と興味はカイルの方向へと持っていかれる。


「いいでしょう! ユーマ君に教えてもらいました! ジェノ君も使っていいんですよ!」


 カイルは重たいハンマーを思い切り振り下ろしながら答えた。どうやら元凶は、この場に居ないもう一人の友人の様だ。


「使わない、し!」


 答えるジェノの言葉尻は、目の前の小型の群れに蒼穹そうきゅうを振るった事により上がった。

 小型の矮躯わいくは、蒼穹が纏った風の刃によって細切れに切り裂かれる。だが、すぐに空いた空間は発生し続けるオニによって埋め尽くされた。


「キリが無い……!」


 思わずぼやきが零れた。いくら蒼穹を振れども、いくらオニを呪力結晶に変えようとも、終わりは見えない。ジェノにとっては、初めての百鬼夜行であった。苛立ちと焦燥が、彼の心を炙っていく。


「……っ、完了です! これで――……っ!?」


 そんな最中、チェシャの宣言が高らかに響いた。それは、予想よりも早い、作戦の完了を告げる合図。合図、だが。


 予想に反して、ベータ隊を襲ったのは地鳴りであった。体勢を保てず、思わずふらつく程の揺れ。咄嗟にシルヴィオが銀炎を放った事により、一行は体勢を立て直す時間を得る。


『な……なんや今の揺れ!? 皆無事か!?』


 揺れが襲ったのは、この場所だけでは無いらしい。影響が及んだのは、アヤメ達がオペレーションを行っているベースキャンプさえもだ。


『って、何や!? 呪力濃度が更に上昇しとる……!? これは……アカン! 中型が発生するで!』


 不意に、困惑したアヤメの声が、焦燥を纏う。楔の起動は完了したはず。なのに、周辺の呪力濃度は減少するどころか、爆発的に上昇していく。

 それは、中型が発生する前兆だ。アヤメの警告は、最早叫びに近かった。


「何故……!? 失敗? いや、の知識が間違ってるはずは……」


 陥った状況に、チェシャは一人思考を巡らせる。

 起動の手順は間違えなかった。自分には、間違えようが無かった。ならば、何故か。そも、前提の知識が間違っていたとしたら――否、有り得ない。


 ならば、ならば。


「――ッ! まさか、防御機構か!? 厄介だ……封じられている間も力を蓄え続けていたとは……!」


 バックドアを、仕掛けられたのだ。

 それは、オニ側の成長としか考えられない。つまり、気が遠くなる程昔、この地で無理矢理眠りにつかされたダイタラは、眠りについて尚その身の機械化させ、力を蓄えていたという事になる。

 チェシャはこれから戦う事になるはずの相手を思い浮かべ、声を絞り出して牙を噛み鳴らした。


 そんなチェシャの元に、黒い影が落ちる。


「――! チェシャ博士!」


 ドラセナが叫ぶのと、チェシャが飛び退くのと、影とその持ち主が触れ合うのは同時。上空で身体を捻ったチェシャは、影の主を認めて目を細める。


 ゆらり。熱気がくうを焼いた。遠くの景色が朧気に揺れる。


「シャァ――――――――――――!」


 巨躯が、見開かれた目が、こちらを見下ろして。焔を足に纏わせた大猫が高らかに咆哮をあげた。


「……チッ、カシャですか。面倒な相手ですね」


 オニの咆哮に重ねる様に僅かに漏らした舌打ちは、無線に乗って皆の元へ。同じく獣の様な体勢で着地したチェシャは、現れた化け物を忌々しげに睥睨へいげいする。


『っ、カシャやって!? 確か……燃える四肢を持つ獣型のオニや!』


 遠征任務で使われる簡易装置では、発生したオニの情報を即座に特定出来ない。故に、報告するつもりは無かったチェシャの呟きに、アヤメは驚愕を顕にする。


「弱点は風、炎は効きません! カシャの火力を上回る様でしたら氷も有効です!」


 彼女が弱点を検索するより先に、チェシャは声を張り上げた。いくらアヤメが調査隊の人間であろうとも、オニについての知識量も実戦経験も、チェシャの方が遥かに優れている。


『風と氷……! せやったらジェノ君かヴィオはんや! ヴィオはんならあんな炎くらい、簡単に凍らせられるやろ!?』


 今のアヤメが勝る事。それは、隊員に関しての知識だ。黎明隊とは、幾度と無く任務をこなしてきた。故に、ジェノが数多の属性を扱える事も、シルヴィオが焔でさえを扱う事も、知っている。何より、黎明隊を信頼している。


