EP10 楔を探せ

「せーんぱいっ! たいちょーっ! おはようございます!」


 翌朝、眠たげに目を開閉させるジェノへと、元気はつらつな声を浴びせたのはバレッタだ。こちらはジェノとは違い、いつもの様に元気満タンである。


「ん、はよっす……ふぁ」


 ジェノはゆるゆるとバレッタに視線を向けると、寝起きの掠れ気味の声で挨拶を返した。だが、その言葉尻は堪えきれなかった欠伸にかき消される。


「先輩……なんだか眠そうですね?」


 そんなジェノを見て、バレッタはきょとんと琥珀色をまたたかせた。ひょっとして、枕が変わると眠れないタイプなのだろうか、などとこっそり思いを巡らせる。


「うん……まぁ、ちょっと昨日の夜は騒がしくて……」


 まだ睡魔と戦っているのか、ジェノの反応は芳しくない。何処か受け答えも幼く、綺麗な青空もいつもの半分程しか見えていないくらいだ。


「……? お疲れ様です……?」


 彼の言う「」が何の事か分からず、バレッタは首を傾げたまま疑問符の労いを返す他無い。そうしている内に、ジェノはぎゅっと目を瞑ってから、気合いで目を開いていた。


「……あれ、どうしたんすか。その爪」


 その視線は自然と、軽く握られたバレッタの手へ。漠然と、違和感を覚えたからだ。その証拠に、彼女の両手の爪は銀色に彩られている。


「あっ気付きました!? これ、ミリア先輩にやって貰ったんです!」


「へぇ……凄いっすね」


 気付いて貰えた事が余程嬉しかったのか、バレッタは先程までと声の調子をワントーン上げると、琥珀を煌めかせながら銀色に光る爪をジェノへと見せつけた。語彙力の乏しいジェノはただそれをまじまじと見ながら、在り来りな感想を告げる事しか出来ない。


「――皆様、スズカ様の御到着です。直ちに整列する事を推奨します」


 そうしていれば、不意にアカツキの凛とした声が空気を裂いた。二人が驚きに肩を震わせてから声のした方向へ顔を向ければ、背筋を伸ばして立つアカツキの後ろからスズカが歩いて来ているのが見えた。

 アカツキの一声でざわついていた場は一瞬で静まり返り、昨日と同じ様に瞬時に列が成されていく。


「おはよう、皆の者! 昨夜は良く眠れたかの? それでは、本日よりダイダラ捜索任務改め、楔捜索任務を開始する!」


 アカツキの恭しい礼を片手で制したスズカは、堂々と胸を張って任務の開始を宣言する。彼女の言葉に、黎明隊は揃った敬礼を、特殊騎士部隊は「アイ、マム」と揃った返事を返した。


「先日も言った通り、ナイト三隊長は儂と、カデット、黎明隊はチェシャと共に行動する様に! それぞれ揃ったら行動開始じゃ、健闘を祈るぞ!」


 そう言うと、スズカはマントを翻して歩き始めた。彼女の後に、アカツキ、それからナイト三隊長が続いていく。いよいよ、任務の開始だ。ジェノは一人、緊張を空気と共に飲み下した。



 それから、アリスと話し込んでいたチェシャが合流したのは数分後の事であった。勿論、黎明隊もカデット遊撃隊も既に揃っていた為、彼が最後だ。


「はぁ……何故吾輩がこんな奴らの子守りを……」


 だがチェシャは悪びれる様子も無く、むしろ心底面倒臭そうに吐き捨てる。その黒曜石の様な瞳が貫いているのはドラセナの顔。


「よろしく頼むぜ〜ぃ、チェシャ博士〜」


「うぜぇ……」


 そんな彼と目が合ったらしいドラセナは得意のウインク。最早煽りとも取れるその行為に、チェシャは目を閉じ、苦虫を噛み潰した様な顔になってぼやきを漏らした。


「……とにかく、さっさと捜索を始めますよ。まぁ捜索と言っても、大体の検討はついていますがね。なので先頭は吾輩が、殿しんがりは……『銀嶺ぎんれい』、お願いします。その他は互いが見える範囲で散らばり、を探して下さい」


