EP09 ウィスキー・ジグ

「俺、よく考えたら遠征任務って初めてっす」


 夜、テント内に用意された椅子に、背もたれを前にして腰掛けながら、何の脈絡も無く呟いたのはジェノであった。


「まぁ、そこまで頻度の高い任務ではありませんからね……私でも、前に一度だけ経験があるくらいです」


 この場にいるのは、ジェノの他にシルヴィオだけ。彼は優しい微笑みを作ると、宿舎に居る時と変わらずジェノへと言葉を返した。


「へぇ、ヴィオさんでもそんな感じなんすね」


 これでは、普段の生活と何ら変わらない。ナイト三隊長であるロイスとマツバが居ない事は頷けるのだが、一体カデットの面々は何処へ消えたのだろうか。


「――おや! ジェノ君とシルヴィオの隊長さん! こんな所に居たんですねぇ! 準備出来ましたよ、早く早く!」


 と、そこへカイルとその大声がテントへと転がり込んでくる。彼は中でくつろぐ二人の姿を認めると、パァっと目を輝かせて宣言する。


「はぁ……? 準備って何の……」


「いいから早く!」


 唐突な事にジェノは怪訝そうな表情になったが、カイルは全く気にしない。ジェノと、それから同じくきょとんとしているシルヴィオの腕を掴むと、嬉々としてテントを後にするのであった。



「な……」


 ジェノは思わず言葉を失った。目の前には、楽しそうに談笑しながら焚き火を囲むクラウディオとドラセナ。それから何故か満足顔で胸を張るカイル。彼らの傍には、飲み物と食事が用意されていて。


 まさに、それは宴だ。


「何してんすか!?」


 ようやく状況を飲み込んだジェノは叫んだ。話し込んでいたクラウディオとドラセナの視線がそちらへと向けられる。


「お〜問題児、遅かったじゃねぇか。待ってたぜ〜」


「っ、ジェノっすよ! いやだから何してんすか!?」


 キザったらしいウインクと、失礼な二つ名が飛んできて、ジェノは苛立ちと共に吠える。状況は飲み込めても、理解は出来ない。一体、彼らは何をしていると言うのだ。


「ん? どうも何も……どっからどう見ても宴だろ?」


「えぇと……そう言うのは全てが終わってからするのでは……?」


 悪びれる事も無く、きょとんとした表情で答えたドラセナに、シルヴィオは苦笑いを返した。やはり、彼らはこの場で宴を開いているらしい。


「ははっ、分かってねぇなぁ銀嶺殿〜。騎士長殿は英気を養っとけって言ってたろ? 俺はそれに従ってるまでよ」


「な、成程……?」


「流されないで下さいよヴィオさん! どう考えてもおかしいでしょ!?」


 ドラセナは再びウインク。最もらしい言い方をされた謎の理論にシルヴィオは納得しそうになるが、ジェノはそれを許さない。顎に手を当てるシルヴィオを揺さぶると、焚き火を指差しながらキャンキャンと吠え続ける。