 だから、躊躇無くその名を呼んだ。


「えぇ、お任せを!」

「俺も行けます!」


 信頼に、信頼が答えた。走り出したシルヴィオの鎌が、銀炎を纏う。駆け出したジェノの蒼穹が、風刃を纏う。


 二人の進軍に気が付いたオニが、身体ごと尾を振るった。瞬間、長い尾にも火がついて、それは火球となって降り注ぐ。


「っ、カシャなら俺の出る場はねぇな……! ……シルヴィオ隊長殿! 俺達は援護を担当する!」


 横にステップを踏んで火球を回避したドラセナは、即座に援護に徹する事を決断する。何故なら、彼の扱う属性は炎。カシャとは、相性が悪いのだ。


「畏まりました!」


 無線越しに作戦の要を任されたシルヴィオは、真っ直ぐと巨躯を見据えたまま返答。まだ、焔は振るわれない。


「カイル、クラウド! 黎明隊を援護しろ!」


 何も属性を纏わせないままに駆け出したドラセナは、部隊の二人へと指示を出す。具体的な内容は無い。けれど、ドラセナが言いたい事はたった一つ。


 ――


「いえっさー!」

「アイ、サー!」


 命令を受け取った二人は高らかに返事をした。銃禁止令が出されているカイルはそのままに、クラウディオは手にした得物のソードガンをガンモードに切り替えて、思い思いの援護をする為に駆け出す。


 カイルの姿が見えた瞬間、ジェノは減速。黎明隊程では無いが、カイルとは何度も一緒に任務へ出ている。故に、ある程度彼の戦い方は理解しているつもりだ。


「アックスモード!」


 眼鏡の奥の瞳をギラつかせたカイルが叫べば、それに呼応して彼の手の中のハンマーは大振りの斧へと姿を変える。厳密に言えば、ハンマーの平の部分から、斧刃が生えただけ。勿論変形させるのに叫ぶ必要も無い。


 挑発的な笑みを浮かべるカイルは、その場に踏ん張り一回転。ジェノの進路を塞ごうとしていた小型は、一瞬でその身を結晶に変える。


「ジェノ君! 貸しですよ!」


「じゃあこの前課題見せてやった事チャラにしてあげるよ」


 開けた活路。斧を構えて満足顔の友人の横を通り過ぎながら、軽口の応酬。ジェノは右斜め後ろで蒼穹を構えて、突進突きの体勢へ。思い切り呪力を流して、唸る風を纏わせる。


 土を蹴った。同時に槍を前へ突き出して、スライディング。上手く燃え盛る脚の隙間に潜り込んだ。纏わせた風刃を四方へ飛ばしながら、蒼穹を振り上げる。がら空きの腹へ直撃だ。馬が嘶く様に、中型の巨躯が持ち上がる。


「ヴィオさん!」


 叫びながら、嘶く中型に潰されない様に蒼穹を起点にしてバックフリップ。十分退避してから振り仰げば、同時に長身が飛んだのが見えた。


「――安らかにお眠りなさい」


 宙に舞うシルヴィオの獲物が、銀炎を纏ぅた大鎌が、命を刈り取る様に振り下ろされた。中型の巨躯はたちまち銀炎へと包まれる。銀炎は、瞬時に銀嶺へと姿を変えた。


「ジャァ――……!」


 断末魔は、銀嶺に飲み込まれた。途端降り注ぐ呪力の弾丸。それに触れた氷塊が次第にヒビを纏い、霧散。氷の破片と呪力結晶が日を浴びて、まるでダイヤモンドダストの様に煌めきながら降り注いだ。


『中型、沈黙! 他に中型の気配は――……っ!?』


 響くアヤメの勝利宣言。だが、その言葉尻は突如発生した地鳴りに飲み込まれる。地鳴りの規模は先程体感した物と全く同じ。


「っ、不味い! スズカ達も楔を起動させた様です!」


 つまる所、現在ベータ隊が体験した事態の再演という事で。バックドアが仕組まれているのは、目の前の楔だけだったとは限らない。と言うより、その可能性の方が少ないだろう。


『アカン! 呪力濃度がどんどん上昇してく……このままやとジリ貧や! 撤退した方がええで!』


 チェシャの予想通り、場の呪力濃度は上昇の一途を辿る。焦る無線機越しの声は撤退を促すが、現状すっかりオニの群れに囲まれてしまっている訳で。


「撤退って、言っても……っ!」


 中型やネームドは発生していないものの、この群れの中から逃げ遂せるなど、到底無理な話だろう。ジェノは蒼穹を振り回しながら、焦燥が滲んだ声をあげる。


「――私が退路を開きますっ!」


 そんな中、無線に響いたソプラノボイス。声がしたのは遥か上空。呆気にとられたジェノが空を見仰げば、既に腕をクロスさせたバレッタの姿が目に入った。


「はぁぁぁああぁああぁああああッ!」


 力の籠った叫び声。それに呼応する様に、彼女の腕の間へ光刃が生成されていく。


「――総員、生き延びなさい!」


 光がオニを薙ぎ払うと同時に、チェシャの号令が隊員の足を動かした。

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