EP11 『御伽噺』

「これが楔……ですか?」


 バレッタが楔、と聞いて思い浮かべていた物は、まさに杭の様なものであった。それが故に、想像と全く違っている石碑が気になって、恐る恐る手を伸ばす。


「っ、触るな!」


 それを即座に弾いて制したのはチェシャであった。彼の声には焦りが滲んでいる。


「ひゃっ!? ご、ごめんなさい!」


 予期せぬ出来事に、バレッタは身を竦ませて手を引っ込め、反射的に謝罪を口にする。弾かれた手に触れながら謝る彼女の顔に浮かんでいるのは、勿論驚愕の表情であった。


「……いえ、吾輩こそ失礼。でも触るなよガキ共……! 見た所、これは楔の操作盤の様ですから」


 その表情を認めたチェシャは、こちらこそ怖がらせて悪かったと素直に口にする。だか、彼は即座に振り返ると、明らかにジェノとカイルがいる方向を指さして牙を剥いた。

 指をさされた二人は、互いにお前だと小突き合う。そんな事をしているが、好奇心を顕にした二人が石碑の方へと近付いていた事は紛れも無い事実である。


「楔の起動は、決められた手順で行わなければなりません。それに、始めてしまったら手を止める事も間違える事も許されない。一度でも失敗してしまえばお終いだ。……だから触らないで貰えると」


 それからチェシャは牙を噛み鳴らして威嚇する様に警告した。その警告に、自身が取り返しのつかない事をしようとしていた事に気が付き、バレッタは思わず後ずさり。彼女の顔に浮かんだ表情は、驚愕から恐怖へと変化していた。


「えぇっ!? チェシャの博士責任重大じゃないですかぁ! 大丈夫ですか!? 緊張してませんか!?」


 だが、それを聞いても尚カイルは引かない。大変だと言いながらチェシャに詰め寄り、彼の眼前で大袈裟に騒ぎ始める。心配する気持ちは分かるが、カイルの距離感は人のそれよりかなり近い。現にカイルの顔はチェシャの目と鼻の先だ。


「えぇい寄るなガキ! 吾輩なら平気です。……ったく、長い年月を生きたオニが、身体の一部を機械に変える事は知っていますね?」


 故にチェシャは声を荒らげてカイルを押し返し、彼の背後に立っていた保護者であるクラウディオへと引き渡す。それから、ため息と共に鬱陶しいという感情を吐き出すと、何故かオニの生態について話し始めた。


 機械化――それは、長い間生きながらえたオニ、特にネームドのオニが起こす現象だ。機械化を起こしたオニは格段に強さを増す。未だ観測された事は無いが、完全に機械化してしまったオニは手に負えないだろうと考察されている程だ。


 機械化自体はよく発生する事象である為、オーミーンの隊士であれば知っていて当然の事柄だ。全員は怪訝な表情のまま、チェシャの言葉に頷いてみせる。


「それは、吾輩達オニ喰いも同じだ。吾輩の場合、機械化したのは――……」


 チェシャは言葉を切って緩やかに手を持ち上げる。全員の視線が、彼の手の軌道を追い掛けた。


「脳だ」


 やがて、長い袖から現れた細い指がさしたのは、チェシャ自身の頭。


「吾輩の脳は、言わばデータベースなんです。。なので、まず吾輩であれば操作に失敗する事はありません。その点は安心して頂けると」


 その、頭の中身は機械である。それも、高性能の。そう明かされ、静かに話を聞いていた面々は息を飲んだ。


 オニ喰いという存在はオーミーンの中でも有名であるが、その生態は謎に包まれたまま。人の形を保ったオニと言うべきか、オニの力を手にした人と言うべきか、それさえもただの人間には判断できない。