「まぁまぁ盟友よ、少し楽しむくらい問題無いとクラウドは思うのだよ。やる気の向上にも繋がるだろうしね」


 それを窘めたのはクラウディオだ。彼はのほほんと笑うと、士気を上げるには間違っていないだろうと口にした。


「いやそうは言ったって……って、何持ってんのクラウド」


 ジェノは渋るが、確かにクラウディオの言い分は最もだ。だが、ジェノはその笑うクラウディオの両手に収まる物を認めてしまい、思わず問うてしまう。


「む? これかい? これはアイリッシュ・フルートという楽器で――……」


 そう言うとクラウディオは手にしていた物をジェノへ見せる様に掲げた。それは、木製の横笛であった。


「は!? 何で楽器!?」


 それを認めた瞬間、再度ジェノはクラウディオの言葉を遮りながら声を荒らげた。勝手に宴を開いているだけではなく、どうやら楽器の演奏までしているらしい。


「おいおい、宴に音楽は付き物だろ?」


「っ、よく見たらセナさんも……! バイオリンでしたっけ、それ……」


 最早ジェノは呆れる他無かった。ケラケラと笑い声を上げるドラセナの手に握られていたのは、確かバイオリンと呼ばれる楽器のはずだ。


「いいや、こいつは俺の愛用フィドルちゃんよ。まっ、ちゃんと弾きゃバイオリンって呼ばれる事もあるけどな〜」


 ドラセナは半眼になっているジェノの認識を正した。どうやら、彼の手にしている楽器はバイオリンではあるが、この場ではそう呼ばないらしい。


「僕はタンバリンですよ! ほら!」


「いや、聞いてないし……」


 すっかり黙ってしまったジェノへと、カイルが置いてあったタンバリンを持ち上げて自慢する。最早、誰が何を演奏していようと関係ない。ジェノはただただ呆れるばかりだ。


「……ま、とにかく座った座った! 俺達の伝統――ウィスキー・ジグをいっちょ披露してやろうじゃないの」


 いつの間にか立ち上がり、傍に来ていたらしいドラセナがバシバシと何も持たない方の手でジェノの肩を叩く。彼の口振りから、彼らはこの場で演奏する気満々の様である事を察した。その曲名に聞き覚えは無いが、言い方からするにカデットに受け継がれてきた曲なのだろう。


「いらない……」


 ドラセナが張り切り始めたのを察して、げんなりした顔でジェノは呟く。最早今のジェノに、敬語で取り繕う気力も無かった。目を軽く伏せ、眉をひそめて首を振るその顔には、色濃く疲弊の感情が現れていた。


「まぁジェノ君……そう言わずに、一曲だけ聞いてみませんか?」


「え」


 思わぬ伏兵に、一旦絶句。開けた視界の目の前で、シルヴィオが微笑んでいた。それから、仕方なく一旦熟考。シルヴィオは心優しいが故に、少々流されやすい節がある。


「……ヴィオさんが、そう言うなら」


 だが、そんなシルヴィオを慕っているジェノも、シルヴィオに限っては流されやすかった。渋々の返答を聞いたドラセナは口の端をニヤッと上げて高らかに宣言する。


「よ〜し、役者は揃った! 始めんぞお前ら!」


 ドラセナはそう言うと、意気揚々とフィドルを構えた。思ったよりも様になっている、と思わず考えてしまったジェノは、慌てて頭を振るう。


「――――……」


 クラウディオが息を吸った。それに合わせて、陽気な音楽が始まる。何処か民族的で、聞いていると楽しくなる曲だ。

 忙しなく指を動かすクラウディオと、キザったらしくウインクをしながらフィドルを掻き鳴らすドラセナ。それから、誰よりもノリに乗っているカイル。

 思わず、この場が任務開始前の野営地である事も忘れそうになる。


 きっと、この曲はカデットに伝わる伝統的な曲なのだろう。意外にも、ドラセナの演奏はそれ程に澱みない。入隊してまだそれ程経っていないだろうクラウディオがついていけているのは、恐らく彼の素の技量が凄まじいから。流石はカイゼル家の嫡男だ。


 音楽は流れていく。何度も同じ旋律を繰り返したり、時折変則的なリズムになったり。まるでじゃれ合う様にして、音は紡がれていく。


「……すご」


 思っていたよりも数段クオリティの高い演奏だ。呆然とジェノが呟いた瞬間、クラウディオが奏する笛が高らかに旋律を奏でて、陽気な音楽は終わりを迎えた。


「でっしょう!? セナの隊長は凄いんですから!」


 ジェノの呟きは、彼自身が思っていたよりも大きな声になっていたらしい。微かな賞賛を聞き取ったカイルは、誰よりも誇らしげに胸を張った。

 鬱陶しいと邪険にしそうになったが、カイルの言う事も最もである。悔しいが、ジェノはそれ程までにカデット隊の演奏に感銘を受けていた。


「折角だ、ジェノ君もシルヴィオ隊長殿も一緒にどうかな? 楽器なら、クラウドの私物を沢山持ち込んでるからね!」


 アイリッシュ・フルートを膝の上に下ろしたクラウディオは、ふっと微笑んで共に演奏する事を持ち掛ける。二人のかんばせが、演奏前よりも輝いている事をしかと確認したからだ。


「いやなんも出来ないから……。って言うかクラウドの私物なのそれ……?」


「ははは」


 けれど生憎、オアシス出身の、いわば平民の様な立場であるジェノに、楽器が演奏出来るはずも無い。それよりもジェノは、友人が吐いた聞き捨てならない言葉に反応する。だが、クラウディオから返ってきたのは誤魔化す様な乾いた笑いであった。