 チェシャはかぶりを振るうと、詳しい指示を出し始める。どうやら、ある程度の場所は割れているらしい。指名を受けたシルヴィオは恭しく頭を下げた。


「報告は適宜行いなさい。遺跡の一部でもいいですから、何か発見次第報告する様に」


 そう指示する姿はまるで引率の先生の様。この釘を刺した所為で、しばらく目に映る全てを報告するカイルからの通信が鳴り止まなくなる事を、まだこの時の彼は知らない。


「アイアイ」

「いえっさー!」

「アイ、サーなのだよ」


 カデットからのチェシャへの返答はてんでバラバラ。スズカに返した揃った返事がまるで奇跡の様だ。


「何故吾輩の時は揃わないんですか……」


 チェシャは鋭い牙を剥き出し、小さく唸る。スズカとの扱いの差に納得がいっていないらしい。釈然としない彼の表情に、思わず笑いが起こる。緊張が解れていった。


「……あらやだ、あなた達まだ出撃してなかったの? もう、早く行って頂戴な」


 しばらく笑って、談笑を続けていれば、通りがかったアリスに驚愕される。そうして彼女に追い出される様に、一行は出撃するのであった。


◈◈◈◈


 鬱蒼とした森。あまり周りに気を取られすぎていると、足を木の根に取られて転びそうになる。けれど、足元に集中しすぎると周りが見えなくなる。集中力の配分が何とも難しい状況だ。


 不意に、木々で注視すべき視界が埋められてしまった為、ジェノは前を行くチェシャにそっと目を向ける。

 彼は長くひらひらとした、まさに裾を踏みそうなボトムスを纏っているのに、裾にも木の根にも足を取られることなくスイスイと進んで行く。見るからに不健康そうであるのに、身体能力は高い様だ。やはり彼は、研究員であると言っても列記としたオニ喰いであるらしい。


「……ジェノ君ジェノ君、勝負しましょう! 先に見つけた方が勝ちです!」


 と、ぼんやりとチェシャを観察していれば、自身の前を陣取っていたはずのカイルがいつの間にか傍に居た。彼は眼鏡の奥の臙脂を煌めかせ、いつもの様に勝負を持ち掛けてくる。だが、今は普段三人で出ている様な任務とは違うのだ。


「はぁ……? 言ってる場合?」


 故に冷えた目で抗議するが、その程度でカイルは引き下がらない。


「ちょっとくらい良いじゃないですかぁ! 周り木ばっかでつまんないんですよ!」


「まぁ……それは分からない事もないけど……」


 あまりにも共感出来るカイルの言葉で、ジェノの心構えはぐらりと揺らいだ。ジェノ自身がこの状況に飽きてきているのも事実だ。しなくてもいい葛藤がジェノを襲った。


「……あの、クラウド先輩。ジェノ先輩って、お二人と居る時いつもあんな感じなんですか?」


 そんな無駄な葛藤をしている先輩を、六角形に近い陣形の対岸からバレッタは見ていた。彼女は何を思ったのか速度を上げて、目の前を進んでいくクラウディオへと追い付いて、こそこそと声を掛ける。

 思わず気になってしまったのだ。自分の知らない先輩の一面が。


「む? あぁ……そうだよ。……もしや、黎明隊での彼は違うのかな?」


 けれど親友クラウディオから見たジェノはいつも通り。むしろ、普段より静かなくらいだ。クラウディオは友人が大人しい理由を何となく察していた。彼の家族が――黎明隊が、共にいるからだろう。