 けれど、彼らがオニの強大な力の他に、人類の叡智でさえも持ち合わせているとしたら。それは、全ての生き物の頂点に立つ事が出来る程の存在という事だ。


 まさに『御伽噺おとぎばなし』。それが、目の前のチェシャという存在であった。


「……なら、向こうもチェシャさんが起動した方が良かったんじゃないすか?」


 永遠とも感じられた、僅かな時間の沈黙。それを破ったのはジェノであった。少年は御伽噺に臆さない。ただただ、降って湧いた疑問を口にするのみだ。


「まぁそれは吾輩も提言しましたが……スズカはまだしも、アカツキがいるので平気だと、本人達が」


 ふっと、チェシャの雰囲気がいつもの様に戻る。つまり、大きな黒曜石の様な瞳を半分程に伏せ、苦虫を纏めて何匹も同時に噛み潰した様な表情を見せたのだ。


「……とにかく、今は目の前の事に集中しましょう。今から起動を始めますが……先程も言った通り、吾輩は動けなくなる。それに、大昔の装置を弄る訳だ。何が起きても不思議じゃない」


 その表情を浮かべている時間は短かった。チェシャは一度完全に目を閉じきると、すぐ様その目を開ける。そこに宿っていたのは、皆に伝播する程の真剣さ。学生の面々は緊張した様に息をのみ、二人の隊長は剣呑な表情で首を縦に振った。


「いいですか、何かあったらまず吾輩を守るんですよ!? 吾輩が死んだら恐らくお前達も死にますからね!?」


 そして、その表情を浮かべている時間も短かった。チェシャはくわっと目を見開き、小さな口を大きく開けると、先程までと打って変わって情けない様子で訴えた。緊張した空気は一瞬で掻き消える。


「っ、はは! アイアイ、任せとけってチェシャ博士〜ぃ」


 答えたのは思わず吹き出したドラセナだ。彼は癖となっているウインクを飛ばすと、大剣を持たぬ方の手でバシバシとチェシャの肩を叩いて見せた。


「不安だ……」


 チェシャはただ目を伏せ、諦めた様にそう呟く他無い。ドラセナの実力は知っている。ただ、彼の軽薄さ故の不信感が、少しばかり信頼感を上回っているだけだ。


「はぁ……じゃあ始めますから、下がっててください。何が起こるか分かりませんし……」


 それから、しっしっと群がっていた全員を下げると、チェシャは文字が浮かんでは消える石碑へと向き合う。それに浮かぶ文字は全て旧文明語だ。凝視すれど、ジェノに意味が分かる訳では無い。


「――――……」


 珍しく袖を捲ったチェシャの指が、石碑へと触れた。まるで波紋の様に文字が揺れ、浮かぶ文字の色相が変化する。青から赤へ――それは、オニが怒りを顕にした時に見せる、呪力回路の動きと同じで。


「……チッ、やっぱりなァ」


 チェシャは苛立った様に舌を打った。

 何か、問題だろうか。


『――っ! ベータ、気ぃ付けぇ! 急激な呪力濃度の上昇……百鬼夜行や!』


 誰しもがそう思った途端、アヤメの叫びが鼓膜を打つ。一斉に走る動揺、だがそれもすぐ様臨戦態勢へと変化していく。


「いいですかお前達! 兎にも角にも吾輩を守りなさい! 吾輩の手が止まればこの作戦はお終いだ!」


 声を荒らげ、自身を守れと命じるチェシャ。だが、そこに先程の様な情けなさは無かった。全ては作戦の為。彼の声にはそんな思いが滲んでいた。


『了解!』

『アイ、サー!』


 黎明隊の、カデット遊撃隊の、揃った返事が返される。皆が武器を構えるのと、一斉に歪みが発生するのは同時。

 わっとチェシャへと群がろうとした小型を、各々の武器で排除した。小型は、断面から氷雪を生やす。吹き荒れる風を纏った蒼に切り裂かれる。時空の歪みから切り飛ばされる。燃ゆる豪炎に灰燼と帰す。大振りな質量に叩き潰される。音もせず発砲された呪力弾に撃ち抜かれる。


「黎明隊、作戦を開始致します!」

「行くぜカデット! 遊撃隊の実力を見せてやれ!」


 二人の隊長が吼えた。呼応する様に、戦士達が駆け出す。


 ――開戦。作戦を、未来を死守せよ。

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