「お誘いは嬉しいのですが、私も皆さんと合わせる様な技量は持ち合わせてませんね……」


 ジェノの隣で、申し訳なさそうに頬を掻くシルヴィオも誘いを断った。彼の口振りから、何ら楽器の演奏は出来る様だが、カデットが奏でる音楽にはついていけないらしい事を察する。


「む、そうか……ならば、何か知ってる曲はあるかい? ボーカルであれば参加できるだろうし、どんな曲でもクラウドが演奏して見せよう!」


 ここまで断られても、クラウディオは尚食い下がる。恐らくこれは、音楽を愛するカイゼル家の性分なのだろう。自身の愛する音楽を、皆にも楽しんで欲しい――彼の翠玉ペリドットの瞳にはそんな感情がありありと現れていた。


「いやそう言われても…………あ」


 何を言い出すのだと渋っていたジェノであったが、不意に何かに思い当たり、思わず小さく声を漏らした。そんな彼に、クラウディオは首を傾げて疑問符だけを返す。


「一曲だけ……って思ったけど、これ父さんから教えて貰った曲だし、誰も知らないかも」


 思い当たったのは、遠い昔の記憶。まだジェノがオアシスに居て、両親が生きていた頃の記憶だ。

 幼い頃、父親が何度も歌っていた曲がある。それは、機嫌のいい鼻歌であったり、酒を飲んで気を大きくした歌であったり、形は様々だが、確かにジェノの中に残っている物だ。


 だが、それは今やジェノの中だけに残っている記憶で。この場でその曲を知っているのはジェノだけ、という可能性だって十分にある。


「ん〜、どうだろうな。俺らはともかく、クラウドなら知ってる可能性はあるぜ?」


「うむ、任せたまえ! クラウドの音楽に関する知識量を舐めてもらっては困るのだよ!」


 だが、この場にいるのは、歩く音楽の生き字引だ。侮るなかれ、カイゼル家に集約された音楽の叡智を。


「まぁ、それもそっか……歌えばいい?」


「あぁ、知っていれば、クラウドがそれに合わせるよ」


 納得した様に青空をしばたかせるジェノに、クラウディオはにこりと微笑んだ。頼れる友の姿に、ジェノも何処か安堵した様に頷く。

 それから小さく息を吸うと、頭の中でずっと流れ続けるメロディーを吐き出す様に、口ずさんだ。


「……友よ、別れだ。いつかまた会おう。決して忘るるな、交わしたさかずきを――……」


「――――……」


 途端、僅かに目を見張るクラウディオ。それから彼が物言いたげにドラセナへと視線を向ければ、その意味を理解したドラセナからクラウディオへと、フィドルが手渡される。

 ジェノの歌声に合わせて、フィドルが軽やかに奏でられ始めた。先程までカデットが演奏していた曲に似ているが、先程よりももっと華々しい雰囲気を纏っており、奏でられるフィドルも激しい。


 次第に勇む様な旋律は緩やかになっていき、ジェノが最後の音を歌うと共に演奏は終了した。


「……今のは『つわもの共の送り歌』だね。まさかこれを君が知っているとは……これはエージア南西部の、特に傭兵達に伝わる伝統曲だよ」


 クラウディオは、ドラセナへとフィドルを返しながら、意外そうな声を上げた。ジェノはそんな彼の言葉を聞いてから、今まで想い出の曲の題名すら知らなかった事を自覚する。


「あぁ……そう言えば、父さん昔傭兵だったって言ってたかも。それに俺……南西部のオアシスの出身だし」


 自覚と同時に、納得もした。自身の出身地は南西部のオアシス。それから、時折自分を膝に乗せた父親から傭兵であった時代の武勇伝を聞かされていたのだ。であれば、父親がその歌を知っているのもおかしくないだろう。


「ふふ……にしてもジェノ君、歌がお上手なんですね」


「っは!? べ、別にそんな事は……」


 そうして、不意に飛んできたのはシルヴィオからの褒め言葉。それが、自分では全く思ってもみない言葉であった為、ジェノは恥じらいから焦り、二度、三度と目を左右へ泳がせる。


「いやいや、クラウドから見てもとても上手だったよ! 流石は我が盟友だ!」


「〜っ、うるさいってば!」


 双方向から飛んでくる褒め言葉。普段聞き慣れない単語達に耐え切れなくなり、ジェノは声を荒らげて立ち上がった。彼はそのまま回れ右。この場を去る為にずんずんと大股で歩いて行く。