 ジェノから見たバレッタは、恐らく妹。故に、クラウディオは柔和な笑みを浮かべて会話を続ける事を選んだ。まさに、友人の妹へ話し掛ける様に。


「は、はい……黎明隊うちに居る時の先輩、なんかこう、もうちょっと……猫っぽい? ん、ですよね……。ほら、シルヴィオ隊長に懐いてる猫ちゃん!」


「ねこちゃん」


 復唱。どうやら予想とは違い、彼女は親友の妹ではなく飼い主であった様だ。前の方で、誰かが吹き出した様な気がした。


『っ、こらこらお前らぁ、任務中だぞ~』


 途端、耳を刺すドラセナの声。無線越しの彼の言葉は、何処か笑いを堪えた様に震えている。


「うわぁ!? ジェノ君です!」

「はぁ!? カイルですけど!?」

「ははは、申し訳ない!」

「ひゃぁっ!? す、すいません!」


 四つの声が重なる。二つは押し付け合いで、残りの二つは謝罪だ。その内三つの声は驚きから、ドラセナの声が揺れている事に気が付いていない。


『なはは、こんだけおるとホンマにいつもの倍賑やかやなぁ〜』


 続けて、無線が音を鳴らす。無線越しのざらついた声は、黎明隊からすれば聞き馴染んだ物だ。


「……! アヤメさんっ!」


 久方振りの、の声に、バレッタは跳ねた声をあげる。彼女のかんばせはわっと輝いた。


『はいはい、アヤメさんやで〜。こっちの……ベータ組のオペレーションはウチが担当させてもらうわ。向こうのアルファにはアカツキ室長おるし、ロザリーも見とるから平気やろ』


 無線の向こうのアヤメは、バレッタを軽くあやしていなすと、この一時いっときだけはオペレーターの仕事も行うと告げた。どうやら、いつの間にか各グループにアルファ、ベータと言う命名が行われたらしい。


「……アカツキさんって、戦えるんすかね」


 ふとジェノの中に疑問が思い浮かぶ。浮かんだ疑問はジェノの中に留まる事を知らず、独り言の様に溢れてしまう。


『あぁ、戦えますよ。一人で小型のネームドを片付けられるくらいには。何せアイツ、スズカの護衛でしたからね』


「っ!? そ、そうなんすね」


 その独り言の疑問は、無線に乗って全員に届いていたらしい。ジェノは勿論、口にしていた事すら知らない為、まるでチェシャが心を読んだかに思えて肩を震わせて驚いた。


『――あらチェシャ、そろそろ反応が近いわよぉ。皆も気を付けて頂戴ねぇ』


 そんな最中、のんびりとした声が無線に乗った。聞こえてきたのは、ジェノにとってはようやく聞き慣れ始めた声。


「あっ、アリス先生!」

「ゲッ、アリス……」


 約二名にとっては、聞き慣れた声。バレッタとチェシャがあげた声は対称的であった。


『うふふ、私はオペレーションは出来ないけれど、全体の状況伝達を担当するわねぇ。スズばぁも聞こえてる? ……うん、大丈夫そうねぇ。じゃあ、引き続き頑張って頂戴ね!』


 どうやらアリスはアルファ、ベータに関係無く無線を繋いでいるらしい。こちらには居ないスズカへ呼び掛け、こちらからは聞こえない応答に満足そうに頷く。それから彼女は激励を飛ばし、それ以上会話を続ける事は無かった。


 反応が近い。その言葉に、ベータの進む速度は急激に低下した。歩く速度で、何も見逃さない様に。緊張感も格段に増した。最早カイルも、競走だなんだと言い出さない。


『――! チェシャ博士、ビンゴだ』


 不意に、ドラセナの緊張した声が無線を震わせた。彼の報告に、誰もが立ち止まる。誰もがドラセナの方向へと顔を向ける。


『……ハッ、ドラセナの癖にやりますね』


 最初に動いたのはチェシャであった。彼は機敏な動きで土を蹴ると、ドラセナの方へと駆け出す。報告に気を取られていた面々も、チェシャが地面を蹴る音にハッとしてその後に続いた。


「これは……」


 結果、ジェノの隣に並ぶ事になったシルヴィオが、思わずといった様子で呟いた。ジェノも同じ気持ちであった。

 眼前に広がる、古代文明と呼ばれるべき建造物。遺跡の上部だけを切り取った様な台座。乳白色の石材の至る所に呪力回路が走り、淡い水色を輝かせている。

 そして、その中央には、まるで墓標の様に数多の文字が浮かんでは消える物々しい石碑が、静かに、ただ静かに鎮座していた。

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