「お〜い、どこ行くんだよ兄弟〜?」


「かっ……顔! 顔洗ってきますから!」


「っはは! 本当におもしれぇ奴〜」


「うるさいっすよ!」


 背後から飛んできたからかう様な声に、半分ひっくり返った声で答えれば、背後の声は更に楽しそうになる。そうしてジェノは、生ぬるい視線から逃げ去る様に、その場を後にするのであった。



 顔を洗うと言っても、勿論野営地に水道がある訳では無い。その為、野営地近くの川を目指していれば、ある人物が軍用車両のサイドパネルに寄りかかって立っている事に気が付いた。


「……あら、ジェノ君?」


 人影は、落ち着いた女声を伴って顔を上げる。女性にしてはやや高い長身に、ウェーブのかかった赤茶色の長髪――アリスだ。


「あ……えっと、アリス、先生? 何してるんすか」


 ジェノは咄嗟に思い浮かんだ名前に確証を持てず、僅かに疑問符を付けたままの呼び掛けになってしまう。けれど、アリスはその事を気にする事無く優しく微笑んだ。


「ううん、ちょっと懐かしい歌が聞こえたから……。さっきのって、つわもの共の送り歌よね?」


 ジェノは、ここまで自身の歌が届いていた事に愕然とした。確かに耳をすませば、またドラセナ達が演奏をしているのだろうか、最初に聞いた曲が聞こえてくる。


「っ、セナさんが勝手に宴開いてるんすよ……!」


 咄嗟に口を突いたのは言い訳。とりあえず、全てはドラセナの所為という事にしておく。


「うふふ、知ってるわぁ。セナってば、目を離すといっつも宴会してるんだもの。今日はお酒飲んでないだけマシねぇ」


「嘘……あれいつもの事なの……?」


 だが、ドラセナが宴を開く事は周知の事実であるらしく、アリスはのほほんと笑って答えた。しかも、普段はあれよりも酷い状態らしい。ジェノはただ、最悪な状況を想像し、呆然とする他無かった。


「……ねぇ、ジェノ君」


 そんな呆然としているジェノに、遠慮がちに声が掛けられる。


「――? 何すか」


 嫌な想像から意識を上げ、アリスを見つめれば、ほの暗い闇の中で、彼女の金色の瞳と視線がかち合った。

 だが、それも一瞬だけ。アリスは何かを考え込む様に僅かに視線を逸らし、またふっと目が合ったかと思えば、彼女は口を開く事を躊躇う。


「……いいえ、ごめんなさい、何でもないわ。――水辺、暗いから気を付けてね?」


 それを何度も繰り返して、やがて彼女は何かを伝える事から諦めてしまう。その代わりに、きっと伝えたかった事とは関係の無い心配を付け加えて。


「……? 了解っす。あざます」


 引き伸ばされた言葉の内容は気になるが、彼女が言い出さないのであれば仕方が無い。ジェノは疑問符を浮かべながらも、最後の忠告にだけ返事をして、その場を後にした。


 去っていくジェノの背を少しだけ見送って、アリスは一人俯いた。表情は闇に紛れ、見えなくなる。


「っ……」


 少年の姿が見えなくなってから、不意に、ゴンと大きな音がした。俯いていたアリスが、思い切り頭を上げて車体の側面にそれをぶつけた音だ。零れた苦鳴は、頭をぶつけた事には起因しない。もっと別の、心の中のわだかまりが原因だ。


「……言い出せ、なかった」


 彼女はそのままずるずると座り込むと、絞り出す様な涙声を零した。唇を噛み締めるアリスの脳裏に浮かんでいるのは、遠い魔の国に消えた少女の言葉。


『本当はもう一人弟がいるんだぁ。でも……私の事は内緒。本当はお姉ちゃんが居るって知った時に、お姉ちゃんわたしが傍に居ないなんてすっごく悲しいでしょ?』


 そう言って、空色の瞳を寂しそうに細めて、笑った少女。そうだ、その通り。今、ここに、彼女は居ない。だから、自分のエゴだけであの少年に告げる訳にはいかないのだ。


「これで、いいのよね……? ラヴィーナ……」


 アリスは細い腕で自身をかき抱くと、帰って来ない少女の名を呼んで、震えた言葉を落とすのであった。

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